夢五十八話
「勇士であっても知者ではないうぬが無用心を利用させてもらったぞ。大結界は余を絡めとるための呪縛であった。それを踏み破ることができる来訪者を、数百年の間余はずっと待っていた」
謁見の間の石畳を突き破り姿を現したのは、七色の羽を持つ金色の孔雀だった。
三筋に分かれた尾からは前出した金粉仕様の魔素があふれ出ており、霊鳥のような外見ながら魔物であることは間違いないと思われる。
城郭の屋根をぶち抜いて浮かぶ孔雀はこれまでに見たいかなる鳥獣よりも大きく荘厳で、その種の頂点を確信させる威容があった。
代々の魔道公に呪詛の言葉を放ちながら、銀の霊気の者よ褒めてつかわす、と仰せになられている。
拘束から解放されたと興奮で多弁になっているようだが、人語は流暢だ。
「父上とユーグはどうした?」
「抜け殻どもなど知らぬ。地下で昏倒しているか、あるいは」
「いつも感じていた波動……僕は父ではなく金色の魔物と長年接していたということか」
エディン公子が怒涛の展開に戸惑いながら、何やら思考を巡らせている。
俺といえば魔道公の挑発に乗って大結界を壊しまわり、金鳥の解放に最も貢献したおばかさんということになるのだが、だましたなワレという気分にならなかった。
公と跳ね返りの少年がどうなったかのほうが気にかかる。
抜け殻どもとまるで親子に憑依していたかのような孔雀の言い草に、銀色の髪のハンサムがどういうことだと詰め寄る。
「あの父子は魔道公として、その跡目としての重圧に耐えられず、常日頃から心身に隙間を晒していた。それに比べ小賢しいうぬは余の魔素を取り込む隙を見せなかった。それがこの結果というわけだ。あれらと比べ、強靭にできたおのが心に感謝するとよい」
「長広舌の鳥獣め。あれこれ策を弄しおって」
大剣を構え直したジュディッタ姫が、エディン公子に向かって公と少年は地下にいるのか、と問いかけた。
位置がわからぬと答えた彼に、勇ましい女剣豪はこの場からの離脱を促している。
「魔道の知識が多少なりともあるらしいメイを連れて行け」
「白き姫を」
「今から殴り合いの始まりにゃ。地下にまでその影響が出ないとも限らない。はやく親子を探しに行くにゃむ」
ニャム姫にも再三そう言われ、公子がどうしたらいいものか、とこちらを見る。
「メイ・ルー。彼を頼む。俺は俺であれを解放した粗相の責任を取る」
「任せて」
アルビノ美少女が白く長い髪を翻し、深緑の魔道士が羽織るローブの端をつかむ。
しばらく逡巡した銀髪のハンサムだったが、金色の孔雀が余はアンカー、鳥獣の頂点なりと正式に名乗ったところで、サムライに任せるしかないか、と独語しながら背を向けた。
広間から出て行く二人を見送って、俺は懐中から数珠を取り出しながらネコ娘の首にかけてやる。
「にゃ?」
「魔道とか精神的に絡んでくるものに対し、これで無効化できるはず」
「ニャム姫も銀の霊気に守られるわけだ」
金髪姫がそれはよいと白い歯を見せる。これで百人力にゃ、と飛び跳ねたうっかりさんが尻尾を逆立てた。
吹き抜けになった戦場にアンカーとやらの金粉が舞っている。
復活を宣言した大物が血祭りだとばかりにこちらを威嚇してくる。
羽ばたこうとして結界の残滓に触れたらしく、憤怒の形相で三筋の尾を横殴りに振った。
虹色の軌道が結界を薙いだことで、わずかに残っていた拘束の術が完全に消え去ったようだ。
「百年の鬱積を晴らすときがきた。余を閉じ込めた牢獄を塵に、魔道本山の連中ともどもうぬらを喰らい尽くしてしてくれよう」
「ニャムを食べてもおいしくないぞ!」
下等生物め、と鳥類の頂点なる魔物が金色の目を見開いた。
それで悪寒が走ったのか、二人の娘っこが体を震わせる。
アンカーが飛翔した。猛禽類の急降下の如き一撃が広間に放たれる。
爆風で彼女たちが弾け飛んだ。石畳が抉られ、大小の岩石が浮き上がった。
「銀の霊気の男、特にうぬには容赦せん!」
「おう」
