夢八十四話
枯れた色の草原を走る。すでに半日が経っている。
広大な樹海の手前か奥で、到着にかかる時間が大幅に違ってくる。
それを惜しむ赤牛ながら、目的地に向かう前に移動手段を失っては本末転倒ということで、やむなく馬の休憩をとることを了承したところだった。
焚き火を囲んで座る大男の苛立ちは目に見えてわかる。
大岩を背に干し肉を噛み切る彼の所作は荒っぽい。
「このままでは夜になる」
「浚った側も女二人を抱えてそう遠くにはいけない。そのうち追いつく」
「赤眼のばばあは弧獣を操る。それの速度は馬以上だ」
「目的がお嫁さんではなく貴方だとしたら、必ずメイたちを待ち受けているはず。彼女だけ北に連れ去っても意味がない」
白の説得になんとか腰を落ち着けているものの、愛妻家たる赤い騎士の焦燥は募るばかりだった。
「夜目が利く闘牛が暢気に一息入れているとは意外。腑抜けたか」
突然天から降り、地から沸いた弧面の集団が周囲を取り巻いた。
黒と褐色の模様をした胴着の弧男(声から推測)が進み出る。
「赤弧ノ衆、オジロだ見知りおけ」
「通称などに興味はない」
地中から現れた赤弧ノ衆とやらの飛び掛りに、棍棒を手に取ったバルクフォーフェンが長大な獲物を一閃させた。
四人の弧面が一瞬で粉砕されたと同時に第二波が襲い掛かるも、赤牛が棍を振り回すたびに彼らが宙を舞い、草原のむこうへと吹き飛んでいく。
尋常ではない膂力を見た赤弧ノ衆がこれはいかん、と一斉に包囲を後退させた。
「マクシムが不能の今、噂に聞く以上の猛勇を捨て置けば後々災いになる」
「妻を浚ったはわが首のためか」
「赤備えの突撃戦法を熟知したキサマは邪魔だとよ」
「婆の指示だな?」
「少なくともあの赤毛の娘は今頃」
バルクフォーフェンが跳ねた。棍棒の振り下ろしで大岩が真っ二つに砕け散る。
巨体の身のこなしの速さに鬼面一同が瞠目したが、オジロなる隊長は剛撃をかわしながら彼の背後を取り、十手のような双剣を抜き放っていた。
赤牛の肩にある鎧の隙間から血しぶきが舞う。
「クカカカ」
不気味に笑うオジロがもっと憤れと口走る。
「あの女、二度と妻と呼べぬほどに嬲られているかもな。オイラは足止めにしかすぎねえが、本隊のやつらは役得ってもんだ」
「殺す」
牛の咆哮で大気が震えた。血煙のなかでその数を減らす赤眼ノ衆だったが、次々と増援が現れては赤牛の行く先を阻んでいる。
「そこの、牛の従者か? てめえらはここで死ね」
「見えない者というのは哀れ」
「なにをほざく虫けらが」
オジロがこちらに迫る。白が一歩踏み出した。
黒と褐色な装束の長が飛びずさる。何かを察したようだ。
「霊気を見ることがきたら、貴方は棟梁を説得して本国に引き返しているはず。運のない」
「……角獣の小娘、てめえがなんだって?」
白い美少女が嫣然と笑った。好意的なものではない。
「将軍、ここは私に任せて増援の来るほうへ向かうべき」
小さいながらよく通るメイ・ルーの声を聞いたバルクフォーフェンが、うおおと大喝しながらさえぎる敵をなぎ払い、突進していく。
小柄とはいえ、長い脚の白の蹴りを避けきれなかったオジロがもんどり打って地面に転がる。
受身を取って跳ね起きたのは流石というべきだろう。
「ウンシンも。この程度の小物なら私ひとりで十分」
「そうします」
「待てや白頭巾、って……う……ンシン?」
「うるさい」
俺を呼び止めた弧面の小頭がぶべら、と呻く。白の膝蹴りを腹に受けたと見える。
「ちょっと、ちょっと待って。ウンシンてあのサム」
うごっという悲鳴が遠くなった。薄暗い草原を疾走する赤牛の前に、新手の弧面どもがあらわれて進路を塞ぐ。それを処理することが俺の当面の役目になる。
§§§§§§
やや離れた向こうの草原から赤牛の怒号が聞こえてくる。
ロリな嫁を見つけたのだろうか。日も暮れかけており見通しが悪い。前進を阻んでくる何人かの弧面を蹴り転がしていると、しゃがれた声がどこからか聞こえてきた。
「牛も抜け目がない。まさか銀の霊気をお供に連れてくるとは」
夕闇に溶け込んでいた黒い影が何かを抱えながら不意に姿をあらわした。
片目が赤い狐の面、発散する雰囲気や重々しさが他の連中とは明らかに違う。
「おっと、あれの嫁ごを連れてきてしもうたわ。じゃがもはや用済み。猛進バルクよりサムライ・ウンシンの首に用がある」
向こう側のバルクフォーフェンが赤眼婆とその人質の不在に気付いたのか、ローリィイインと叫んでいる。
遠くの巨体の影がさらに大きくなった。嫁の危機に獣人化したと思われる。
こちらに四足で突進してくる赤い牛を窺って、ばばあはちっと舌を鳴らす。
その手に暗器なるものが光った。気を失っている赤毛の娘の首筋に、それが添えられた。
土煙を上げてせまる愛妻家の絶叫が薄暗がりの草原に響き渡る。
弧面婆が刃を手前に引こうとしたその瞬間、気配を消していたエヴレンが突然姿をあらわし、暗器を素手でつかもうと手を伸ばそうとしていた。しかしながら黒より先に当方が刃を握っていた。
「こらこらエヴレン、危ない真似をするんじゃない」
後方へ素早く飛びのいたサソリ娘が、藤色のポニーテールの髪を風になびかせて不敵な笑みを浮かべている。
「赤毛っこを守るためについて来たのじゃ。気絶のふりはもう飽きた」
「いつの間に」
弧面の棟梁が我に返ったときには、その腕の中に牛のお嫁さんはいなかった。黒が抱き上げて距離をとっていたのだ。
額に埋め込んだ数珠の効能からか、瞬発力といい身のこなしといい、その早業ぶりは驚嘆に値する。
ばばあが絶句してエヴレンを凝視していた。
「ローリーン!」
駆けつけたバルクフォーフェンが黒からお嫁を受け取っている。
息があることを確認して膝を落とし、感無量といった体で赤毛を抱きしめていた。
「さて、ひと浚いの弧面ども。お仕置きの時間じゃ」
エヴレンが仁王立ち。周囲に集まった敵の数を見渡して呵呵大笑している。
正義の味方というより悪党の踏ん反り笑いだ。
俺は握り締めていた刃を砕いた。婆が素早く身を引く。獣化した赤牛の角から逃れるためだった。
「特殊鉄鋼で出来た棟梁の業物を素手で」
どよめく赤弧ノ衆が俺の後ろからやってきた白い少女を見た。
メイ・ルーが意識を失ったオジロなる先手の小頭を引きずっている。
それを無造作に放り投げたのを確認して、彼らは仰天しながら後ずさっていた。
「双弧ども」
手勢が気圧されたことで婆が何者かを呼ぶ。棘だらけの鎧を着たひょろ長い体躯の弧面たちが、突如草むらから跳ねあがっていた。
「生き神さま」
「おう」
跳躍した二人が棘ハンマーを手に襲い掛かってくる。エヴレンのやっちまいな、という意味であろう呼びかけに、俺は後ろ回し蹴りを放った。