夢八十八話
山越えのなかで敵の奇襲にあうのは予想していたことだ。
林道ではまともに戦えないということで、ジュディッタ姫が坂を下りて平坦な場所へと移動しようとするも、後方から追いすがる相手がトゥルシナの歩兵隊と交戦を開始していた。
最後尾近くで荷馬車を引く俺に、前方の総大将からよく通る声が聞こえてくる。
「ウンシン、逃げ切れるか!」
「ここは任せろ」
無礼者の大音声は彼女に届いたようだ。駆けよ、との勇ましい号令に、前を行く味方が坂を下っていく。
「わしら輸卒が後備えか」
老年の隊長が若い隊員に先に行けと叱咤しつつ、俺に余計なことを言いおって、といいたげな顔を向けてくる。
白髭の彼がここが死に場所とばかりに山賊らしき輩に槍を揮う。
俺は荷馬車を止め、青羽の「俊足」に守りを頼んだ。
数本の刃が老隊長に降りかかる直前でなんとか間に合い、ふい~と息を吐く。
「お、おぬし」
「じーさん荷馬車まで引こう」
わが身に降りかかった刀剣が折れてくるくる回り、地面に刺さる。さらに矢が飛んできたが、それもそのまま受けておいた。
驚愕しっぱなしの老騎士にはよいかんかいと急き立てる間もなく、どこから見ても山賊といった風体の連中を掻き分けて、首領らしき大男がこちらにやってきた。
「おーおー話に聞いた通りの化けもんだな、鍛えた剣も矢も効かねえか」
「誰から聞いた?」
「あー忘れた」
獣頭人身どころか、ゴリラっぷりが半端ない相手から化け物と呼ばれるのには違和感がある。
とりあえず荷物をよこせば苦しまずに殺してやるという毛深いゴリラに、老いて意気盛んな白髭騎士が槍を突き入れた。
「ぬっ」
剛毛に弾かれてじーさんが体勢を崩す。俺とゴリラを見比べて同じかと呟かれたが、一緒にしてはもらうまい。
荷馬車を守る若手の輸卒がどよめく。気合をいれんかと老隊長が一喝したものの、動揺が収まることはなかった。
手長ゴリラが飛びかかってくる。俺はじいさんを引っ張って距離を取った。敵が素手で地面を砕き割るのを見た若手が振動で体を揺らしながら、魔物だ、とさらに仰天している。
「おっと、あいつらと一緒にするなよ。こちとらぁ立派な山賊さまだて、あんな国単位の暴力集団と同じにされちゃかなわねえ」
「ならばなぜわしらを襲う」
「おめえら滅んだトゥルシナのやつらだろ。名高い剣豪姫が率いるその残党だ」
林道の坂の下から喧騒と剣戟の音が聞こえてきた。
「姫に用があるのはあいつらで、雇われもんのわしらじゃねえ」
「ああ、お前足止めか」
こちらの問いかけにゴリラが笑った。じーさんがなにっと平地のほうを窺う。
「その荷駄に用がある。それをいただいたらとんずらよ」
「元締め。ここは任せて平地に」
俺をそう呼ぶ青羽が烏の羽を宙にばら撒いた。火花が散ったと思ったら、撒いた羽に火がついていた。
山賊たちがその火の舞いに巻き込まれてひええとのたうち回っている。
刃を通さぬゴリラは火あぶりのなかでも平然としていた。
「山火事を起こすたあ許さねえ」
熱風が舞う林道に、激怒した類人猿の咆哮が響く。
「じーさんと分隊を連れて君が先に行け」
「しかし」
「重い荷駄を引いて坂を下ることができるのは俺だけだ。あれに燃え移る前にゴリを片付ける」
「ゴ」
ゴリってなんだと眉をひそめる「俊足」の肩をポンポンして先に行かせ、まっとうな理由で剛脚を踏み鳴らす相手と対峙する。
野太い腕が俺の首に伸びてくる。
ワルモノは放火犯たるこっちだなと思いつつ、力勝負を受けて立った。
§§§§§§
ぐおおおというゴリラの叫び声は、久しぶりに放ったブレーンバスターによる効果音のひとつだ。
