夢七十七話
川原で石組みのかまどを設置し、鍋に水とコンソメペーストをぶちこむ。
干しきのこ、干し肉、大豆、じゃがいも、たまねぎ、香辛料を加えてごちゃまぜスープを作る。
干しパンを浸して食うキャンプ料理のようなそれは、薄味ながら空腹のせいで絶品だった。
すぐ隣に座るミヤマに給仕され、あーんされつつも汁がついていると口元を拭かれ、まるでママンにお世話される幼児のごとき扱いを受ける。
冬の寒さに暖かいスープが身に染みた。
「ニャム姫の仇は風雲公にあらず、ゲレオン連合とやらの先手だと聞いた」
「ああ」
「しかし私にとっての仇敵は公やその影衆たる鷹の連中であることに違いはない」
がっつきを止めた当方の視線に、急いてはいないと白い歯を見せるミヤマがあーんといいながら木製スプーンを差し出してきた。
スープをいただくお子様なわが姿に微笑む慈母の姿がそこにある。
「青羽の再興は成った。後は私が跡継ぎを産むことで当主としての義務は一段落する。復讐を考えるのはその後だな」
「はあ」
彼女は手にした木製のカップに視線を落としながら喉の奥で笑っている。
「あんれまあ、仲良さげな若夫婦だこと」
山菜取りの帰りだと見てわかる恰好のケモ耳おばさんが、旅の人かえと尋ねてくる。
声がおばさん、見た目リスの亜人さんを振り返ってそうですと答えてみる。
「今な、コーツィの城はよそもんは入れんのよ」
「みたいですね。そのうちに引き返します」
赤茶色な体毛のおばさんが城に近寄るなよと念を押して、関所のほうへと背を向けた。
スープのおかわりを木皿に投入し、汁を飲み込んでいると、不意にミヤマがにゃがにゃがと呟いた。
彼女を見るとすでに音もなく立ち上がっており、その独り言はリスなおばさんの背に向けられていることを知る。
川原沿いから歩き出し、再度にゃがにゃがと呟いた烏の当主が、おばさんの反応がないことを確認して、手中の青羽を投げ放った。
のんびり眺めていた当方は思わずスープを吹く。
数本の羽がおばさんの背中ではなく広い野道に突き刺さった。ミヤマが標的を外すはずもない。
空に飛んだリスのような獣人が烏女に反撃するのを見て、じゃがいもを咀嚼しながら俺も腰を上げた。
相手の反撃が空を切ったことでまた座り直す。
「何するさね」
「何をしにいくつもりだ」
「自分のうちに帰る。よそもんがそれを聞くのかい?」
「自宅に戻るのなら帰り道が違うだろ」
ミヤマの言葉でおばさんが獣の目を細めた。対峙する二人を観察しながらキノコを食す。
「帰り道が違う? 一体どういう」
「獣人種でも赤い君はニャム姫の一族ではない」
「コーツィの女は薄い桃色じゃで、わしも赤で何の問題が」
「二度ほどコーツィ流の挨拶で試してみた。それを知らないのが問題だ」
「何をほざくか、無体なよそもんめ」
干しパンときのこスープの昼飯を終え、果実酒を口にしながらよっこいせ、とあらためて立ち上がる。
ミヤマに飛び掛かろうとしたリスのおばさんが後ずさった。
隙のない烏の構えを見て強敵だと悟ったのか、やってきたほうの山を振り返っている。
鈍感サムライがようやく山腹あたりの気配に気付いた。
「ミヤマん、おばさんはまかせる」
「ウンシンどのは?」
「なんか山のなかから兵気がする」
「おのれっ」
おばさんの殺気が飛んできた。両手の皮膜を広げてこちらに飛翔してくる姿はリスというよりムササビである。
その鋭い鉤爪による振り下ろしを正面から受けたが、そのまま背を向け、山の麓から獣道を駆け上った。
えっ効いてない? という背後の声を耳にするのは慣れている。山登りを開始してすぐ、おばさんの口笛が麓から聞こえてきた。
坂を上ってすぐに、口笛に対するリアクションがあらわれた。
いつの間にかムササビの集団に囲まれている。
赤茶色な体毛の亜人が口から白い息を吐きながら間合いを詰めてきた。
「ツインコーツィ城塞の油断を衝くつもりが、最悪の瞬間に来てしまったようだ」
手勢を率いる長らしきムササビがなぜ見破られたのかと舌打ちしていた。
ニャム姫と親しいミヤマだからこそ知る合言葉を、ムササビおばさんは知らなかったと見える。
「おのれがサムライ・ウンシンだな。銀の霊気の使い手」
「そちらさんは」
「コーツィどもの仇敵なり」
赤茶色の獣人が赤い目を見開いて鉤爪を振りかぶってくる。
