夢五十話
「樹海探索から戻ってきてからというもの、ウンシンがやや落ち込んでいる気がする」
「狂いの気に囚われた大蜥蜴相手に「ちょっとだけ」本気を出したらしいな。ドーティ卿から聞いた」
改築作業の補助を一休み、白と黒のやりとりを聞きながら風吹く丘の上でお茶を飲む。
現在は冒険王の城塞で非公式に滞在しているハイ・イェンの若い竜人は、どうやら核心をずらして報告してくれたようだ。
「霊気どのは強すぎるのが弱点という、おかしな人にゃむ。自然破壊はだめだぞ」
「スイマセン」
こんなときのうっかりネコ娘は、四人の同居人のなかでは一番の常識人だ。
樹海近辺で地鳴りを聞いたという何者かの証言もあって、やりすぎに知りまへんとしらを切るわけにもいかなかった。
「そこに同行できなかったのが悔やまれる」
「ははは何を言いいますか、お目汚しですたよ」
ミヤマが陶器のコップを傾けて武人らしい台詞を放ったがとんでもない。
乾いた笑いを放ちながらどもってしまい、動揺隠しにグリーンティをすすりこんだ。
緑の丘のなかで敷物をしき、秋の空の下でピクニックという癒しの時間に、殺伐とした話題は必要ない。
「今日の風呂当番は誰にゃむ?」
「わしは昨日だった」
「メイは一昨日」
「私はその一日前」
「またニャムか」
「ウンシンに一番湯を馳走するのはメイたち女の役目」
白に諭されてウム、とやる気になったネコへ、サソリと烏が自分たちも今は休みなしだと告げている。
土木作業の俺に代わり、エヴレンの館にいる間の娘っこたちは家事を分担し始めた。
以前はそれも俺の役目だったのだが、今は家に帰ればメシ、風呂、寝るの殿様扱いになっている。
「別に一番風呂でなくてもいいんですけど」
「ダメじゃ。一人用の風呂である以上、女が後は譲れぬ」
「銀の霊気どのが残り湯には何かしら霊験な効能があるとニャムは思うぞ!」
「私も傷の治りが早くなると信じて入っている」
「飲めばさらによし、ということでウンシンの後は二番風呂の奪い合い」
変態的な思い込みを平然と語る彼女らの真顔に、ははははとの空笑いを返して無難に済ませておいた。
王の肝いりで派遣されてきた職人たちが、工事再開だとばかりに動き出す。
よいせとおっさんくさい掛け声で身内が立ち上がった。
差し出されてきた四本の手をまとめて両手で握り締めた。
§§§§§§
館に戻って夕食を終え、石造りの風呂に入る。
エヴレン、メイ・ルー、ニャム姫、ミヤマがやや遅れて食事を始める。
塀に囲まれた露天風呂で肉体労働の汗を流し、いいお湯でしたと屋内に戻る。
食後の彼女たちがメイドさながらにワインなどの酒を運んできた。
いずれ劣らぬめんこい娘っこにまみれながら、余は満足じゃとテーブルでふんぞり返る。
給仕の質だけはどの軍閥にも劣らぬセレブな俺様なのだった。
ご機嫌な当方に感化されたのか、酔いどれになった四人が二番風呂争いを展開し始めた。
そんなやりとりの後で、二番は私、と意気揚々に装束を脱ぎながら外に出て行く烏女を、三人娘が歯噛みしながら見送る。
くそくそという黒にはしたない、と叱った俺がワインを吹き出したのは、風呂のある中庭から聞こえてきた何をする、という若い竜人の声を聞いたからだ。
「そこになおれ……青炎の刃で叩っ斬る」
「その目は本気か」
「見たくもない裸体で狙えぬ。せめて下を穿け」
ミヤマの鬼気迫る物言いが居間まで流れてきたところで、娘らを連れて外に出た。
「あ」
「あっ」
「にゃんと!」
三様の反応がすぐ後ろから聞こえる。震える手でミヤマが刀身のない柄を握っている。
チャッカマンのような青い炎が今にもそれから噴出されようとしていた。
「ミヤマん、あかん」
