夢八話
「ぺっぺっ」
「砂は吐き出して」
「ワインおくれ」
気付いたメイ・ルーが母親の気遣いを見せてやってきた。
白の背に乗せていた荷物運搬用の鞍からひょうたんを取り出す。この世界にはない合成樹脂のそれは蓋つき水筒として重宝する。ワインを口のなかですすぎながら、黒いフードをまくって顔を晒した赤褐色の女と、青いターバンを巻いた黒肌中年のやりとりを聞き入った。
「われらサソリが長の娘……実物を見るまで気をもんだが、生きていてくれたか」
「砂漠を追われ霊体の魔導士に生気を吸い取られて数年、ようやく出会えたの叔父上。父と姉の仇」
「……わしは老いたが、お前の美しさはさらに増したな。重畳なことだ」
残ったタゥイ族はもはやこのオアシスを拠点とするラムル族の民でもある。族長の娘ならば責任を取ってお前も下れと高言されたエヴレンが形のよい眉をひそめ、ムールクと吐き捨てた。
言葉の意味は俺にはわからない。
というかアルマディロスとやらの巨大トカゲがグルグル鳴いてやかましい。
背中から尻尾に向かって刺状に突起があり、金色の鱗が太陽光に反射して輝いている。
傘状に連なる暗褐色な尻尾の甲殻は鋭く研ぎ澄まされ、まるで半月の刃のようだ。
「その美貌ならば話は早くなる。貴族階級たるわしから族長の妾になるよう口を利いてやろう。子を産んで、ラムルの女として生き残れ」
金色のヨロイトカゲをけしかけんとばかりな青ターバンのおっさんが、ゆっくりとこちらを向いた。
肌の色が違う俺とは口も利く必要もないと判断されたらしい。
俺を一瞥した彼が顎をしゃくった。砂地がずしんと揺れる。体高三メートルほどはあろうかと思われる巨大なトカゲが四肢を踏みしめて咆哮したのだ。
そのアルマディロスが地を蹴った。
「白い二角獣も殺すな」
荒れ狂う砂塵のなかで視界が遮られ反応が遅れた。突進してきたトカゲが鋭い爪で突いてくる。かわしたことで砂漠の大地にそれが突き刺さった。
爬虫類もどきの怪物は、刺さった前足をそのまま砂地をめくるように、鋭い爪で薙ぎ払ってくる。
二段攻撃をかわせぬ似非サムライはまた宙を舞った。
幾度となく魔物と闘ってきたものの、今回に限っては付き添いの用件を舐めていた、といわねばなるまい。
旅を軽量化で切り抜けようとした杜撰さがここにきて悔やまれる。
さすがに白頭巾は装着してきたものの、頭部以外に思わぬ衝撃を受けることになった。
太陽を背にしたアルマディロスの巨体が浮き上がり、回転する。距離が近い。
サムライ大回転を先越されたような動きのなかで、尻尾の先の半月の刃がチェンソーのように俺の頭に叩きつけられた。
§§§§§§
這いつくばって砂の中から出る。
尻尾の振り下ろしをくらった頭は白頭巾に守られていたせいでかすり傷ひとつ受けなかったが、
そのまま胴体に沿った斬撃は鎧も小具足もない民族衣装を胸から腹まで真っ二つに切り裂いていた。
地肌に一筋の切れ目が入っている。この世界に来て初めての切り傷だった。
俺の名を呼ぶ黒白の声に混ざってトカゲの勝鬨のような咆哮、青ターバンのおっさんの高笑いが聞こえてきた。
まだ砂塵のカーテンは晴れない。
「年若い長が好まぬというのであればやむをえぬ……相手はわしになる。血は残さねばならぬ。どちらか選べ」
「タウィ族を裏切り、トカゲを使役する部族についたは叔父という立場から見た正義だと?」
白の独語のような台詞が冷たい。ポンチョのようになった自身の衣装に吹きかけながら、俺は砂煙を手で払って続きのやりとりを聞いた。
