夢六話
「三本足のタウィ婆がエヴレン嬢になって戻ってきた。自称十八歳は嘘じゃなかった」
「おかしな風体の勇者さまが「お祓い」したらしい。そのうえ同じ呪縛に囚われていた白毛の雌馬を連れて帰ってきた。美人すぎる黒の巫女さま、希少動物たる二角獣の登場で、下層街は今その話題でもちきりじゃ」
「噂を聞きつけた上界(城塞内の権力者と側近)がエヴレン嬢の館に使いをやったそうだ」
黒白の可愛い生き物を伴い、ゆたりゆたりと帰りの旅路を満喫すること数日後、帰還するなりスラム街を騒然とさせた若返り事件は今も熱覚めやらずの状態だった。
黒たるエヴレンと仇敵のような間柄だった白のメイ・ルーが共に行動しているのも、結果的な当方のお祓いに恩義を感じたからだろう。
老いの呪いをかけられたものどうし、ケンカ友達のような関係になるのは早かった。
帰宅してさらに数日、裏通りの長屋のなかで目を引く階段つきの石の館では、家主である黒が権力者からの二度目の使いに対して、そっけない態度を示していた。
ちなみに黒白呼ばわりは当人の許可を得ている。
「行かぬ」
「一度目に使い魔をよこしてしまったのはこちらの手落ち。それをどうか曲げて王の招待をお受け下さらぬか」
スラム街の住人と上界で交渉方を務める神官らしき人物が、小さいテーブルを挟んで向かい合う。
腕を組んでそっぽを向く黒に対し、頭を下げっぱなしな壮年の神官との対比が面白い。
彼の背後に控える赤髪の大男は無論護衛であろう。冒険王がよこしたとされるだけあって竜種を狩った証の防具と巨大な槌を背負っていた。
浅黒い頬に走る二筋の傷跡、鋭い眼光は歴戦の武人そのものだ。
「霊体なる魔道士の呪縛を解くにあたって、わしは過去に何度も助力を仰いだ。そなたらの主、ヤル・ワーウィック冒険王にじゃ」
「それはご理解くだされ。城塞の主が不死者と名高い魔導士に気安く相対するわけにはいかぬのです」
「軍閥の長だとふんぞり返っていてもその程度。上位の妖かしからは身を守るだけで精一杯。逆にエヴレンが察するべき」
「……」
人語を口にする二角獣に巨漢が眉をひそめる。間取りに余裕のある隣の部屋でぶるぶる言いながら、アラブ種のような小柄で華奢な彼女が床を踏み鳴らしていた。
白毛馬の声は取り成しの台詞にしては無感情で冷たい。
老いの証であった額の紋章は、今ではエヴレンともども跡形もなく消えている。
それでも細工をほどこし、まだ呪縛の跡は残っていると俺以外の者に見せかけるエヴレンの意図は、若さと美しさを取り戻した女の子の防衛本能に違いない。
「力ずくで浚ってもよい、との仰せでござったが」
赤髪の大男がぼそりと呟いた。交渉方のハゲが首を振る。
軍閥のなかでも腕っ節では誰にも譲らない、という自負が巨漢の鋭い目から感じとれる。
アーリア人に近い、彫りの深い顔立ちのエヴレンが形のよい口角を上げた。
そんな美貌の持ち主からプライドを逆撫でされるような冷笑を受けたことで、彼はごついおもてを高潮させた。
「タウィ婆、若返った自惚れか。わが武勇を侮るか」
巨漢の言葉に反応して、二角獣が小さくいなないた。
コ、これこれからかうでないとハゲが腰を浮かす。武人が長椅子で横になる俺を一瞥する。短気だと見せかけて俺と手合わせがしたい目論見を見抜いた。
娘たち(人化できるらしい雌馬なのでこれからそう呼ぶ)が緊張感をなくしているのも当然だった。エヴレンはノリノリで意趣返しに応じている。
「これでやり合うがよい。男の子ならば純粋に力比べはどうじゃ。わが主が負けたら出向いてやってもよい」
「腕押し比べかか。よかろう」
俺の意見は一切必要ないらしい。赤髪の武人が太い丸太のような腕を見せて鉄製の台座へ肘を乗せた。
前の世界でいう腕相撲というやつだ。
§§§§§§
「主にしてやられたわ。単純明快な殿方と思うておったに」
「ウンシンを誇りたいのはわかる。でもデクの棒を相手に本気になるような人かといえば」
「あの赤髪は武門の誉と呼ばれる冒険王が認めた「赤牛」ロジー・バルクフォーフェン将軍じゃぞ。百人力の豪傑に少しはいいところを見せてくれると期待していたのじゃ」
フードを外し、紅がかった濃い藤色の長い髪をポニーテールに結い上げたエヴレンが、面白くないといった顔で唇を尖らせている。
若返ったことで赤褐色の肌は露出多目の衣装になり、へそ周り、太ももを露出させた踊り子のような出で立ちになっていた。
人化したときの年は十六だと自称する白毛の二角獣が、牧場の周りを気持ちよさそうに駈歩で駆け巡る。
腕相撲で吹っ飛ばされたのはデクの棒ではなく、やる気のない似非サムライのほうだった。
