夢七十六話
領主の居城を山上に、それをとりまく石の家が点在し、平地に田園が広がる一帯がツインコーツィ獣人公の支配地域だった。
今ではそれに取って代わった槍使いが、アルダーヒル内陸中東部の代表的な軍閥になっている。
内乱から風雲公の台頭に至るまで戦火にさらされた領地の痛手は、見た目でもわかるほどに大きい。
「それでも城も町も田畑もまだ健在にゃ……」
盆地のなかの小高い山城と居住地、田園を見下ろせる場所でニャム姫が臍をかんでいる。
故郷にノスタルジーを感じながらそれどころではない、といった様子だった。
山麓を目指して獣道を下る。当然のように麓から進んだ先には関所があって、外部からの侵入者を防いでいるのが見えた。
ツインコーツィのお姫さまがアポなし訪問をしたとて、生き残りがいたぞと追い掛け回されるだけだろう。
「ニャム・ツインコーツィたるもの、お城への抜け道くらいは心得ているにゃむ」
関所から遠く離れ、山城を取り巻くとある石壁の前で、ネコ娘が袖をまくってしゃがみこんだ。
にゃぐぐぐとの気合とともに、積み重ねられた石の一部を引き抜く。
尋常ではありえない膂力で持ち上げたそれを地に下ろす。十人力というより百人力の力自慢が腰をかがめて中に入ろうとしたとき、内側から出てきた何者かの存在に気付いてひゃっと尻餅をついていた。
ミヤマが身構える。烏女の殺気に当てられた相手も同じように、なうっとひるんでいた。
「にゃにものかっ!」
「味方まう!」
ニャム姫の問いかけにおかしな語尾を放つ誰かの返答が飛んできた。
砂埃のなかから出てきたのは、ヤマアラシのような髪をしたネコ娘と同じく、ネズミっぽい娘っこだった。
「にゃっ?!」
耳と尻尾が跳ね立った双方の獣人が互いの顔を近づけてわめいている。
彼女たちにしか通じない言語でにゃがにゃが言い合っていたが、そのうちに穴から出てきた見覚えのある男が登場するやいなや、ニャム姫が殺気を爆発させた。
「おいおい待てよお姫さん」
踵落としを避けて郊外へと逃げる男に彼女が続く。ネズミ娘もミヤマも地を蹴った。黒ねじりの槍を背に負った男がどこかへ案内するように走るのを、俺は最後尾から追いかけた。
§§§§§§
「ラウ・クーダー風雲公、ツインコーツィ一族の仇だっ」
郊外よりもさらに遠く、盆地を囲む山の麓でそう表現された青年は、ようやく足を止めて振り返った。
まるで我々のアポなし訪問に気付いていたかのような様相で草原のなかを歩きだし、そこにある古い山小屋を指差している。
そこで話し合おうといった風雲公の素振りにも、プンスカ中のニャム姫はおかまいなしに飛び掛る。
「ニャム姫さまっ、マウたちが待ち構えていたのは」
「マウマウは黙ってろい!」
ネズミ娘を叱り付けるようにネコ娘が叫ぶ。冬空の下、枯れた草原を舞台に死合いもどきが始まった。
「オレにはそのつもりがねえんだけどな。いきなり現れたサムライの霊気に仰天して出迎えただけだってのに」
「ニャムにはある!」
言い訳を口にする藍色の騎士が踵落としを片手で受けるも、表情を歪ませた。
バカ力にも程がある、と唇が動く。
パンツ姿のボトムということで、ニャム姫は大開脚な蹴り技を連続で叩き込んでいた。
「あの男は私にとっても仇」
ミヤマの言葉にマウマウとやらが反応した。
「姫を匿ってくれていた影のお方、それは違うまう」
「何が違う?」
ズシンドドンという重低音を聞きながら俺も耳をそばだてる。ネズミ娘が風雲公は恩人だと言い切った。
「あれは内乱中のツインコーツィ城塞を乗っ取った火事場泥棒では?」
「ワム獣人公を毒殺した手練れを討つ。内乱の手引きをしていた裏切りもののコーツィ一族を放逐する。そんな乗っ取りの手合いを一掃してくれたのがあのお方」
「戦乱の時期を待っていいとこどりをしただけだ」
「それでも、まう」
公がいなければ得体の知れない赤い連中に城を占拠され、残ったコーツィたちもどうなったかわからない、とマウマウがミヤマに反論する。
「われわれ一族は手厚く保護され、かくいうマウも側近として仕えている。勝ち誇った赤いやつらのな、わしらに寝返った獣人ともどもコーツィ一族は皆殺しだ、とほざいていたのを宮殿にいた誰もが見聞きしていたぞ。それに比べたら」
戦闘中でも耳のよいニャム姫に聞かせるようなマウマウの台詞だった。
