夢八十三話
アルダーヒル地方全体を覆う戦雲をよそに、サムライ御殿の修築に忙しい今日この頃、ふと思いたって地下の秘密基地にふらりと顔を出した。夜明け前のことである。
ここでも青羽衆という影の作業員が数十人総出で現場を駆け回っている。
「元締め、見回りご苦労様です」
一同、礼を示さぬかと幹部たる中羽のおっさんが声を張る。
いつのまにか俺の別名が決まっていたようで、ヤクザの親分のような扱いに内心オイオイと突っ込みながらも、よきよきと通り過ぎる。行き先は当主ミヤマの部屋ではなく、東の術師たる符 智翔なるじーちゃんの隠れ家だった。
「おーいじーちゃん、いるか」
「扉を叩いてから入れ小僧!」
ノックもなしにいきなり鉄枠の木の扉を開ける。
六畳ほどの空間にある転送装置の復元はまだ先だといわんばかりに、石の部屋は様々な道具が散らかっていた。ロフトのような高さで寝床のような木板が設置されているのを見て、ここで寝泊りしているのだと確認する。
「今忙しい。でてけ」
「部屋から出ないとミヤマから聞いた。念を込めるのもいいけどあまり根を詰めるとハゲるぞ」
符、もしくは札に何かしらのエネルギーを注入してジャンプの原動力にしているのは理解できたが、詳細を理解する頭脳はないのでじーちゃんの座禅姿勢な背中を見やりつつ、ロフト寝床に飛び移って座った。
ハゲってなんじゃい、という苦情は聞き流した。
「用ってのは」
「わかっとる。我輩の目と耳はまだ耄碌しておらん」
目利きのご年配はこの地が戦乱に包まれる危険性をずいぶん前から承知していたという。
北の赤い連中の動きに注視していたのだぞうだ。
「あやつらが東に迫れば大絹国の交易経路もどうなるかわからん。放浪の身とて、祖国へゆゆしき事態を告げねば」
つんつる頭に汗をかきつつ技術者のようなお年寄りが呟く。
せめて中継地点までの念が溜まればとの仰せだが、あほな俺には理解できない。
「連日そんなもん練ってたら体を壊すぞ」
「うるせい、我輩の孫かサムライは」
「じーちゃんばーちゃん子であったことは間違いない」
出て行こうとする俺の背中に符 智翔の声が飛んできた。
「……ゲレオン連合の盟主な。ありゃ正真正銘の化けもんだ。サムライと違ってあの赤い「虎」は慎重居士ながら、勝てると見極めた相手には残虐非道も厭わぬ現実主義者じゃ……女に甘い理想主義の小僧が及ぶ存在じゃねえで」
会ったことがある口ぶりながら、「覗いた」だけらしい。
軍閥お抱えの魔道士ならばそれを駆使する者もいるが稀のようだ。
どうやって偵察するのかは様々、企業秘密で教えてくれなかった。
ただ赤い虎とやらを遠見できるほどの念力を持ったじーちゃんが気付かれて、ほうほうの体で逃げてきた、というから、元二十四将たる赤牛バルクフォーフェンの説明通り、尋常ならざる魔物だということは心しておこう。
「長いたてがみの赤い虎。黒い頂上竜がおらん以上、アルダーヒル全土はきゃつの思うがままだわ。サムライがどこまで踏ん張れるか、ここで見ておくことにするでよ。危なくなったら逃げる」
それまで準備を万端にしておく、と告げて符 智翔はまた背を向けた。
作業の開始だと察して部屋を出る。
「一人くらいは連れていけるぞ。大事なもんをひとつに絞る決断力があるなら、じゃげど」
「ありがとう」
大事なもんはひとつではないということで、好意だけ受け取って扉を閉めた。
サムライ御殿の一家の主として、娘っこを連れてとんずらというわけにもいかない。
個人として参戦するその理由も個人的なものだ。
俺の大義はそれに尽きる。
§§§§§§
遺跡宮殿の修復をニャム姫やミヤマ、エロヒムに任せ、久しぶりにスラム街にあるエヴレンの館でひとり惰眠をむさぼっていた。
交易通路の朝市に向かった黒白のお迎えという重要な役目を思い出し、ベッドから身を起こす。
すでに日は昇りきっていた。
中庭で顔を洗っていると、買い物に出かけたはずのメイ・ルーが俺の名を呼んで駆け込んでくる。
弧面をつけた怪しい集団にエヴレンが浚われた、というのだ。
木桶を置くわが表情を窺ったアルビノ美少女が、ウンシン落ち着いてと手を握ってくる。
「私が見過ごしたのもエヴレンが抵抗せず浚われたのも理由がある」
「どんな?」
憤怒の形相にならないよう白を見返した。
「浚われたのがもうひとりいた。小柄で浅黒い肌の女」
「……」
「片目がない弧面をつけていた集団の小頭が部下に命令していた。双方とも焼けた肌で判別しにくい。面倒だ二人とも連れて行け、と」
「つまり」
「相手の異形な雰囲気からしてただのならず者とは思えない。そんな彼らは私に向かって樹海で待つ、赤牛に伝えろと告げてきた」
「……バルクフォーフェン将軍のことか」
「赤狐といえばわかると」
肌の色がやや似ていたせいで、黒がとばっちりで浚われたということだろうか。
今では身内同然となったサソリ娘が、もうひとりの人質たる赤毛の娘を見ながら白に頷きかけたという。
赤牛と係わり合いのある者ならば放ってはおけない、とエヴレンは考えたのだろう。
大事になりそうだと察したメイ・ルーが俺に注進してきたというわけだ。
バルクフォーフェンに事態のあらましを伝える必要がある。
今まで培ってきた城塞との縁故はこういうときに生きてくる。
下界の住人ながら、一大勢力の将軍たる彼に会うのはそう難しいことではない。
§§§§§§
巨馬を駆る巨躯の騎士と並んで俺と白が走る。
赤い猛牛と名高い男は赤眼狐面の輩が赤毛の娘を浚った、と言伝を聞くや否や、問答無用に城塞の裏口から樹海方面に馬を奔らせた。
「下界の市場に軽々しく顔を出す身分ではない、とあれほど言っておいたのに、たわけめ!」
「赤毛は将軍のなに?」
「拙者の妻だ」
白が目を見張る。彼女から見た赤毛は自分ほどに若く、牛の娘だと思っていたと俺に言う。
猛将はロリコンだったのかと内心毒づいた。嫉妬ではない。
「ウンシンどの、タウィ婆、ではない、エヴレンどのを巻き込んでしまったことに深くお詫び申し上げる」
「あれはわざと捕まった。たぶん将軍のお嫁さんを助けるつもり」
苦悶の表情のバルクフォーフェンに、白が先に答えた。
「赤弧と名乗る者、将軍の昔馴染みか」
俺の問いに風を受ける赤い騎士がそうでもないが、と首を振る。
「北の連中のなかでも隠密機動をもって任ずる赤弧ノ衆、それの頭領が赤眼婆だ。その当時でさえいい年をしていたはずだが、まだ生きていたとは」
「ゲレオン二十四将とやらのひとり?」
「どころか、四柱といわれる魔物の一角にあたる」
激昂寸前な牛の説明を聞きながら疾走する。
俺の場合そばに白がいてくれるおかげで、ブチギレずにすんでいるのがありがたい。
「ローリーン……」
巨漢が歯を食いしばりながら漏らしたかすかな声で、緊急事態にもかかわらず嫁さんの名に納得した。もう一度言うが、けして嫉妬などではない。




