夢七十三話
「……少しは気が晴れた」
銀の霊気を放つ大剣を地に落として、大柄な女剣士が尻餅をついた。
広大なクラスタール樹海にある岩石採掘場が今回も模擬戦の舞台になっていた。
建材の調達に出かけた俺に同行してきた傷心のジュディッタ姫が、思う存分鬱憤を発散せきる場所を得て、いくぶん表情を和らげている。
力を存分に出し切った後の平坦な岩盤は、地震の後のような亀裂や起伏の地形を生んでいた。
ほぼ魔物しかおらず、各勢力の緩衝地帯のような区域でないと、もはやジュディッタ姫ほどの剣豪が気兼ねなく戦える場所は残されてはいない。
夫たるヤル・ワーウィックが治める丘陵や交易通路のある平原では、気軽に自然破壊などできぬとの仰せだ。
「わらわは死合いのつもりで打ちかかったが」
「かなりの気合いでした」
「それを指二本で受け止める。そして片手の中指一本でわらわを弾き飛ばす。女剣豪と呼ばれたとて、所詮はサムライの足元にも及ばん」
姫の大上段からの斬撃を指で真剣白刃取り、デコピンで反撃、防戦に徹していた俺が思わず手を出したのは、それこそ女剣豪最強と思われる相手の怒涛の攻撃に逃げ疲れたからだ。
採掘場の壁にぶち当てるほど吹き飛ばした。やりすぎたかと当方は慌てるも、彼女は自慢げに立ち上がり、以前ならわらわは腰砕けになっていた、と踏ん反り返る。しかし息を乱して剣を落とした、という成り行きになっている。
「復讐するなら成せる場合にのみにせよと。そうでないと我らは浮かばれぬ。そう父や兄は言っていた」
「……」
「今のこの状況は歯がゆくてならん。だがわらわはそなたの娘たちを見てきたぞ。あれらの何人かは復讐の相手が存在する。しかしその誰もがあだ討ちに逸ってはいない。エヴやメイなどは一族を追い詰めた魔物を許し、共存しようとする始末だ。それもこれも、サムライのでたらめを目の当たりしたからだろう」
ジュディッタ姫が小石を拾い、放り投げる。彼女はやるせなく口角を上げていた。
「相手がつまらぬ存在に成り下がったとき、そのつまらぬものに拘って闇雲になる自身の滑稽さに気がつく、そうあれらは言っておった。アリを踏み潰したところで失った命は戻ってはこない、という上から目線の解釈には笑ったわ」
腰を下ろす姫の横に立って話を聞き続けた。
「いつでもできる復讐など復讐でないとさ。そんなあほうな考えに至るほど、わらわの心のうちはまだ練れてはおらん。今はゲレオンのやつらめに対抗しようとする王の、東アルダーヒル連合の構想に賛同するのみだ」
竹筒に入れた清涼水を口飲みする彼女の男らしい仕草を見下ろす。ほれと放り投げてくるそれを受け取って飲み干した。
「まあしかし、四勢力のなかでも近頃売り出し中の風雲公とも縁故があるとは、ウンシンも顔が広い」
「冒険王はいろいろと早耳のようで」
「有力な軍閥はみな「目」たる魔道士を飼っている」
「ああそうでした」
鳥頭の頷きにジュディッタ姫が気持ちの余裕を取り戻したかのような苦笑を見せたとき、採掘場にポチャとホソのメイドコンビがやってきた。
二人だけで危険な樹海までどうやってと吃驚しかけたものの、その後に続いて森の中から姿をあらわしたサソリ娘と上位竜族の若君を確認して納得する。同時にエヴレンとその護衛が里帰りから帰還したことを知った。
「親族を置いて天涯孤独になる覚悟でわらわの元についてきたポチャもホソも、女中にして武人の心を持つものたちだ。実際身寄りはなくなったが、それについてはもう何も言うまい」
ぽっちゃりとほっそりの女騎士が本業の役割を果たすべく、姫様お疲れでさまでございます、と傅いて汗だらけかすり傷な姫の身づくろいをし始めた。
それをよそに、藤色の長い髪をポニーテールにした赤褐色の美人さんが、それっと飛びついてくるのを受け止めた。
彫りの深いアーリア人のような、目鼻立ちのはっきりした彼女に頬ずりされながらおかえりと告げた。
