夢五十五話
ドラーゲン城塞方面に向かうエヴレンとミヤマ、ハイ・イェン竜人公の嫡子であるドーテイ卿と別れ、東海岸線を北上する。
目的地までの間に小軍閥が支配する湾町を通り抜けたが、風の街と呼ばれるヴァクーはそれらを統括する海洋交易場となっており、湾口規模も沿海のなかでは最大規模を誇っている。
ヴァクーを見下ろす形で立てられた星型要塞が魔道の都「ジルバンジャー」であり、その主が魔道の総本家を自称する、ジーン・シストラ魔道公なのだった。
……という説明を使節団団長のジュディッタ姫に再三にわたって馬上から聞かされたが、聞いた説明は明日には忘れているだろう。
鳥頭に期待しないであろう金髪姫が公式の目的地が近くなったことで、銀の霊気を込めた大剣を抜き放ち、黄金の馬をいななかせた。
小柄なポニー姿の白も額に込めた珠から銀色の霊気を放っている。
海沿いながら険しい山中での戦闘態勢に、ニャム姫が魔道公への挨拶かと首を傾げていた。
「魔道本家の索敵網が敷かれているはずだ。これみよがしにしてみた」
「霊気でこんにちは、にゃむな」
「アルダーヒル全土においても銀のそれを持ち合わせる者などほぼいない、というわけで、押しかけ同然の訪問にも相応に迎えてくれるだろう。前にも言ったが、ウンシンがいる以上なんの心配もない」
「ニャムもタマが欲しい」
食いしん坊のネコ娘から好物をおねだりされるごとき視線を向けられたものの、不足を補う意味での珠など、この元気っ子には必要ない。
当地の名産を腹いっぱい食べさせる、という約束で彼女の意識をそらして事なきを得た。
そんな山越えのなか、アルビノポニーがぶるるとひと鳴き、警告を発する。
霊気を放出して小一時間ほどがすぎていた。風の街を見下ろせる高所に辿り着こうとしたとき、魔道公の手勢かと思われる幾人かが異様な姿をあらわした。
前世でいうペストマスクのような格好をしており、その背には翼が生えている。
茶色マスクに黒コートの相手が、白ののいななきを合図に印を結んだ。
「結界にゃ!」
罠仕掛けに気付いた馬娘と俊敏なネコ娘が、伸びてきた木の根を避けて飛びのいた。
魔道に疎い金髪姫と危機感のない俺は根っこににからめとられ、動きを制限された形となった。
土の魔道かと思いつつ、追い回されるニャム姫と範囲外に距離をとったメイ・ルーの無事を確認する。
「名高い剣豪とて銀の大剣を封じてしまえばただのおなご。太刀とかいう東世界の武具を使わねばサムライとやらも力を発揮できまい」
「……わらわがジュディッタと知ってそう出迎えるか」
「飛び込み同然の訪問者に礼儀が必要だと? 所詮は姫君か」
「シストラ魔道公の意思だと受け取っておく」
地に落ちたジュディッタ姫の大剣を魔道士たちが掴み上げようとしたものの、その重さに驚愕した彼らが数人がかりで持ち上げようとしている。それを見やりながら彼女が傲然と言い放った。
「重さの問題ではない。わが剣の師に認められたかそうではないかが扱いの大前提になっている。そなたらでは構えることすらできぬ」
「公ならそれが可能であろう。これは献上品として」
「スキあり!」
魔道士たちの長の頭上に、ニャム姫のかかと落としが炸裂した。
印を結んでいる者や大剣を取り上げようとしている配下が不意をつかれて飛びずさった。
肉体的打撃を頭に受けた長が声もなくのたうち回っている。
「いっひい!」
聞きたくもない男の叫びは印を結んでいた術者のものだった。ポニーの角にけつを突かれたようだ。続けて数人がブスリとやられている。
けつを押さえて転がる配下と頭を抑えてもんどりうつ長の光景を、コンドだなあと思いつつ見守る。
印の連携が失われたことで、木の根っこからの拘束が解けた。
「わらわの業物、返してもらおう」
物理的な腕力で金髪姫に敵う魔道士たちはいない。
柄を握って持ち上げる彼女の行動を阻止するために、土の津波が繰り出されてきた。
初めて見る魔道だと感嘆しながらも、ジュディッタ姫は気合を入れて大上段から銀の霊気の大剣を振り下ろす。
土砂の波が押し返されたことで、ペストマスクたちが空中へと逃れた。
「術をかき消しやがった」
頭とけつを抑えていた敵が尋常ならざる姫の斬撃を目の当たりにして叫んでいる。
スキあり、とまたも不意をついたニャム姫のドロップキックを受けた二名の術者が森の向こうへと跳ね飛ばされ、バキバキベキベキと植物を破壊しながら、悲鳴とともに消えていく。
珠のご加護など必要ないネコ娘のインファイトぶりは称賛に値する。
想定外の状況だったのか、歯噛みした長が改めて何やら詠唱しはじめた。
