夢六十話
大暴れを終えたあとの睡眠から目を覚ましたときには、すでに半日が経っていた。
窓の外の海景色は見えず、真っ暗になっている。
客室の長椅子で横になっていた俺を起こしたのは、魔道公一族を介抱していたはずの娘っこたちでだった。
「さすがの勇士もアンカーなる伝説の魔物退治に気力をすり減らしたか」
長身の金髪美人にやあジュディッタ姫と応えて椅子に座りなおす。
お疲れは霊力を放出した彼女も同様のはずだが、その白い面は明るい。
テーブルを挟んでソファに腰かけた姫が、城塞内の誰もが我に返った状態だという混乱具合をひとしきり語ってから、ワイン入りの紅茶を飲んで一息ついている。
「エディン公子は魔道公の代理として今回の騒動を収めた功労者、つまりそなたに対して相応に報いるつもりらしいが、ウンシンはそれを受ける意思などないのだろう」
「ですな」
「それと、あの鳥獣の神……アンカーが金色の魔素を垂れ流しながらクラスタール樹海の方角へ逃げていったのを魔導士どもの「目」で確認している」
「それはそれは」
「きゃつはウンシンを化け物呼ばわりしながら去っていったそうだ」
ジュディッタ姫がどの口で化け物というのかと闊達に笑う。
同時に部屋の扉が開いた。入ってきたのは、深緑のフードをかぶった風の魔道士だ。ネコ娘と白を連れている。
「公とユーグ卿の容態は?」
「昏睡状態ながら魔道療法の処置で一命は取り留めているようです。祖父以来の古参の術士が医療班で助かった」
「ニャムもジュティッタ姫も不思議な薬草をもらって調子が戻ったぞ!」
わが問いにエディン公子がフードを上げながら答える。
なにやら青汁のような液体を口にするニャム姫が、陶磁器に入ったそれを金髪姫に渡していた。
銀髪のイケメンが膝をつく。真摯な面持ちで最大級の感謝と礼を述べているものの、義心から行動したわけではない当方からすれば居心地が悪い。
「ウンシンに対してはありがとよ、でいい」
白が長い髪をかき上げて、隻眼の魔道士を見下ろす。
要は心意気と告げるメイ・ルーの台詞に要領を得ないのか、彼は首を傾げていた。
「ウンシン天人」
過大評価の敬称で小悪党の背中が震える。
「今は混乱の極みながら、貴方から受けた慈悲に対し、いつか必ず返礼すると一族を代表して約束させていただきたい。ヤル・ワーウィック冒険王からの修交にもこちらから頭を下げて懇願する立場になった。それまで――」
「なんてか、もっと砕けていこう」
出会ったときのエディン公子は柔らかい口調が印象の好青年であり、今の立ち振る舞いは、浪人の俺からすればこそばゆい。
使節団の長であるジュディッタ姫ならともかく、似非サムライにそのようなかしこまり方をされては息が詰まろうというものだ。
「ありがとよ、で」
「……」
再度白からそう言われ、膝をついたままの銀髪ハンサムが面を上げた。
逡巡から開き直りまでかなりの間の時間が必要だったものの、やがて彼は苦笑しだした。
「色々助かったよ、ありがとうウンシン天人」
様々にはしょったものの、その言葉こそ本心だとして俺はおうと受けあった。
性根と間逆な天人扱いはある意味俺への最大級の煽りなのだが、相手は気付いているのかいないのか、意地でもこの呼び名は変えないと言い張っている。
親善交渉成立だと喜色を見せる金髪姫と魔道公代理が書面を交わしたのはそれからすぐ後のことだった。
どさくさの友誼に乾杯にゃ、とニャム姫が俺にも青汁もどきをすすめてくる。
「わらわの使命は一応果たされたわけだ。ということで自分にご褒美を与えたいと思う」
「ニャムもー」
「それなら風の町に繰り出そう。あそこの港は眠らない。今からでも夜通し開いている店があるはず」
ジュディッタ姫、ニャム姫、メイ・ルーがゴタゴタはもう他人事とばかりに、おなかすいたーとわめいてこちらにまとわりついてくる。
ジルバンジャーの星型城塞は誰ぞのせいで半壊し、主の不在で使者を歓待するどころではない。