ゆっくり歩いてくる灰色の若き竜人に同行の労をねぎらう(上から目線)暇もなく、数日前に会った冒険王との会談の内容を説明する。
ジュディッタ姫の堂々たる着替えに野郎どもは背を向けた形で話を続けた。
「生き神さまを補給するのじゃ」
抱きついて離れないエヴレンの背中に手を回したまま、ドラーゲン・ハイ・イェンの後継者に、東アルダーヒル共同戦線参加を求めてみた。
「予想していたのは風雲公とやらに対するわれらと冒険王との共闘だったが、事態は東部に収まる程度のものではなくなったということか。アルダーヒル全体を巻き込むほどに」
「西世界への玄関口だったベルグラーノ城塞が落ちた。ゲレオン連合という騎馬民族の機動力を考えると、中原はおろかこの東に侵攻してくるのは時間の問題というやつで」
黒のちゅっちゅで言葉が止まる。ドーテイがふむと相槌を打ちながらも俺の足を踏んでくる。
彼はタウィ一族であるラウ・クーダー風雲公については、エヴレンの手前多くを語らない。
こちらとしても昔馴染みの間柄に口を挟むつもりはなく、ハイ・イェンの竜人部隊の参戦を求めるのみだった。
「父上はその性格上、ゲレオンなる勢力の侵略にも慎重に対応するはずだ。それが本物か、冒険王ら東アルダーヒル諸勢力を駆逐できるほど強大なものか……「目」からだけではない情報を求めるだろう」
ドーテイのジト目を受けながら、彼の話に耳を傾ける。
黒のこそばゆいちゅーが熱を帯びるほど、嫉妬のドラゴニックオーラが湧き上がってくるのがわかった。
「我か一族のイェロヒムか、どちらかが前線を確認してから後詰を仰いでもよい。巧遅はあっても拙速がない大勢力の業で、よくも悪くもハイ・イェンは腰が重い」
「しかしながら共闘することに否やはないのじゃな?」
「……そうしないとエヴレンどのの手料理が食せない」
サソリ娘はハイ・イェンの若君の胃袋をつかむことで、彼をさらなるイエスマンに昇華させたようだ。
よい心がけじゃ、と偉そうにふるまう彼女のにっこりにドーテイが相好を崩す。
話はすんだかと身支度を整えてやってきた金髪姫に対し、黒がすんだと何事もなく返答する。女剣豪はそれに対してさすがだなと俺の肩を叩いてきた。
「俺は何もしてませんけど」
「エヴが歌えば若君が踊る。ミヤも同じく、一言発すればハイ・イェン一族の次期当主が動く。さらにはメイも魔道シストラ家の公子に強い影響力を持っている。それもこれも」
「生き神さまがいればこそじゃ。この人はそこにいるだけで嵐を呼ぶ」
前世界でなんかそういう男がいたような気がしたが、それを知る世代でないのでよくわからない。
「四者会談もそう遠い話ではあるまい。負傷中の魔道公や老齢の竜人公ならば若手の後継者で代行できるはず」
「メイ・ルーはその件ですでに東へ旅立ったそうじゃし、わしも早々にドラーゲン城塞にとんぼ返りじゃな」
「里帰りともいえましょう」
気安くほざいたドーテイがなんでやねん、という黒の強烈なツッコミを受けていた。
アラクランの尾を頭にくらったのか、ぐおおと唸って転がり回っている。
「白もわしも生き神さまのためだけに奔走するのじゃ。別にアルダーヒルの軍閥どもがどうなってもかまわん」
「価値観の違いはあれど、ウンシンがある限りわらわ女どもは共闘できる。ニャム姫もミヤもそうだ」
「しかしながら数日はスラム街の館でこのおかしな神さまに甘える。補給を完遂しないと道中で死んでしまうわ」
「なるほどいいことを聞いた。ではわらわも」
「夫のある貴方は城で養生しておけい!」
女二人がにらみ合う。俺はもうええかと話の場から離れて岩石の採掘作業に打ち込んだ。
建材調達にまい進する当方はしばらくお使いを封印、外交官な娘たちの行ったり来たりを館で迎えるオカンな立場で留まっていよう。
改築工事の完了はまだ先の夢だ。