「不幸中につけこんだ野心家から、領内の慰撫要員として利用されているのがわからぬか」
「公の政権は現在安定しつつある。赤い手先を追い出し、一族はそんな彼と彼に従う影の保護下にあって存続している。それこそ火事場泥棒的な動きを見せる周辺の軍閥から守ってくれているのだ」
「……その影とやらはわが青羽の天敵。鷹のやつらに本拠ごと壊滅させられた恨みは忘れぬ」
「鷹の衆こそ壊滅中まう。上翼のほとんどがサムライによって再起不能になっている」
影の実戦部隊は集団の体を成していないと説明されて思わず首をすくめた。
わずかの護衛や諜報の人員だけはなんとか確保できているとのことだが、先に天敵の青羽に手を出したのは鷹のほうであり、エゴサムライとしては自業自得だというスタンスは譲れない。
「では風雲公は成り上がりの野心家ではなく救国の勇者だと?」
「内乱のなかであのお方と我々の利害が一致した。それで一族殲滅を免れた。そこに善悪などは関係ないし、公自身が救世主だと思っているはずがない。コーツィの枠内から外れてすでに数年のニャム姫には、そんなややこしい関係がわからんのだ」
「マウマウは現実主義にゃむ!」
聞いていたネコ娘が吼える。ワム獣人公から後事を託されたので、と冷静に言い放つネズミ娘の横顔を見る。
残った同胞の血を残す使命にとらわれてしまった彼女に共感を覚えたのか、ミヤマはもう何も言わなくなった。
「サムライの霊気を放つお姫さん。あんた手を抜ける相手じゃねえから、ちょっと本気で押さえにかかるぜ」
漆黒のオーラ、竜族最上位の霊気が風雲公の体から放たれた。
草原がごうっと波打つ。小手先で迎え撃つには剛力すぎるニャム姫の重たい攻撃に辟易した青年の対抗手段だった。
にゃむ、と彼女が悲鳴を上げる。
「世知辛い世の中だ。あんたみたいな腹芸のできない世間知らずの娘は住みにくかろう。いっそ引導を渡してやっても」
竜気にまみれた黒い槍がネコ娘にせまったが、その前に俺も跳んでいた。
それを予測していたかのようにラウ・クーダーが槍先を向けてくる。同時に太刀を抜いた。
「サムライ!」
「おう」
俺と打ち合うのが楽しくて仕方がないといった藍色の騎士の気合いを受けながら、横目でツインコーツィ一族二人とミヤマを窺う。
何やら言い合いしているようだが黒ねじりの切っ先を頬に受けて、眼前の大敵に意識を集中した。
風雲公のエメラルドの瞳が赤く光る。頂上竜の魔素をさらに取り込んでいるようだ。
「試みに聞こう。エヴレンは……あれはまだあんたのそばにいるのか」
「とりあえず」
藤色の髪と赤褐色の肌のイケメンが、刃合わせのなかで見える狂気のなかの正気な瞳を向けてくる。
ヤーシャールの魔素を取り込みつつも、飲み込まれる寸前で踏みとどまっている彼の心の支えに対し、こちらとしては言葉を選ばねばならない。
「あんたがいてよかったよ」
ニャム姫には手加減できないと言いながら、それとは比較にならない突撃をかましてくる風雲公の槍を避けながら聞く。
「あの子はこの世界でもっともでたらめな力に守られていて、いかなる危機にも晒されることはない。あんたがいるから安心できるし、邪神の角を手に入れたオレも慢心している暇がない」
彼の懐に入ろうとしたが、相手は獲物を横なぎに払ってきた。慌てて後ずさる。
「おかげさんで南下東進してくる赤いやつらと理性的にやりあうことができたってわけだ。分裂したコーツィ一族につけこんだのも、青羽とやらの掃討に一枚かんだのも成り上がりの一環ってやつでね」
同じ悪党でも大物と小物とがあるとすれば、彼は前者、俺は後者になるだろう。
双方とも共通しているのは、善人ぶるほど心が強くないといったところだろうか。
「四者会談の折にはエヴレンに会って……おっと」
サムライキックをかわした風雲公が、話が一段落ついた様子の獣人たちを見て槍の構えを解いた。
マウマウに促され歩き出したニャム姫の行く先は、ツインコーツィ城塞内だろう。
ミヤマが俺に手招きしている。
「ウンシンどのは嵐を呼ぶ男。姫の里帰りに混乱を引き入れることもあるまい。私と郊外で待機しよう」
「へい」
的を射すぎる災厄呼ばわりに反論はない。じゃあなサムライ、と死合い友達のようになったラウ・クーダー風雲公におう、と返事をし、フードを下ろした濃紺の髪の美人さんの手を取った。
ぐううと腹がなる。近くの川沿いでアウトドア料理としゃれこもう。