夢七話
壷の中で煮られたトマト煮込みのブイヨンスープを木製の皿に取り分け、行儀悪く汁をすすりこんだ。
羊肉にキャベツ、玉ねぎ、紫人参などの具をほお張る。
それとともにチーズ、ザクロの種、かぼちゃを練りこんだピロシキのようなものをドカ食い。飲み物は牛乳やワイン。
赤褐色の巫女が営む占いの館にてすごすこと一週間、このような夕食の風景はもはや慣れつつある。
白い壁や鏡で反射させてランプの明かりを増やし、夜の室内ながら十分な光源は確保できている。
テーブル脇では白毛二角獣のメイ・ルーが人間と同じ食事を口にしていた。
老婆の姿は見ていても、若返った彼女の人化は未だ知らずの状態だった。
「若さを取り戻した今こそ人になればよかろうに、本来の姿で引きこもっておるとは意外じゃな」
「本来の姿を見せない三本足から言われたくない」
ぶるると白がいななくことで食事終了の合図を受けた当方は、彼女が飲食していた皿を拾い上げた。
馬のわりには小食、人間としてなら大食らいといった量で満腹に至るらしい。
桶のごとき皿から食後のワインをがぶ飲みする馬の珍妙さを窺いながら、俺もグラスを手に取って居間のテーブルに着席した。
メイ・ルーには棲家を引き払った際に持ち帰ってきた食料財宝があり、俺もモンスターの部位破壊で得た素材がまだ余っているし、互いにエヴレンの同居人ながら穀潰しではない。
対価を払って共同生活を営んでいる。
食後に暖かいハーブティをいただきながら、ようやく落ち着いて自身を語る(残念ながらほぼ嘘)時間を得ることができた。
邪神退転騒動の余波はいまだに続いているものの、家主たるエヴレンと権力者のワーウィック冒険王から滞在許可を得たのは大きい。
城塞内に設置されている薬草園から王直々に手渡しされたハーブの匂いを堪能しながら、陶磁の器を傾ける。
「東の果てからやってきたサムライ、ウンシン。名の意味は雲の心」
「ただの浪人ですけどね」
黒の独語にフリーターをごまかしてそう言い返す。
いつの間におねむしに行ったのか、隣の部屋から二角獣の寝息が聞こえてくる。
馬型の酔っぱらいがふかふかの敷物の上で、脱力しながら横になっていた。
何故だか人化しなくとも人臭いお馬さんだ。
「とりあえずあてのない旅なら、わしがその道筋を考えてやろう。なに家主としての当然の気遣いじゃ、遠慮はいらんぞ」
「可愛い顔がへらへら崩れてるぞ。なんか企んでやがるな」
「わしを婆ぁ呼ばわりしおったくせに、今更事実の肯定などいらん」
すねて唇を尖らせる赤褐色な肌の美人が、腕を組んでぷいっとよそを向いた。
紅がかった藤色のポニーテールが揺れている。
前髪が頬に垂れ下がるひとふさのそれは編みこまれて(前世界でいうブレイズ)いた。タウィ族の特有の髪型のようだ。
冒険王から男顔ながら楚々と色気を兼ね備えている、と絶賛され、傾国の恐れすらあって上界に引っ張り込めないと断念させたほどの美貌は、いつ見ても目の保養だった。
若返ってからのそんな彼女に、夢人ならではの余裕として鑑賞するだけに留めておいた俺の行動は、多少なりとも彼女から評価されているようだ。
「人の身ではありえぬ銀の霊気の使い手じゃというに、主は自身を失うことなく、驕りも誇りもせず至って泰然としておる。あの魔道士のように力に溺れて暴走などせん」
見る目のない絶世の美人からの言葉に頷いてハーブティをすする。
むせかけてエヴレンから背中をさすられた。
「助けてやったと恩を感じさせるわけでもない。能力あるものはそれに応じて成り上がりたくなるものじゃが、冒険王との縁故も利用せず浪人がよいという。部族長の娘として過ごし十年余、スラム街で婆として過ごすこと数年、上下の世界を知るわしの目から見れば、サムライ・ウンシンなる東の果ての男は、神かあほうか判別がつかない浮世のものじゃ」
「じゃあアホでお願いします」
軍神の化身、龍と称されたサムライ、いずれもそれを模しただけの一般人なもので、過大な見積もりは背筋が寒くなるばかりだ。
