夢九話
「叔父上!」
叔父と呼ばれた青ターバンのおっさんが近くにいたエヴレンを押し飛ばした。
降りかかる矢をその体で受け止めようとする自殺行為を、俺はスローモーションで再生されるように見つめていた。
ゆえに、ディロスどうしが戦うのを横目に数珠を握り締め、矢が到達するより先に渦中に踊りこんむことができた。
「弾いた?!」
弓兵がざわめく。数珠で弾きそこねた何本かがポンチョになった俺の体に命中した。
そのうちの一本がすり抜け、背後のおっさんの肩に突き刺さる。
仰け反って倒れる同族にエヴレンがにじり寄っていた。
「おめえ。なにもんか知らんけど」
素肌の胸や腹に当たったものの、鏃が深くめり込むことはない。弾いた矢が砂上に転がった。
それを見た弓兵が声をなくすなか、それを率いる若い長が当方の擦り傷の変色した部分を指差した。
「射抜かれて死ねばよかったもんを、じわじわ毒が回って死ぬで。あの裏切りもんも一緒や」
叔父を抱き起こす黒が白を呼ぶ。一角になった二角獣の鞍から荷物を取り出し、何らかの薬草を手にしていた。
「……! ……」
二人一頭のやりとりは聞こえない。プンスカを抑えるために取り込み中だ。
膝をついていた姿勢から立ち上がる。何度か息を吸って吐いた。
この状態になるためには、悪の心構えが必要だった。
サムライパンチと叫んでいる余裕はない。
数珠を握り締めた右手の裏拳で、そばでやりあっていたディロスの片割れを八つ当たり気味に殴り飛ばす。
そんな小さいほうの角ディロスが角なしになって吹っ飛んでいくのを視界の隅で捉えたもの、悪党は何も感じない。
体長に比べて質量がある角なしディロスが、数十メートル先で空に向かって砂柱を立てていた。
事態が理解できず固まり、敵部族の長と部下はしばしの呆然の後で反応を見せた。
「なんや、なんやこいつ……角刃を素手で」
「わ、若、お下がりなされませ! こやつは物の怪」
部下たちが乗ってきたトカゲに号令する。それが一斉にこちらに襲いかかってきた。
太刀がない以上、ゲンコツでなんとかするしかない。
霊体ではなく物体を攻撃するに見合っているのかと疑問に思う数珠を手に、それでもぶんぶん振り回す。
「わい、ゆっ、夢でも見とるんか」
「我らの使い魔がハエ叩きの惨状に……」
自らの意思のように散開していく爬虫類が砂丘のあちこちに埋まっていく。
それが十数体を越えたところで、更なる弓の雨が降ってきた。
毒の鏃が素肌の胴体の傷に染みる。それがなんぼのもんじゃいで大股歩き。
相変わらず頭の白頭巾は無傷だった。
ポンチョ下の股間だけは意識して力を込め、数珠のないほうの手でかばいながらひたすら前進、もう片方で矢を四散させながら若い族長との距離を詰めた。
「てかおかしいやろ! い、いつ毒が効くねん。あれだけ体に刺さったら……普通即死するで」
「あ、あんな化け物を相手にしてられるか」
弓矢が尽きたところで使い魔を失いかけた年配の部下が浮き足だした。
残ったトカゲに乗って逃げていく。
それを窺った紫ターバンの若長が腰を抜かしたまま、一連の怪奇現象を理解できず絶叫していた。
「おっおっ、おまえは一体なにもん……何者じゃあーッ!」
「エヴレンのうちの居候」
恐慌状態の相手がサムライの名乗りを理解できるはずもないにしろ、死出の土産に一応ウンシンですと告げておいた。
腰を入れ、数珠の拳を振りぬく。鈍い打撃音がしたのは、主をかばって間に割り込んだ角なしディロスの背甲を打ち抜いたからだった。
「角刃!」
数珠越しとはいえ素手ではさすがに(少しだけ)痛みを感じる。赤くなっている拳をふーふーしていると、瀕死な角なしの前に膝をついた若長を囲むように、白いターバンの若者たちが俺に向かって土下座のような体勢で拝みだした。
年功の重臣らしき色のターバンどもはすでにオアシスに逃げ帰って影もない。
「命乞いなんぞせん。長たるもんは……降伏しねえ」
「あっそ」
短刀を抜いて飛び掛ってきた方言野郎をひっぱたく。
千鳥足でくるくる回り、脳震盪をおこして倒れる彼を若い部下が抱きとめた。
先ほどは七花八裂の気合でぶん殴ったのだが、今回は年若い白ターバンらの命乞いで悪者モードが解除されたため、やさしく撫でるだけにしておいた。
静かになったところでエヴレンたちの元へ向かう。
タウィ族のおっさんはすでに死相を浮かべていた。痛みを和らげる処置だけは施したようで、荒い息をつこうともその表情に苦悶はない。
「エヴレンからいきさつは聞いた……銀色の霊気を持つ者よ。老いの呪いをかけられたこの子を助け、白毛の二角獣を手懐けた東の果ての騎士」
「叔父上、もう喋るな」
「……暴れっぷりを見ていたぞ……爽快であった。傲慢なラムルの男たちが飛んでは跳ね転がり、歴戦のトカゲ使いも長を捨てて逃げ惑う。命知らずな若い戦士らの命乞い、その醜態ぶりを、長い年月どれほど夢見たことか」
鬼気迫った笑いは弓矢を受ける前のこと、今のおっさんの悟りきった表情に険はない。
「……そんな奴らと同化しようとしていたわが浅慮で、残った同族が奴隷に」
そばに来た白の額を撫でる。彼女が助けてやらんのかという期待の目を向けてきたが首を振る。俺には治癒の力はない。
それでも治れ治れと思って手をかざしてみた。やはりおおっさんの容態は変わらない。ふとポンチョの下を見れば、俺の腹のかすり傷は完治していた。
でたらめな力が及ぶのは自分のみというわけだ。
やるせないのは思い上がりというやつだろうか。しかしまだ達観できる年齢ではない。
「頼む。その筋合いはないと承知で頼む……タウィ族を救ってくれい。残ったわずかばかりの民に砂刃を残しておく。あの子らを奴隷の身から」
「任せろ」
エヴレンに四の五の言わせず、俺は気安く受けあった。
唇をかんでいた黒が立ち上がる。白ターバンの群れに歩いていき、気絶している長の前で立ち止まる。
尻尾のようなものがその後ろ姿の布越しに浮かび上がった。それが布をつきやぶり、ゆらゆら揺れて標的を串刺しにしようとしていた。
初めて会ったときに受けた尖りの衝撃は、サソリの尾によるものだったのだ。
「エヴレンやめい!」
叔父の鋭い叫びで、殺気にまみれた黒が尾の叩き込みを停止させた。後ずさりするラムルの民を見ているのか、彼女は振り向きもしない。
「もう、よい。もうそれらに関わるな……お前に……族長の娘たるお前に、生き残りのタウィの子らを」
誰からも裏切り者と呼ばれた男が、託す、と呟いて事切れた。
彼の使い魔である金ディロスがお別れを告げるように咆哮している。
「残ったタウィ族はオアシスにいる」
「おう」
白に促され、俺は安らかに眠ったおっさんを抱き上げて立ち上がる。あと一仕事する前に、とりあえずエヴレンの自失を取り戻すのが先だ。
俺の夢はまだ続いている。