微動だにしない俺へ虹色の両翼が平手打ちのように振り払われる。
単純なチョップの応酬ながら、それが伝説級の生物から繰り出されるとなると、爆弾の炸裂に等しい衝撃波を生んでいた。
耐え切れなくなった地盤が沈み、風圧で建材が吹き飛んでいく。
「この忌々しい城塞ごと押しつぶしてくれる」
巨大な体躯を支える強靭な両足の鉤爪を受け、地中へとめり込んだわが体は、瓦礫とともに地上から地下へと一気に踏み落とされることになった。
完全装備のサムライボディにこれほどの圧力をかけてくる存在は、この世界に来てからほとんどいなかったといっていい。
このレベルの死合いになると、自身のテンションによって力にかなりのムラが出ることがわかっている。
頂上竜ヤーシャールと戦ったオラオラ度を十とすると、それ以来本気を出しても三分ほど。
ラウ・クーダー風雲公と二度やりあったときも、今もオラオラの最大値は七割減だ。
全力にして三の力でアンカーという金色の孔雀と組み合っているのだが、現時点では邪神との融合が完全ではないとする槍使いの上を行く猛攻を受けており、防戦一方でタコ殴りになっていた。
「ウンシンほどの勇士が刀すら抜けぬか」
「鳥の面をした手下の邪魔で助けに行けないにゃむ」
一階でペストマスクの連中と対峙する二人が、地下のわがほうに向かって叫んでいる。
鳥類の頂上種たるアンカーの手駒ということで鳥マスクなのだ、とようやく気付いた当方なのだった。
「抜き放つ余裕など与えぬぞぞサムライ。恐るべきはうぬが腰に挿す東方の刃。天地を砕くその業物さえ封じれば、素手の人間などわが敵にあらず」
星型城塞の地下を崩壊させつつ、金鳥が翼の羽ばたきを連発させながらまくしたてる。
ボールのように弾かれ回るのを追撃され、しこたまぶん殴られていると、地下施設の壁を何重かぶち抜きながら転倒したところで、魔道植物が生い茂る祈祷所らしき一画に追い詰められた次第となった。
「ウンシン!」
広間から退出したはずのメイ・ルーの声がする。転がりながら砂埃の向こうを見る。
彼女がエディン公子のそばにいた。しゃがんでいた彼は、紫の法衣を身にまとった何者かを抱きかかえている。
それが現当主ジーン・シストラ魔道公だと確認できたものの、かの者の生気は感じられない。
「余所見とは余裕だな銀の霊気」
「いててて」
そうでもないと思いながらメイ・ルー来るなと叫ぶ。
大敵の怒涛の打ち込みに、アルビノ美少女が加勢しようと立ち上がっていたからだ。
「だいじょぶ」
どこが大丈夫なのか、台詞とは逆にしばかれ倒されていると、祈祷所に生えていた魔道植物の枝葉がアンカーに向かって、四方八方からいきなり伸びてきた。
枝葉は標的に絡みつく。こうして俺は一時的にタコ殴りから解放された。
ズシンごろごろズササばきばきという効果音を身にまとって祭壇側へ華麗にダイブ。その装飾台を踏みつぶしてようやく受身をとることができた。
「うぬは」
金色の全身を魔道植物に絡めとられ、捕獲された形のアンカーが割って入った薄紫色のフードの魔道士に視線を向けた。
「正気に返ったか小僧」
「……」
かっ、はっと息を切らしたユーグ・シストラ少年が兄と父を横目で窺いながら印を結んだ。
金鳥を拘束しながらエディン公子に問いかける。
「父はどうなっている?」
「……昏倒したままだ。しかしお前も」
「耄碌したか。魔道公ともあろう者が憑依され抜け殻としてうち捨てられ、無様な身を晒すとは」
誰に対しても憎まれ口の少年が数年ぶりに我に返った、と呟き、掃き捨てるようにぺっとつばを吐く。それには血が混ざっていた。
金色だった両眼は黒目になっている。
「ユーグ」
「来るな。父を見ていろ」
腰を上げようとした兄に鋭く一喝する弟が、俺をちらりと見た。
「サムライとやら。刀を抜く時間を作ってやったぞ……感謝しろ」
血を吐いて倒れこんだ彼にメイ・ルーが駆け寄る。
同時にクモの巣のように張り巡らされた魔道植物の足止めを、金色の孔雀が力任せに引き千切っていた。