夢八十九話
風が吹き付ける草原を舞台に、二人の総大将が刃を交えている。
俺はトゥルシナ兵の十倍を数える敵の槍騎兵や歩兵をできるだけ減らそうと、殴って蹴って放射状に散らしていく。
彼らの一騎打ちを邪魔するつもりはないのだが、敵将はそう思ってはくれないらしい。
「うぬら、サムライをそのまま足止めせい」
麾下の赤備えに厳命するカマキリが大鎌を振るう。
百を超える人数を戦闘不能にした時点で、敵部隊はこちらを遠巻きに囲み始めた。
「わずかの時間稼ぎもできぬのか」
姫との刃合わせで後退したひょろ長い騎士が口笛を吹いた。
赤い軍勢をかき分けるようにあらわれたのは、カマキリの同族のような二体の歩兵だった。
他の赤備えとは雰囲気からして明らかに違う。それらが捕縛された何者かの左右にあって、引き立てるようにこちらにやってくる。何者かは老人だと認識できた。それを見て鋭く叫んだのは、大剣の構えを解いた女剣豪だった。
「……父上?!」
「ジュディッタ」
捕らえられていた白髪白髭の老人が憔悴した面を彼女に向けた。
顔と名前を覚えない当方すらも、それが死に別れたと思っていた親子の出会いであることがわかる。
「この白髪首に用はない。あるのは名高き姫剣士のいきのよい首だ。そなたの命と引き換えならば、枯れ果てた爺の余生くらいは保障する」
「ジュディッタ、だまされるな」
「黙れ」
左右の小カマキリが老人を刃の柄で殴る。姫がやめろと吠えた。
「サムライも動くな。いかで勇士とて爺を刺し殺すくらいの距離はある」
「カマキリ野郎」
「アルバロ・クァリアーノだ」
奴の兜の下の細長い目がさらに細まった。赤い光が見え隠れしている。
「しかしまだ油断はならん。こやつを数人がかりで抑えろ」
赤備えのなかでもとくに屈強そうな隊士が前後左右から俺をつかみにかかる。
それを確認したカマキリが姫に向き直った。
「自らの首をはねい、ジュディッタ・ベルグラーノ」
「……」
「やめんか! もはやそなたはトゥルシナただ一人の後継者」
再度殴られた老人に、トゥルシナの兵たちがウイダル王、と絶叫する。
一度会ったことがあるベルグラーノ城塞の主はたしか五十代だと聞いたが、勢力が滅び身柄を拘束され、そんな生活が続いたと思われる風貌は年齢より十歳以上も老けて見えた。
「父上」
「為政者になれい、ジュディッタ」
殴打されて血を流すウイダル王の言葉に、金髪姫は生き残ったトゥルシナ兵に横顔を向けた。
「そなたの兄グレイグもそう託して死んでいった」
「兄様が」
「冒険王に嫁がせたはまさしく血を残すため。なれば軽々しくここで果てることはならん。先祖の御霊も許してはくれぬぞ」
痩躯のカマキリ野郎が王の首に鎌を引っ掛ける。親の苦悶の表情に、娘が震えながら一歩踏み出した。
「よさぬかっ」
「おのが剣で首をはねるは恐ろしいか、姫? ならばこのアルバロが掻き切ってやろう。こちらに来い。爺の首が落ちる前にだ」
女剣豪と名高い彼女にではなく、こちらに視線を固定する相手の意図はわかっている。四方を赤い騎士に囲まれてなお、俺に動くなと伝えているのだ。
「来るな」
父の叱咤に娘が首を振る。一歩一歩親に近づいていく大柄な娘の足取りを、戦場にいる誰もが息を飲んで見守っていた。
そう思ったとき、荷馬車のほうから何者かが静かに動く気配がした。気付いているのは自分だけだ。
「親孝行なことよ。褒美として苦しませず一撃で首を刈ってやろう」
「その前にわが父の縄を解け」
「ジュディッタっ!」
「お許し下され父上。わらわは剣士の矜持はあっても王の気概は持てませぬ」
俺を眺めやった彼女の兜が飛んだ。打ち首にはじゃまだとカマキリが柄で殴ったようだ。
その衝撃で膝をついたジュディッタ姫の金髪が風になびく。
美人さんのエメラルドの瞳が敵の大将を見上げている。ポチャとホソが金切り声をあげていた。
それを聞いても微動だにしない彼女の毅然とした姿に、アルバロが手にした大鎌を一瞬だけ下げた。
同族の小カマキリがウイダル王の拘束を解く。それが合図だった。
輸卒の老隊長が視界の端に入る。瞬発的に俺も動く。押さえ込んでいた四人の赤騎士どもを払い飛ばす。
主の名を呼ぶじーさんが槍を振り回すなか、以心伝心の動きが展開された。
ジュディッタ姫が大剣を持つ手をひねり、首元の大鎌をはじく。
自由の身になったウイダル王に向けて、俺は小太刀を投げる。
咳き込みながら武器を受けた白髪白髭の病人がそれを抜いた。
「陛下ァ!」
「トゥルシナのものか」
老隊長に大儀、と言葉をかけた王が白刃を一閃させ、二匹の小カマキリをまとめて振り切った。
魔物としての勘なのか、後ろに飛び跳ねて致命傷を免れていた。
一見やつれ果てた中年のものとは思えぬ刀さばきに驚愕しながら、カマキリ野郎がきゃつを押し包め、と命令を下す。
歴戦の武人たる所以を一瞬だけ見せたウイダル王が病のためだろう、息を切らして草地に手をついた。
もらったとばかりに敵の槍や鉄槌が降り注ごうとしていた。
「父上!」
大鎌の打ち込みをはじき返した金髪姫の悲鳴が響き渡る。
俺は滑り込みで王と赤備えの間に割り込んだ。
切っ先と打撃をこの身に受けきったと思ったが、そのうちの一本の槍がわが頬のすぐそばを突っ切った。
肉を貫く音とともに、鮮血が舞う。
振り返って見たのは、王を庇って覆いかぶさった老隊長が背中を突かれて崩れ落ちる姿だった。
彼を突き刺した槍兵を掌底で吹っ飛ばした当方は、あらためて二人を眺めやる。
「老」
「陛下、ご無事で」
下士官のじーさんを抱きとめるウイダル王が難しい顔をしながら頷いた。
致命の一撃だと察したのだろう。
「サムライ、サムライ……」
瀕死の輸卒隊長が俺を呼ぶ。周りの敵が後退するほど威圧してから、彼らの元にひざまずいた。
「あんたには関係のないことかもしれん……どうでもよいよその話かもしれん、だが」
吐血したじーさんを王とともに抱きかかえた。
むこうでジュディッタ姫がカマキリと斬り結ぶ音がする。
「救うてくれ。トゥルシナの灯火が消えかかっとる……われらが希望のお二人をグレイグ王子のようにさせんでくれ」
「老、そなたの名は」
主から問われ、老隊長は最後の力を振り絞って微笑んだ。
「……名もなき輸卒でござれば、ワシはあやつらと共にありますで……名を聞くならばそれらの若いもんにしてくだされい」
荷馬車を守る数人の騎士を指差してもう一度笑ったじーさんが安心したように、眠たいのうと呟いた。
「サムライ」
そう言い残して彼は目を閉じた。支えていた体が重くなった。
もらえる返事がないと承知しつつ、俺は任せろ、と何度も口にしていた。
老勇を背に担ぐ。ウイダル王を連れて荷馬車に避難させた後、ジュディッタ姫のほうへ歩みを向けた。