夢五話
砂漠の民だというタゥイ族のエヴレン婆の額には、刻まれた刻印が呪縛の証を示している。
それを祓おうとするものまで老いの呪いに祟られるらしい。
遅効性のせいなのか、婆のように若くして刻まれた者は、老人の姿のまま人生の大半を過ごすことで精神的苦痛を伴い、寿命を迎える前に発狂するものがほとんどだ、と彼女自身から聞かされた。
仕掛けた側をぶっ飛ばすのが一番手っ取り早い方法だと語る。
「あれは二本の角を持つ真っ白な人化け馬じゃったが、老化させられる際にわしが一本折ってやった。それをこの杖に込めたのじゃ」
「仇敵への部位破壊で得た魔法の杖なのね、あれ。ところで三本足っていう異名」
「まだそれは秘密じゃ」
「……さいですか」
スラム街から南に下って平原を突っ切り、山を越えること数度。シウバウという名の森にやってきた。
ここから更に南下すると乾燥地帯が広がり砂漠が顔を見せるとの説明だが、今のところは関係ない。
飛竜の皮袋に包んだ婆を背負って駆けること数百キロ。該当地に辿りつくまで飛んで跳ねて舞い上がり、疾走するを繰り返したのだが、衝撃吸収性、場所によっては保温性、通気性に優れた素材で守られた老体に疲れはないようで、顔だけ出したカンガルーの子のような状態の彼女は、興奮さめやらずのリアクションを示していた。
「人の背の乗っているとは信じられぬ。疾駆する魔物の背に乗っているとしか思えぬ速さじゃった!」
目当ての二角獣は人化するというが、それに乗ったことがあるのだろうか。
まあとりあえず飛翔することはかなわぬとも、飛脚のような真似が大受けしたことは間違いない。
太刀が攻撃力、鎧が防御力とするならば、この身体能力は数珠の恩恵か……どちらにせよ、エヴレン婆が自称する歳のままならば速度はもっと出していただろう。
それでも空飛ぶ速さ並みに駆けている。このまま日が暮れる前に問題を解決してしまおう。
§§§§§§
シウバウの森に入り、昼だというのに霧のように煙る落葉樹林の一帯に踏み込んだ。
林の向こうに見え隠れする枝垂れしたような規格外な巨木が、人化できる二角獣の棲家なのだろう。
近寄るにつれ白い花に緑の葉、さらにさくらんぼのような果実も確認できる。
木幹の真ん中に設置された鉄の扉の前には胡散臭い先客がいて、二階部分を示すような出窓を見上げていた。
嫌な空気が渦巻いている、とエヴレン婆が口走り、杖をつきながら小走りで先に行く。
「その姿は、魔道士……?」
赤褐色婆の驚愕の声に、暗い色のローブを羽織った先客がうろんげに振り返った。ほう、と占い師のような彼女の小柄な体を見つめ、黒か? と呟く。
杖を握るエヴレンの手が震えていた。
「あやつはどうしたのじゃ、老いた二角獣」
「……繋ぎのもの、白のことか。やつは今人化して棲家のなかに篭もっている。小賢しい結界を張りおって、洗脳が解けたとたんこの歯向かいようだ」
「繋ぎのもの……」
「お前を知っているぞ。白いあやつの目に映った黒いお前を知っている」
何かを悟ったようにはっとした婆が、生気を吸い取ったのはまさか、と独語した。
「調教した白を中継して何人もの若い女子を吸ったものだが、そのなかで特にお前はうまかった」
「それでは……ではわしの祓うべき本当の相手は」
「いまだ生命の躍動を内に秘める黒サソリ。雲隠れから一転して戻ってきおったか。愛いやつよ」
黒サソリというワードを口にしてうっすらと笑ったジジイの魔道士がゆらりと揺れる。
あれは霊体じゃ、物理的な攻撃ではかすり傷ひとつつけられん、とエヴレンがうめいていた。
そんな彼が手にする黒い傘のようなものを振りかざそうとしたとき、棲家たる巨木の二階窓から白とやらが姿を見せた。
「エヴレン……!」
「メイ・ルー……無事であったか」
「肌黒婆、自慢の角を折った憎きサソリ。生きてたの」
「ぬしこそわしの若さを吸い取った仇敵。しかししかし、姿なきに等しい霊体の魔道士に操られていたとは」
因縁深い二人のやりとりを聞きながら目をこらす。
メイ・ルーと呼ばれた無表情な白い婆さんは人化の状態なのか、それにしてもその様相はまさしくアルビノ。
白皙人種より体毛や肌が白い。ピンク色の花が満開する樹木の建物のなかで映える真っ白な額には、折れた角と伸びるもう一本の蒼い角が生えていた。
「ちょうどよい。黒白揃ったところで命の灯火全てを頂こう。今の我は微力すら欲しい。邪神がお隠れになった乱世の機会を逃してなるものか」
魔道(当方はまったくの無知)の傘が開いて天蓋のようなものが姿を現したとき、似非サムライはエヴレンに対する危機を感じて数珠を取り出した。