こちらとしては正義どころか偽善になるのもある程度の心構えが必要になる。
小心者は小悪党でいるほうが精神的に楽でいい。
城塞の経営に関わったり、スラム街を変えようとしたり、アルダーヒル地方を変革するために何かリアクションを起こす、そういう成り行きは至高の存在であった邪神ヤーシャールを追っ払った(何も考えず一番幸せだった瞬間)だけで十分だった。
かのものを退転させたのは私です、と名乗り出る時期はすでに逃している。
「ではその人のよいアホにもうひとつ、わしからのお願いが」
テーブルを挟んで座っていた艶めかしい十代の娘が、黒いフード付きの上着を脱いで立ち上がり、身を乗り出して台座に手をついた。
紫のロングドレス一枚になったことで、切れ込んだ赤褐色の胸元からは、寄せて上げる必要のない綺麗なお胸の谷間が見える。
「こんなん拒否れませんわ」
「心の声が漏れておるぞ」
厚いほうの下唇をかんでくっくっと笑う黒の声を聞いのか、不快な反応を示したのは隣の部屋の白だった。
床板を軋ませ、起き出して来たと思ったら、残った片方の角で俺の横っ腹を突いてくる。
うへっと身をよじったのを見たメイ・ルーが、普通の人間ならさっくり背中まで貫通する勢いで突いたのに、という剣呑な台詞を放っていた。
肘をついてこちらを窺う黒のにこにこな表情も不穏である。
最後にもう一度エヴレンの胸元を凝視してから、酔ったふりで別室にある寝床に逃げ戻った。
§§§§§§
東アルダーヒルからまたも南下し、シウバウの森を通過して山を越える。
目的地の乾燥地帯には、ラクダの隊商を組みながら東西交易通路を経て手に入れてきた品を、オアシスの民たちや在地商人、領主らに売って生計を立てている者がいる。
代々オアシスに根を張るタウィ族も、そんな集団のひとつらしい。
「じゃが水利を巡って他の部族と対立し、内訌もあってわしらは一族は敵に下った。父を討たれたわしは東アルダーヒル地方まで逃れ、そこであの霊体魔道士に生気を食われたわけじゃ」
「でも若返ったとたん数年越しに望郷の念が沸いた」
「うむ。生き残りの同胞の現在を知る叔父から、ようやくにして連絡が来たのでな」
分析するような白の言葉を受け、その鞍に乗るエヴレンが頷く。
黒を背に乗せることに難色を示していたものの、俺が頼み込んで旅路の短縮に成功している状態だった。
代わりに一日一回の行水にこだわるメイ・ルーの綺麗好きに借り出されている。
たてがみや尻尾の手入れ、背中流しに必要な水辺の確保は俺の役目だった。
そんな当方は長距離を駆ける二角獣の並走にあたって、鎧、太刀、皮リュックなどのかさばるものは館に置いてきた。
白頭巾に数珠が似非サムライの持込みアイテムだ。
首から下はアルダーヒル地方の民族衣装で、さらなる旅装の軽量化に成功している。
「もう少し砂漠を進めば、案内役の叔父が出迎えに来てくれるとのことじゃが」
「裏切り者たる叔父とやらに冷静でいられるか、心配」
エヴレンがメイ・ルーの煽りに台詞を中断されたが、かすかに笑って終わった。その横顔は推し量りがたい感情を示している。
単純な男が口を挟むことではない。
乾燥地帯もなんのその、だてに希少種族を名乗ってはいない白が砂地の丘陵を駆け抜ける。
きつい日差しを受けて走ること数刻、ようやくオアシスが近くなってきた。石造りの集落やそれをとりまく木々が見える。
「ウンシン!」
異口同音の叫びを黒白から受けて彼女らを見た。一人を乗せた一頭は跳躍していた。
俺といえば、上空に打ち上げられながら、砂埃のなかからあらわれた茶色の外殻をした巨大トカゲに目を剥いた。
「アルマディロス……」
黒がそれの名を呼び、凝視して立ちつくす。落下して砂のなかに突き刺さった俺の体勢はまさになんとか家の一族そのもの。
白の角に引っ掛けられ救い出されてみれば、離散した一族の娘エヴレンが大トカゲを従えた何者かと向かいあっていた。
砂埃のなかで夢はまだ続いている。