「止めるなウンシンどの。こやつは私の二番風呂に横槍をつけた推参者」
庭の中で石造りの浴槽に浸かっていたドーテイ卿が、灰色の全裸のままそこから飛び出した。
エヴレンのジト目を受け、大慌てで褌どもきな下着を巻いていた。
「誰もいなかったので、湯気に誘われてつい入ってしまった」
というのが生活的に苦労知らずなハイ・イェンの若君の弁解だ。
「そんな狭い浴槽で尊き竜族が満足できるわけもなかろう、戯言を」
「寒空の下の温かい湯は何よりの馳走なるぞ、影の女」
「我が怒りを知れ、竜人の若造」
ミヤマがプンスカしながら柄に念を込める。青い炎の剣となりしそれの渦巻きを見て、ドーテイ卿がおおっと瞠目していた。
このとき烏女は怒りで気付いていなかったが、利き手で握るその剣の威容を見て、他の娘っこらも驚愕している。
「以前に生き神さまと戦った気合いの比ではないな。夜の中庭がまるで日なかのようじゃ」
「ミヤマんの気分しだいでは、この館ごとメイたちも吹っ飛ぶ」
「ウンシンどのの残り湯を汚した罪、身をもって償え」
「だめにゃむミヤマん、竜の子のお尻が二つに割れる」
這いずって逃げようとするドーテイ卿のけつに照準を定めた激怒の影に、緊張感のない台詞のネコ娘が飛び掛る。
エヴレンどのの前で女相手に本気になれん、といった若き竜人の独り言がさらにミヤマの怒りを誘った。
彼女の色違いの両目が見開かれる。
中庭が一層青く照らされ、これは本気やと悟った俺もミヤマを止めにダイブした。
「ウンシンどの」
「ミヤマん、それ消火して」
「しかしこやつは」
「よーしお父さん二度目のお風呂だー」
流れ的にもはやヤケにならざるを得ない。
ミヤマを抱えたまま石造りの浴槽に飛び込んでいく。
にゃ、とニャム姫が風呂の外へと転がっていたが、今はそれどころではない。
ざっぱーんと水しぶきを上げて湯のなかに沈み込んだ。
「おお、ミヤマん混浴にゃ」
「穢れた湯が浄化されたようじゃな」
「ウンシンのお手柄。術の発動を防いだことで、館が燃えずにすんだ」
風呂のなかで背後からミヤマを抱きとめる。
上下の薄い衣服を着た腕の中の彼女がウンシンどのは大胆だ、と面を伏せている。
ミディアムロングな濃紺の髪で表情は分かりにくい。
「湯を汚したとか、穢れとか……ハイ・イェンたるものがそんな扱いとは」
「落ち込むなドーティ卿、上界にあって綺麗な体のそなたより、肉代労働で汗まみれになった生き神さまの残り湯のほうがわれらは好きなだけじゃ。気にせずともよい」
フォローのつもりがとどめを刺したことも知らず、エヴレンが絶望のポーズの竜人の肩を叩いて笑っている。
それを見て笑いをこらえるメイ・ルーとニャム姫が肩を震わせていた。
誇り高き竜族に向かって穢れとはなんだあああ、と地を叩いて半泣きになる彼をよそに、湯の中で上下の部屋着を脱ぎ始めたミヤマの鼻歌が聞こえてきた。
「ウンシンどのはこのまま私と風呂上りまで一緒にいるのだ。ドーティ卿、よくやってくれた。粗相は許そう」
「機嫌がころころ変わりすぎてついていけん」
にこにこな美人お姉さんに若い竜人が怖気を奮っていたが、服をはよ着ろとサソリに叱られながら屋内へと消えていった。
馬とネコもその後を追う。今回ばかりは烏に気を使ったのだろう。
俺といえば、月夜が眩しいのか、均整のとれた蒼白い肢体が眩しいのか判別できない光景を見上げた。
立ち上がっていたミヤマがこちらを窺う。
まっぱになった相手の意図を悟り、自然にタオルのような布地を手に取って腰を上げた。
鍛え抜かれた筋肉質の背中を流す。
恥ずかしがるミヤマへ、俺は綺麗なお肌ですと心からの賞賛を惜しまなかった。
夢のような静かなひとときは、戻ってきた黒のなにしとんねんという乱入で終わりを告げた。