夢九十話
後先考えない自然破壊はできるだけ封印する。
そう躊躇したがゆえに老隊長を失ったが、それでも今は堪えるべきだ。一歩一歩踏みしめて歩きながらそう思った。
派手な花火が打ち上がるように、赤い連中が空に浮く。
抜いた太刀を二振り三振り、近接遠距離の敵を問わず、草原の地面を抉って薙ぎ払った。
できるだけしないと堪えてもこの有様だ。自分以外から見れば激昂して本気を出しているように映るだろう。
海が割れる奇跡のように、赤備えの大隊が一斉に引いて俺の前に道を作った。
ジュディッタ姫とその敵が見える。
「アルバロ・クァリアーノ」
草原のなかでひときわ赤く映えるカマキリの名を呼ぶ。
けして大声ではなかったが、それにこめられた怒りのやり場を察知したのだろうか、剣豪姫の上段斬りを避けた奴がこちらを窺っている。
「老兵一匹をそれほど惜しむか、聞いた以上の偽君子だな」
投げてきた相手の大鎌を柄で叩き落とす。くけけと唸った細身の魔物が気を放出させながら変化した。
ジュディッタ姫がその気当たりを受けて大きく仰け反る。
上半身の膨張に耐え切れず、アルバロの身を包んだ赤い鎧が割れていく。
その灰緑色の本体は背中に羽、両手はギザギザの長い鎌と、想像した通りカマキリそのものな形態をしていた。
下半身が人間なだけに禍々しさが一層際立っている。
長い鎌の振り下ろしを大剣で受けた金髪姫がその衝撃を受けきれず、膝を崩す。
「姫!」
俺の叫びで女剣豪の大剣に込められた珠が銀色に光る。
巨躯なカマキリの鎌を押し返していく。地面がボコン、と音を立てて陥没した。
「こやつ、人間の女がこれほどの力を」
「舐めるな。もう片方の鎌を残して余裕ぶりおって」
金髪姫が雄叫びを発して大剣を振りぬいた。
完全に押し返されたカマキリの上半身が反り返る。
「すばらしい。これが銀の霊気の効力」
「感心している場合か」
振り下ろしの斬撃は相手の額をかすめただけで空振りした。
飛び退いたアルバロが跳ね、再度彼女に突っ込んでいく。
「ジュディッタっ!」
絶叫する王の声を呼び水に俺も地を蹴った。
必殺の間合いだと確信したカマキリの赤く充血した目が違和感を感じたのか、大きく見開かれていた。
「ウンシン」
「じーさんの遺言は守らねば」
ザン、という音はわが太刀が振り下ろした効果音である。
手ごたえがあった証拠に、姫を突き刺そうとした鎌がくるくると宙を舞う。それが地面に突き刺さったのを誰もが見ただろう。
「なんという踏み込みの速さ……まるで疾風だ。しかしこの身には、いかなる魔剣も効かぬぞ」
カマキリが俊敏に跳ねながら斬り落とされた鎌を手首にくっつけようとして、まごつきながら吼えた。
「なぜだ?! 鎌の切り口が再生せん……!」
「俺の刀で断った魔物のそれは、二度と息づくことはない」
ジュディッタ姫を後ろに下がらせ、アルバロとの距離を詰めた。
自分でもよくわかっていない太刀の効力を語るも、実際再生しないと慌てふためく敵の挙動を見れば、当方の台詞にも説得力があろうというものだ。
「なんだ……なんだそれは」
カマキリが手首から緑の血を流しながら後ずさる。
それに比例して歩みを進めながら、奴が飛ばしてくる粘液のようなものを振り払いながら告げた。
「降魔の刃」
「……人間の分際で、神威の剣を奮うというのか!」
「知らん」
格好つけて言ってはみたものの、やっぱりよくわかっていないので相手の驚愕を受け流した。
残った長い鎌による切り上げも太刀の刀身でいなして受け流す。
隙だらけになった上半身の心臓部分に降魔の刃を突き立てた。