板床を転がる俺の無様を俺以外の者が呆気に取られて見ていたのを、内心してやったり、とほくそ笑んだ昨日の一芝居であった。
という次第で、城塞の主である冒険王との面会場所を野外に指定したのは、エヴレンのせめてもの抵抗であろう。
権力者として非公式な立会いにしたかった王の立場からすれば、黒娘の意地っ張りはかえって助かろうというものだ。
城塞外とて王の直轄区になっているとある高原の牧草地で、のんびり放牧された羊を白い柵にもたれながら眺めていると、三人の人物が馬に乗ってこちらにやってきた。
護衛の赤髪騎士、交渉方のハゲ神官、最後に伝説の冒険者と世に謳われるヤル・ワーウィックその人が最後に下馬し、控える二人をよそに一歩一歩近づいてくる。
その動きだけで歴戦の勇士だということがわかった。
巨漢の赤髪が二メートル以上と目算すれば、王はそれより頭ひとつ分は低い。それでも背丈の伸びた現し身の俺より十センチは高かった。
やはり、というべきか。想像していた通りその面は彫りが深く、無精ひげが渋い中東系のイケメンだった。
壮年のうえアフロ手前なブラウンのチリチリ頭が格好いいと思ったのは、これが初めてなのかもしれない。
鮮やかな青色の袖なしコート、その下には黒のインナー、膝から下は黒ブーツという、どこの舞台衣装よと突っ込みたくなるほど美麗な帯剣服装(※)を着こなした権力者が、若返ったエヴレンの美貌に感心しながら声をかけた。
「二度目の要請もかわされると思ったが」
「王も二度、わしの願いをかわされた。ゆえにわしもそうしようとした。しかし誰かの気まぐれで事情が変わった」
「……それは助かった。しかしいい女になったなタウィ婆」
イケメン映画俳優のような男が目を細めてエヴレンを、続いてメイ・ルーの白い馬体を褒めちぎった。
国宝級の駿馬でさえもこの美麗な二角獣には遠く及ばない、とかなんとか。冒険者たる彼はそんな希少種に対し、心からの賛辞を惜しまなかった。
女好き馬好きだと悟った白毛の人語はやや冷たい。
「背に乗せる男はただひとり」
「なるほどオレは振られたか」
「王よ」
「ああ、ああわかっている。目当てはこの男だ」
ハゲ神官にたしなめられ、たらしのイケメンが苦笑の体から表情を改めた。
「東の果てを冒険した若い頃に、お前のような人種に会ったことがある。しかしどこか、お前は何かが違う」
「そうですか」
当地を治める権力者にタメ口は厳禁。それ以外は我を通すつもりでいる。
「不死者と名のある霊体魔道士を一蹴したらしい東の果ての男。わが領地に何をしにきた?」
「気ままな旅を」
軍神に模して撮影所に入るまでは現実世界を電車旅するのが目的だった。
偶然にしてここに来てしまった以上は、それに倣ってこの地方を旅してもよい。
吹き付ける風のなか、再度そう思いかけていた。
「邪神の退転で種を問わず均衡していた周辺の力関係が崩壊しつつある。そんなさなかに、見たことのない白頭巾と黒い東の鎧を身に着けた凄腕の士が下界の街に住み着く。一見したくもなるだろう」
「腕っ節はそこの赤牛ほどではありませんて」
交渉方のハゲ神官から腕相撲の経緯を聞いた壮年のイケメンが白い歯を見せた。
「ははっ」
振り返った城塞の主に笑いかけられた巨漢は不満顔である。
「一芝居を打たれたか。バルクフォーフェン」
「打たれる理由がわかりませぬが」
追い払えば払うほど纏わりついてくる手合いに対し、ヤーシャールを討ち払ったときのように無心にはなれない当方としては、安易に赤牛をぶん殴ったり、城塞ごと吹き飛べ、とかいう行動には思い至らない。
人の上に立つとかそういう野望はありまへん、という本音が真実だと口添えしてくれる黒白のおかげか、人としての器が違う重荷を背負いし彼はあっさりとスラム街への居住を許可してくれた。
エヴレンの身元を保証する王直筆の手形を添えてくれたのは、彼女の懇願を二度も流した後ろめたさもあるだろう。
いつしか厄介事の依頼を果たしてもらうかも、という条件つきなのが気になったが、乱世のなかで隠れ家のような場所を確保できたことは重畳に値する。
四方山話を含んだ会談は、王がエヴレンを口説くこと一時間ほどで、完全失敗のなか終わりを告げた。
用件を終えるや否や、鼻息を荒げた赤髪が俺に全力勝負での力比べを所望してきた。
ごきげんようさようならで権力者たちに一礼。
エヴレンを脇に抱えてメイ・ルーにそいやと飛び乗る。
飛ばすよといなないた彼女が地を蹴った。
シウバウの森から物見遊山で帰ってきたときとは違い、丘陵になっている草原から駆け下りる速度はまるで風だ。
疾風のなかで覚めることはない夢は、いまだ続いている。
※チョハ。コーカサス地方の民族衣装