「プスリ」
「またまたスキありにゃむ」
「術を成すまで待ってくれると思うたか」
砂の結界で身を守り、その間に大技を発しようとした長の目論見は一瞬で打ち砕かれた。
背後から砂の防御を貫通したアルビノポニーの角が相手のけつを刺す。
うおおと跳ねたことで攻防一体なる術の発動が消えた。
その直後にニャム姫のかかと落としが再び彼の頭にめり込んだ。
脳天とけつに屈辱の物理攻撃を受けた相手が酔いどれのようになったところで、目の前に立ちはだかったジュディッタ姫が、情け容赦ない金的蹴りで止めを刺していた。
「地属の頭が雑魚になっているのを初めて見た」
わずかに残った敵部隊の感情のない感想が聞こえる。同時に股間を強打された長がマスクの嘴から泡を吹いてぶっ倒れた。
思わず俺も股間を押さえなおす。狼狽しすぎな部下たちが上司を支え起こしたあと、一斉に姿勢を正すのを見た。
「御意」
どこからかの声に従ったような動きを示し、彼らが退散していく。
ネコが逃げるにゃむかと目を怒らすのを、女剣豪は放っておけと告げて、後方に待機させていた馬に乗り上げた。
「けんかを吹っかけておいて」
「小手調べの中断であろう。魔道公め、銀の霊気が本物かどうか「見ていた」ようだな」
これで挨拶は終了だとブロンドの大柄美人がこちらにふり返る。
出番のなかった当方がひといくさした彼女たちに飲み物を手渡した。
ポニー姿のメイ・ルーにもワインを手ずから飲ませることも忘れない。
この不意討ちでジルバンジャー城塞に押しかける名分が立ったというものだ。
相手もそのつもりで待ち構えているとなれば、なんやおまえらはと追い返される心配もない。
§§§§§§
海洋交易都市ヴァクーを膝元に抱える魔道の総本山、星型城塞ジルバンジャーにやってきた。
歴代のシストラ魔道公が張り続けてきたという城塞全体を覆う結界は、素人にも目に見えてわかるほどの紫のオーラを放っている。
それは潜伏目的の影や余所者の魔道士の潜入を阻むバリアと化しており、そのバリアを突破するほどの精神エネルギーを持ったものは、過去にほとんどいないと豪語しているらしい。
正式な外交使節だけが宮殿内部に案内され、その本山の秘匿性は今も失われていないという。
「おとぎ話のように聞いていた魔道の都にこうして入城できるなんて、役得」
「シストラ公ですら持ち得ない銀の霊気。その使い手が複数人いるとなれば、道術の観点からして解析したくもなるのは当然。例えこのような非公式な扱いをされようともな」
城塞の大手門からではなく裏口から内部へと通されたものの、それを気にする似非サムライではない。
金髪姫と人化した白の会話を聞き流しながら、ゴシック建築もどきな宮殿外通路を歩く。
石畳に刻まれた記号のようなものや、時計台に似た意味深な構造物は他の城塞にはない仕掛けに満ちていた。
城内に入る前に手渡された護符がなければ、結界の拘束力で一歩も歩けぬ、と案内役から説明された。道に施された記号はそういう効力があるようだ。
「城塞自体が魔道の発動範囲内にゃむか。確かにこれでは他の軍閥どころか近隣の竜人公でさえうかつに手は出せないにゃ」
「内部に攻め入ったが最後、まとめて素焼きにされる術が発動されても不思議には思わない」
ニャム姫とメイ・ルーが鼻をひくつかせて周囲を見渡す。
魔道の気に浸された違和感で首筋がちくちくするとの感想を口にしていた。
ちなみに西世界に近いジュディッタ姫の城塞は前世でいえばロマネスク的な建築で、初期ゴシック風味なこの地の建物とは趣が違う。
そんな洗練さを台無しにしているのが重苦しい結界なのだが、歴史ある本山の防衛を考えると止むを得ないのだろう。
「そなた、案内するのは宮殿ではないな?」
ふと金髪姫が口を開いた。
広場を引き回されたことに気付いたのは彼女だけではない。
「過去にない稀有な霊気の使い手。身体検査で念を入れるのは当然でありましょう」
地面に描かれていた五芒星のなかにいる我らを確認したあとで、ペストマスクが印を結んだ。
体に貼り付けていた拘束解除の護符がはらりと落ちる。
「武具と小物を取り上げろ。とくに白頭巾の男には注意するのだ」
音もなくあらわれた同じ格好の部下たちが周囲を取り囲み、身動きが取れなくなった我々に近づいてきた。
「下手に動けば陣地を爆破させる。サムライとやらはともかく、女たちは耐えられるかな?」
五芒星がじっとしていろと警鐘を鳴らすように光っている。
確かに自分はともかく、珠のご加護がないニャム姫がどうなるかを考えるとうかつに動けない。