太刀を抜くことを忘れていたのはある意味余裕というべきだろう。
白頭巾に黒紫の鎧という俺の姿を見咎めた魔導士が、助っ人かと嘲笑っていた。
「剣聖と名高い冒険王すら霊体のわしを相手にすることはできん。どこの馬の骨かは知らぬが」
「サムライ・ウンシンですよろしく」
魔道士(笑)との距離を一瞬にして詰め、その横っ面を漫才師の突っ込みばりに数珠を持つ手ではたいてみせた。
ブブっという電子音のような手ごたえとともに、かの霊体が大きく揺らぐ。
上空に逃げたジジイが突っ込みを入れた頬を押さえてうめいている。
「この痛み……どうしたことだ。物理攻撃はこの体に効かぬはず」
振りぬいたのは物理でも、降魔厄除の化身(事実だが俺的には思い込み)が放つ一振りは実体も霊体も関係がない。
虚実双方を打ち抜く力で魂にダメージを与えた、と解釈しておこう。
そうでなければアルダーヒルで至高の魔物、と謳われるヤーシャールを退けることなど不可能であろう。憎々しげに俺を睨みつけていた奴が、はうあとしか表現できないリアクションを示した。
エヴレンが荒い鼻息を放つ。ぬしもようやく気付いたか、とどや顔である。
「見えるか? この者が持つ気の色を」
「……銀の霊気を宿す人間だと? ありえん! 有史以来、そんな人種など聞いたことがない」
見える二人とは違い、アルビノ婆はそんな反応を窺いながら絶句してこちらを見つめていた。
「この身は不死の存在ぞ。それを切り裂く程のものを、砂漠を追い出された黒サソリごときが召還したというのかっ」
錯乱気味な魔導士が傘で突いてくる。その天蓋を、鎧の篭手で受け止めた。
目に見えぬ衝撃で森と大地が揺らぎ、巨木に張り巡らされていたアルビノ婆の結界が瞬時に霧散した。
霊的攻撃が防がれたと驚愕しながら、実体なき魔道士が透けていき、景色に溶ける。
「生気食いで鍛えたその魔道の傘を壊して! おそらくそれが霊体の弱点」
角が生えたアルビノ婆の叫びにそれができるのは俺だけだと理解して、腰にある太刀を抜く。
邪神相手ほど本気で抜き放ったものではないにせよ、銀色の太刀筋が波動となってジジイの消えた方向の斜め上空へと飛んでいく。
スン、という切り裂く音の後に、太陽の日差しを覆い隠していた広い範囲の木々が、埃が散るように遠くへと舞っていった。
「あ」
「あっ」
黒白の小柄な婆さんもその暴風に巻き込まれた形で、気流に乗って彼方へと姿を消していく。
やりすぎたかと内心どきどきもんで太刀を鞘に収めた。
霧に包まれたかのようだったアルビノ婆の棲家周辺は、現在小春日和に照らされて、日光浴に最適な一空間となっていた。
「……! ……!!」
苦悶のうめきを放つ実体なき存在が太陽光によって焼かれ、霊体から煙を発し始める。
適当に見定めた抜刀斬りによって魔道アイテムたる傘にダメージを与えることに成功していたのか、それは天蓋から損壊していた。
あれでは日よけになるまい。
「銀の霊気の人間……おのれ、おのれは一体!」
「二度目の問いには、いくさの神だと答えておこう(いくぶんナル気味)」
「異教の神……! まさかその加護を得ているのか?!」
翁は恐ろしい形相で偉そうに踏ん反り返る俺を凝視しながら、延々と呪詛を唱え続けていたが、闘神の化身たる当方に何らかの影響があるわけもない。
数珠を持ったままお祓いの真似事を繰り返しているうちに、霊体の気配もろとも完全に標的を消滅させることに成功した。
お化け退治後半の凄惨なやりとりも、夢追人ならまあええやろ、の心意気で後に引くことはない。
オカンが落とす雷のほうがよほど怖い。
一仕事したことで腹が減ってきた。数百キロのマラソンも体力消耗の原因だ。
結界が解けたことで侵入し放題の巨木の家で食料捜し。
悪人も形無しの泥棒野郎である。
探し当てたサクランボの蜂蜜漬けを盗み食いしていると、家の外からおーいという女の二重奏が聞こえてきた。
扉を開けて外に出る。
「誰……?」
十代後半にしか見えない赤褐色の肌の美人が、見覚えのある占い師のような格好でこちらに向かって全力で走ってくる。
その後ろから片方の角がない白い二角獣が長いたてがみをなびかせ、速歩(人間で言う小走り)で続いてきた。
喜色満面だとわかる雌馬と、可愛いにも程がある女の姿を窺いながら、壷のなかの甘味を堪能して思わず俺も笑顔で応じた。
いきなり変化した状況を理解するのに戸惑い、笑うしかないといった気分だった。
夢はまだ続いている。