天地を巻き込まずして静かに攻撃し終えたのも、俺にとっては会心の一撃といえた。
「……!!」
声にならない叫びを放ち、カマキリの魔物が七転八倒でのた打ち回る。
再生能力のある将軍の異能が通じない、とか、鎧より硬い体をサックリ刺しぬいたとか、周囲の赤備えがそうわめきながら俺から遠ざかっていく。
二匹の小カマキリが長の仇とばかりに襲いかかってくる。うなるふたつの鎌を太刀で受け弾く。
彼らが着地する瞬間に、銀色の光の大剣が薙ぎられた。
ジュディッタ姫の一閃だった。
二匹を両断した凄まじい斜め斬りの風圧で、彼女のマントが浮き上がる。
カマキリの残骸が鮮血のなかで草地に落下していった。
獲物を構え直して周囲を威圧する女剣豪の武勇に、ブライトクロイツの槍騎兵が怖気を奮って逃げ惑う。
混乱の中で亡き者になったアルバロをかついだ歩兵たちが、遥か後方の味方陣地へと逃走していく。
「赤槍騎兵団総大将、アルバロ・クァリアーノ、サムライ・ウンシンが討ち取ったぞ!」
草原の戦場にジュディッタ姫の凛々しい声が響く。
味方に十倍する敵の大多数がその大音声を聞き取って、さらなる恐慌状態に陥った。
しかし荷馬車を中心に防御態勢にあった二百のトゥルシナ兵たちは、それを追撃する余裕はない。
ウイダル王の護衛に全部隊を割いていたからだ。
「きゃつら、陣地を放棄して西に逃げていくようだが」
わらわも追いすがるほど気力はない、と息をつきながら金髪を靡かせ、姫が父のもとへ向かう。
名もなき老兵の亡骸を抱いた王とトゥルシナの人々の再会を見守った。
かなりの時間に渡って輸卒隊長との別れを惜しんでいたものの、それによって救われた病身の存在がこの戦場では問題になってくる。
どこかで療養を勧める娘に対し、父はこのまま陣頭指揮を買って出た。
「トゥルシナは滅亡したのだ。もはや余のいるべき場所はどこにもない」
「なにを仰せになられますか、父上」
「そなたの夫であるヤル・ワーウィック冒険王は寛容だと聞いている。しかし城塞に二人の王はいらぬ。いかに大器量の人物とて、二百の私兵を抱える流亡の将が城内に居座ればどうなるか」
咳き込むウイダル王ががくりとうなだれる。
俺はしゃがみこみ、貴体を抱きかかえた。偉そうに言わせてもらえば、剣の弟子ともいうべき姫の助けを求める視線に応じた次第である。
「ウイダル王。王にはその身にふさわしい療養所がございます」
「……何と」
「いにしえの宮殿を改装したわが城館にご案内致しましょう」
「そうか、サムライ御殿」
ジュディッタ姫が愁眉を開いて腰を上げた。それを合図に、気配を消してトゥルシナ兵に紛れ込んでいた青羽衆の「俊足」を呼んだ。
「元締め。ここに」
「ジュディッタ姫の父君を俺の家に匿う。地下にいる影らに護衛を頼む」
「はっ」
「符術師の符 智翔なら何らかの効薬を調合できるかもしれない。彼にも話をつけておこう」
「では私めは一足先に御殿に戻って」
「おう。手勢を連れて王を迎えに来てくれ」
「御意」
身を起こした「俊足」が駆け足で去っていく。
重大な案件をとんとん拍子で決めた当方に親は絶句して固まり、子はさすがウンシンじゃもう心配はない、と晴れやかな表情を浮かべていた。
俺が法律だ、の心意気で誰にも文句は言わせない。悪党たる所以だ。
荷馬車に空きを作り、王を乗せて一旦引き返すことにした。
待ち伏せしていたゲレオンの一軍を蹴散らしたことで、手ぶらで帰還というわけではない。
中原で戦っているはずの敵の背後を衝く予定は変えて、味方の後方から参戦といこう。
老の墓標を立てる、というウイダル王の言葉に、二百のトゥルシナ兵が一斉に敬礼を返した。