ということで、我々は自前の遊興に出かけよう。
§§§§§§
小高い山の上に建てられた城塞から少し離れた位置にある、ヴァクーの港町にやってきた。
干しレンガ造りの建物を吹き抜ける海からの風のせいで、別名風の町と呼ばれている。
アルダーヒル地方と東世界を結ぶ中間点にあり、海洋交易都市としても名高い。
東洋からの輸入品を取り揃えている商館もあるらしいが、それに関しては日中にもう一度訪れるつもりだ。
中央通りは油脂のランプやろうそくのシャンデリアでライトアップされ、夜とはいえど明るい。
この場にいないエディン公子からの情報をもとに、アルダーヒルでも珍しい木製アーケードの商店街を闊歩する。
ジルバンジャー城塞からちょうどよい具合に離れたここは、騒動の影響がほとんどないようで、夜の街に繰り出してきた住人たちも、いつも通りの夜を満喫している様相だった。
野暮ったい戦闘服から着替え、場所をわきまえた町人風の格好で、俺と娘っこたちもそんな人々のなかに溶け込んでいる。
「ほう立ち飲み屋か。わらわは初めてだ」
「下々の飲食文化を知るよい機会ですぜ」
笛や太鼓が生み出す音楽に合わせ、中央通りで踊り子が舞っている。
それを鑑賞しながら木製テーブルに肘をかけ、ハーブと塩コショウ、クルミなどを混ぜた卵焼きをつまむ。
揚げたチーズという品目がコテコテ好きな俺の舌を狙い撃ち。地域名産たる葡萄酒がすすんだのはこれのせいだろう。
ニャム姫もお気に入りのようで、もふガフの勢いが止まらない。
西世界からの輸入品たるオリーブオイルで炒めた香ばしい匂いの小魚を食らって、幸せじゃあと呟いている。
そんなネコ娘の油まみれな口元を拭いてやる。
いつもの要領で顔を差し出す白、それにつられて揚げチーズを口に放り込んだ金髪姫もほれ拭けと催促してくる。
拭き行為に忙しくなりつつも、小エビの塩茹でを彼女たちからあーんしてもらった。
三人ともお使い道中で初めてといっていい食の満足感に浸っており、ご機嫌は麗しいようだ。
「いい夜にゃむなあ」
「これは太っても仕方がない」
「たしかに趣がある料理ばかり。どうやら立ち飲み屋はわらわの性に合っているらしいな」
「これぞ下々の醍醐味ですよ!」
三者三様、娘っこの笑顔で調子に乗った俺がふははと笑う。
なにがシモジモやねんと周囲のよいどれ客がからんできた。
据わった目の傭兵たちや冒険者に囲まれる。
恐るべきは娘らの暴発である。ボクのために争わないで(店や広場を壊さないでという意味)と間に入ろうとしたところ、白のデコピンを受けて男の一人がどこかに転がっていき、ニャム姫の尻尾で一人がおやすみし、ジュディッタ姫が片手で最後の一人を締め落として事なきを得た。
「ばははは酒の弱い野郎ども、早々に酔いつぶれやがった」
大勢の酔っ払いたちが都合のよい解釈をしてくれたおかげで、そのまま何事もなく立ち飲み屋を後にする。
大量の酒袋とおつまみを手に波止場通りをゆらゆら歩く。
喧騒の歓楽街から離れ、港を通過して夜の海辺に辿り着いた。
満月の下、街の明かりもあって暗闇ではない波打ち際で金髪ネコ白がはしゃいでいる。
酒の力を借りたお子様たちのお遊戯が終わり、岩場に座って二度目の酒盛りが落ち着いたころには、すでに空は白みかけていた。
「見よ、朝焼けだ」
「とうとう日が昇りかけるまで遊び倒したにゃむ」
「楽しい夜だった。メイの一生の思い出になるくらいのバカ騒ぎ」
腰を下ろす俺の腕の中に小柄な白がいて、左右に二人の姫を侍らせながらの酒宴もそろそろ打ち上げどきだ。
波の音を聞きながらまどろむ。なにかしら感傷的になって目を閉じた。
腕の中と、俺の肩にもたれる左右からも静かな寝息が聞こえてくる。
なんとも言いようのない安らぎと得て眠気が加速した。
力に相応しい野望も高みを目指す向上心もない、男の風上にも置けないヘタレサムライはこっくりこっくり舟をこぐ。
三人から起こされるまで夢の中だ。