夢六十八話
高原を越え山を越え、単身旅人の数日を経て青羽衆が本拠であった山麓までやってきた。
名高い影衆が滅亡後は砦や山塞に盗賊や不逞の輩が入り込んでいると予測していたが、こうして見ると静かなものだ。
少なくとも現時点ではそうだった。
登山道のような坂をのらりくらりと進む。それが獣道になった山の中腹くらいにさしかかると、賊徒ではありえない峻烈な争いの音が聞こえてきた。
気のぶつかり合いでもあり、ズズズとかゴゴゴとか尋常ではない地響きが耳をつんざく。
上位の魔物か、人種としても相当な傑物どうしの激突を想像しながら、石畳の闘技場が見える坂の上まで駆け上がった。
かつて訪れたこともあり、ある程度の土地勘はある。
そんな腕試しの場所に足を踏み入れたときには、見覚えのある魔物が見覚えのある鷹の影部隊を蹴散らした後のことだった。
「……キサマ」
「お、こいつぁ」
散らばって倒れこむ数十人の鷹を一瞥して、弓を構えた赤鎧の騎士がフードを下ろしてこちらを見た。
細い目、細長い体つきの薄気味悪い男は、仇敵めと口走りながらマウリッツ・デューリングと名乗っていたが、鳥頭の俺は以前に聞いていたその名を完全に忘れていたため、ああ君ねともっともらしく頷いてみせたものの、まだ認識はしていない。
もう一人のがさつそうな口調の男は弓使いよりさらに細い。魔道士のようないでたちのひょろひょろ野郎が赤いマントを捲り上げて、いい獲物を見つけた、と四つ足の姿勢でくかかと笑っている。
「えーっと名前」
「ブライトクロイツ二十四将がひとり、ジャイ・タイ。おめえ本当に覚えてねえのな」
弓使いが蜂、四つ足が蜘蛛の亜人だと知らされて、ベルグラーノ城塞に攻めてきたゲレオン連合王国の将軍たちだとようやく思い出した。
「こんなとこまで来て何の用だ?」
「オレらぁは上級指揮官だとふんぞり返って後方で督戦なんて性に合わねえんだ。常在戦場の使いっぱしりこそ武辺の心意気だろうが」
「そうすね」
使いっぱしりというワードに共感して頷く。理由を聞いているのにはぐらかされたことは口にすまい。
赤備えたる彼ら二人に近寄りかけた瞬間、背後から凄まじい風圧を感じて飛びずさる。
「影の手練れがようやく登場か」
蜂男が向き直る。跳躍して石畳の闘技場に降り立った何者かがのっそりと起き上がっていた。
「あれ、君は」
「サムライ? なんでここに」
「青羽は俺の身内も同然。いろいろ収集しにきた」
「そうかい」
「影ではない……?」
蜂の問いに、黒い霊気を纏う禍々しい槍の主は苦々しく答えた。
不甲斐ない手下が影の尻拭いだ、と藤色の髪を揺らして身構えている。
赤褐色の肌のイケメン、ラウ・クーダー風雲公だった。
濃紺の鎧、黒いブーツという格好は相変わらずのようだ。
そんな彼が来訪の理由を告げている。
「ゲレオンが北方を制し、南下して東までちょっかいをかけようとしているのはわかっていた。アルダーヒル全土の併呑が目的なら、あんたらは東の出先のようなこの山を必ず調べにくる。そう考えて鷹に見張らせていたんだが、先手を取られたようだな」
「鼻の利く野郎がいたもんだ。出自の怪しい風雲公とやら、おめえ一人で連合王国とどうやりあうつもりだ?」
鷹の影衆など眼中にはない言動で蜘蛛が吼える。成り上がりのオレについた鷹どもは度重なる連戦で人材不足だからな、しょうがねえと風雲公が肩をすくめている。青羽衆の仇敵たる彼らを叩きのめしたのは俺だということを、このときの俺は気付いていない。
「四方に敵を抱えるオレですら、北方民族のあんたらに東南アルダーヒルを蹂躙させるわけにはいかねえって思っている。腰の重い他の軍閥もそのうち巻き込んでやるさ。しかしまずはオレから動かねえと」
「若造、目端の利きと腕を両立させているのだろうな?」
蜂がそう言いながら弓を引き絞る。蜘蛛の手から糸が放たれた。
§§§§§§
楕円形の闘技場といっても元は野ざらしの遺跡であり、青羽衆壊滅とともに地盤の石畳やら周囲の施設はさらに荒廃していた。
そんなでこぼこになった岩石のひとつに腰掛ける。
いにしえの観客席の位置で、二対一の戦闘を見守った。
「見物かよ」
「槍使いのあとはキサマだサムライ、逃げるなよ」
蜘蛛や蜂の苦々しい表情をスルーしながら飲み物を口にする。
邪神の槍使いと亜人が激突の余波を受け、岩から転げ落ちた。
ガッキンガッシン鋭い音響のなか、岩の下の影に見え隠れしている何かに気付いてうつ伏せのまま手を伸ばす。
見覚えのある小さな首飾りだった。
「中羽のおっさんが持っていたものか」
それを握り締める。彼の所持品以外にも、誰かの遺品でもないものかと思い立つ。
闘技場だけではなく、青羽の本拠にも何か手がかりが残っているかもしれないと立ち上がった。
「逃げるんじゃねえぞサムライ!」
外に出て行こうとする俺の背中に蜘蛛の糸が飛んできた。
それが片腕に絡まっていく。舞台中央では、風雲公の槍と蜂の針がぶつかり合っている。
「槍使い、ここは任せた。自然破壊も大概にしなさいね」
「アンタがそれを言うかよ!」
がはっと笑ったエメラルドの瞳のイケメンが槍を一閃、マウリッツ・デューリングなる亜人を吹き飛ばす。
俺は絡まった蜘蛛の糸を無造作に引きちぎり、闘技場を後にした。
オラぁの糸を素手で、と叫ぶジャイ・タイという男の声を遠くに聞きながら歩く。
腰に下げている布袋のなかに首飾りをしまいこみ、本拠だった砦に辿り着いたときには、空は曇天模様になっていた。
木材建築が倒壊した館は年月を経て草花にまみれている。そんな忍者屋敷の成れの果てを見回りつつ、以前に訪れたときにはなかった余裕からか、いくつかの遺品のような青羽衆に関連するアイテムを発見することができた。
道場の看板のような木版に書いている文字は俺にはわからない。しかし影どうしの暗号なのだろうと推測しつつ、それを手に取った。
じゃり、と何かを踏みつける音がして振り返る。空は一層重い色になってきた。頬に水滴が落ちてくる。
「……どちらさんで」
赤紫の魔道装束に身を包んだ赤い髪、目元まで覆ったマフラーのような出で立ちには確かに覚えはあるものの、名前を忘却していたので問いただす。
「下郎にならばともかく、おぬしほどの勇士ならば再度名乗る価値があるだろう」
ああ、この声は年増の女魔道士だと思った矢先、鋭い突っ込みが飛んできた。
「まだ若い」
「でした」
このやりとりも二度目であろう。そんな相手はヤルミラ・ノヴォトナと名乗っていた。
雷神ヤルミラと蜘蛛がほざいていたのも思い出す。
ぽつ、ぽつと小雨が降ってきた。俺とは違い、彼女の体にしずくは落ちていない。
それまでに蒸発しているらしい。雷の術士が着ている衣服の影響なのだろうか。
そんなことを考えながら、ヤルミラの体が帯電するのを見つめていた。