組み合った奴の指をへし折りながら巨体を持ち上げ、燃える林道の地面にそいやと叩きつけてやった。それによる衝撃と風圧で消化した次第である。
「クソったれ、なんちゅうバカ力だ」
七転八倒しながら鬼の形相を向けてくる相手をスルーしつつ、車止めをかましていた荷駄が振動によってひとりでに坂を下るのを追いかける。
前に割り込み、轅という荷台を引く二本の棒を握りしめて所定の位置につく。
シリアスとは縁がない動きのまま坂を下り、平地に駆けこんだ。
ジュディッタ姫の本隊はすでに赤備えの重囲にさらされていた。じーさんの分隊も赤槍歩兵に取り囲まれている。
ずさささと草地にすべりこみながら荷駄を引いてきたまぬけな登場の仕方に、戦場全体が静まり返っていた。
変なのがきたと固まる敵のなかで、唯一行動を止めなかったものがいる。
そいつが白馬に乗った姫を狙う部隊の大将であることがわかった。
まずはじーさんたちを包囲していた赤槍を排除することにする。もちろん荷馬車は端のほうに置いておく。
「赤色槍兵団、アルバロ・クァリアーノだ。おのれは」
背中ごしに聞こえた相手の名前はすぐ忘れた。味方を包囲する赤い槍の騎士どもをサムライキックで押し飛ばす。
五、六人ほどまとめてホームランしたあとで、じーさんの分隊を救い出した。
とって返す途中で、負傷していた侍女のポチャとホソも救出する。
侍女たちは口が利けないほど気力を使い果たしているようだ。
娘っこ二人はともかく、若い隊員らは輸卒としての責務に駆られて荷馬車に向かう。
その際老隊長が、重囲のなかで奮闘するジュディッタ姫とトゥルシナ騎兵隊を窺って言った。
「いかで勇ましくともおなご。姫をお頼み申す」
「承知」
即答しながら突いてくる槍ぶすまを両手で一点にかき集め、鎧騎士ごと持ち上げて遠くへ放り投げる。十数体を巻き込みながら林のほうへ捨てることで、姫やトゥルシナ騎兵が戦う場所への道が開かれた。
銀の霊気の大剣で敵将の攻撃をガードをする金髪姫の姿が見える。
ぶつかる敵を手当たりしだいバシバシ張り倒して、やたらと縦に長い体躯をした大鎌の使い手の前に転げ出た。
落馬した彼女に長柄の大鎌が迫る。しかしそれは俺の首筋に打ち込まれた。
赤い槍騎兵団からどっと喚声が沸き、だがすぐにその声は静まった。
「直撃したはずだ」
カマキリのような細長い体と顔の騎士が馬上で体勢を崩しながら瞠目する。
俺は刃を握って首から鎌を引き離した。背後の金髪姫が跳ね起きたことを確認して、当方もゆっくりと起き上がる。
「そうか、うぬがサムライ・ウンシンだな」
「おう」
死神が持つ武器はトゥルシナ兵の血を吸った後なのか、赤く染まっている。
長身だが細身なカマキリ野郎が大鎌を再度振り上げた。それが打ち込まれる前に飛びずさる。
刈られる草が風に乗っていった。
「ブライトクロイツを何度も退けた無双の勇士。だが今はトゥルシナの遺児たる首が必要だ」
陽光を背にした細男の大鎌に、下馬したまま打ち込んだジュディッタ姫の大剣がうなる。
今度はカマキリが受け損ねて巨馬から下りた形となった。
「確かにそなたの相手はわらわじゃ。ウンシンに挑むなど百年早いわ」
二メートルを超える細い巨人がマントを捨てて彼女と向かい合った。
「女の細首をかき切ったのち、うぬを潰す。しばし控えておれ」
赤い目のカマキリが武器を構え直した。金髪姫の意気軒昂な様子から見守ろうと思ったものの、包囲だけは解いておこうとトゥルシナ騎兵らに迫る敵の長槍を叩き折り、騎馬ごと追い払う。
「ゲレオン連合二十四将がひとり、アルバロ・クァリアーノ。参る」
「ジュディッタ・ベルグラーノ・トゥルシナ。そなたを斬る女の名を覚えておけ。冥界の土産じゃ」