誇らしげに自分からゲレオン連合王国のとか、ブライトクロイツ二十四将だとか、得意気に語るかと思ったが、赤い側の一人であろう長は所属先を明らかにしなかった。
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赤茶色の機動部隊を山中にていてこますのに結構な時間を必要とした。
木々に飛び移る敵の素早い動きについていけず、ダメージはなくともふるぼっこにされたわけだが、自然破壊という懲りない悪行を繰り返す小悪党の太刀一振りで、まとめて星にしてやった次第である。
森林の一部とムササビ部隊がどこまで飛んでいったかは判別できない。しかし後方で待機していた長らしき相手は戦略的撤退だと顔色ひとつ変えず、一人無傷で去っていった。
「わしゃ当分ここに居座る。引き返してきたらまた飛ばすぞ」
山上に向かって偽りの情報を吹き込んでおいた。
銀の霊気駄々漏れな当方ながら、それは調節できるのだとさらに嘘をつく。
まだ本気ではないであろうゲレオンの侵攻に対して、似非サムライの虚名を利用することで一時しのぎにはなるだろう。
はげ山を下って麓へ戻る。
広い道幅の野道のむこうで、ミヤマがムササビのおばさんをかついでいるのが見えてきた。
「少々手こずった」
「ご苦労様です」
「手勢を蹴散らしたウンシンどのほど働いてはいない」
濃紺の髪を風になびかせ、にっこり微笑んだ彼女がはるか遠くの関所方面へ振り返った。
動かした視線の先に、二人の亜人と槍使いの姿がある。
「銀どのー!」
どどどどと砂煙を上げながら疾走してくるヤマアラシ風なネコ娘が、元気な声で俺のあだ名を呼んでいる。
仇を前に表情を歪ませていた数時間前とは違い、何か吹っ切れたかのような明るい顔を見せていた。しかし泣きかけのその目は赤い。
「どーん」
「おう」
飛び込んでくるニャム姫を受け止める。城内で安置されている(たぶんお墓だろう)兄上と会ったとか、風雲公に降った一族と話をつけてきたとかを早口に語っている。
この場合、あほが余計な口を挟んではならない。ひたすらうんうんと聞く側に回る。
その間、コーツィ一族のマウマウとラウ・クーダー風雲公は、城に侵入しようとしたムササビを担ぐミヤマとなにやら話し合っていた。
「兄上を見て泣きかけたが、なんとかふんばったにゃむ」
「うむ」
マウマウ以下の一族の待遇やら、城下の獣民たちへの統治ぶりやら、文句つけたろかの当てが外れた、とニャム姫はかなり悔しそうにプンスカしていた。
より強力な主のもとで中興するツインコーツィ領に複雑な思いを抱いているようで、そんな不満を俺にぶつけてくる。赤茶色のムササビを退治したいきさつを説明していると、自分も暴れたいぞとじたばたし始めた。
「ニャム姫」
彼女を平坦な草原に誘う。組み手なら相手になるぞと伝えてみる。
「にゃ?」
「どんと来い」
「……にゃむ!」
耳と尻尾をピーンと逆立てながら飛び上がったネコ娘とがっしり素手で組み合う。
「姫さまー」
「後にしろい!」
統治者の青年と実質的な政務を司るコーツィの一族が城に戻ると告げてきた。
彼女はそれに背を向けたまま俺と力比べを挑んでくる。
ニャム姫がうううと唸る。
それを聞いたミヤマがこちらを見ずに、川原のそばにあった石組みのかまどのほうへと向かった。
「悲しいとか、寂しいとか、残された一族はそんな泣き叫んでいる暇はないって、領内を見回ってそう感じたにゃむ」
「……」
「でもニャムにはその時間はあって」
二人だけになったこの草原で、表情を崩したネコ娘がようやく本音を漏らし始めた。
俺は面を背けず頷いた。
「ここで受け継がれていくコーツィの血を、落ち延びたニャムは外で見続けることになるんだ」
「そうか」
腕力自慢の圧力を受けて思わず仰け反った。鬼気迫る力だった。
「城塞に主は二人もいらない。もうコーツィはニャム抜きでやっていける」
ぶわっと涙があふれたと同時に、彼女が吼えた。
「いらない子にゃ」
「もう俺のうちにいる子だから、今更あの城に戻られても困る」
見開いたニャム姫の瞳に、わがまぬけ顔が映っている。
イケメンとは程遠い自身の姿に問いかけるように言い放った。
「新しいおうちに帰ろう。そこにニャム姫の部屋もある」
わーんと大泣きした相手が首元に飛びついてくる。
再度の父性を感じつつ、もふもふな体を抱きしめた。
遺跡を改築した物件に新しいおうちとはおかしな話だが、それは深く考えないことにする。