「数を減らす一族の将来も見えぬ義兄に何ができたのか。はびこる魔物相手にアラクランの尾だけでは到底歯が立たぬ。割拠する部族の争いも激化するばかりだ。あのままではわれらは確実に滅んでいた。ゆえに敵に通じた」
「自身の妻たるわが姉上を殺したのも、血を残す崇高な策謀の一環か」
こちらに駆け寄ろうとしていた黒が相手の開き直りに足を止め、叔父に向き直る。
タゥイ族のおっさんが青ターバンを顎下まで下げ、顔を露出させた。
ひげまみれな顔立ちながら鼻には共感を覚える。俺と同じ鷲鼻だ。
「妻も独歩に拘りすぎた。古風で頑固者、いい女だったが」
「悟りきった面で追いやった当人が憐憫の情を手向ける……狂うたの」
「砂刃」
名を呼ばれたアルマディロスが白に向かって跳ねた。ほぼ同時に、オアシスからの手勢がこちらにくるのを俺は察していた。
砂塵が入り乱れ、またも見通しが悪くなる。
「うお」
新手のターバン野郎たちは這いつくばったポンチョサムライに気付かず、トカゲの爪で蹂躙しながら俺の上を通り過ぎていく。
「あいてて」
あいてて程度ながら、それでも地肌に鋭い鉤爪が食い込んで痛い。
砂丘のなかで転げまわってると、紫のターバンを巻いた豪奢な出で立ちの若い男が、俺を踏みつけた白いターバンの手勢を従え、サイのように鼻の頭が角になっている小柄なアルマディロスから飛び降りて渦中に割り込んだ。
黒の叔父という中年に歩み寄り、よくやったと声をかけてゆっくり両手を叩いていた。
「ご苦労様やで。ああそうそう、そこの二角獣から手ェ引けや」
「ラムルの若長」
ラムル族の若者とやらがそう告げたことで、おっさんは砂刃と呼ばれた巨大トカゲの動きを制した。
圧し掛かられたメイ・ルーはもう少しで首に噛み付かれるところだった。
「べっぴんさんなタウィの娘もわいに任せえ」
「しかし」
「謀反人たるおどれに同族たるこの娘がいつか食いついてくるやろな、と思うて辛抱強く待ってたんや。数年かかるとは思わんかったが」
「そうできない理由があっての」
白を抱き起こす黒が視線を合わせず掃き捨てる。敵対する部族の若い長はがはっと白い歯を見せて笑った。
「ま、とりあえずな。裏切るやつはまた裏切る。利用価値のなくなった不義理もんに用はないわ」
「!」
黒褐色な若者の合図でサイのような角トカゲがおっさんに襲い掛かった。主から守れと命令された巨大金トカゲが族長の使い魔とぶつかり合う。
「用がない、とは」
「あんさんを重用したはタウィの宝石と詠われたエヴレンを誘い出すためや。残りのサソリの部族は奴隷として置いといたるけど、裏切りの主犯は殺処分せな」
「ばかな。わしはわしの一族のためもあったが、しかし事の発端は貴方の部族合一の誘いかけではないか。それを」
「誓約書もないし、知らんわそんなん。あんさんは金のアルマディロスを飼い慣らし、それを鍛える能力があって危険極まりない存在や。第一タウィ族を優先させるその思考がな、いかんで」
互角に争う角ディロスと金ディロスをよそに、数十名の部下が弓を構え、それぞれのトカゲをけしかけようとしている。
青ターバンのタゥイのおっさんは、すでに白ターバンの若い連中から逃げ道なしに包囲されていた。
「たばかられた……?」
「……」
怒涛の展開にエヴレンが驚愕し、同じ赤褐色の肌の叔父を見た。
四十路と見受けられる年齢の彼がしばしの間空を見上げ、髭を震わせてクックッと笑った。
「族長たる義兄と妻をあえて捨てたわしに対する答えが、この因果か。命がけの行動はまがいものであったのう」
おっさんの自嘲の言葉は人事ではない。
そんな狂おしく笑い続ける標的に向かって、敵になった側から弓矢が放たれた。