夢四十九話
黒ねじりの槍が横に振り払われた。くるくると巨大爬虫類の太い腕が舞い上がる。
恐竜に等しいそれが爪から落ちて、岩の破片に突き刺さった。
「グォ」
「頭を割られ、竜の炎に焼かれ、生き埋めから這い出てなお暴れ回る。樹海の魔物とはいえ凶状にすぎる」
自慢の獲物を肩に乗せ、藤色の髪のイケメン騎士が白い歯を見せている。
颯爽とした笑顔ながら、赤い光を放つ瞳が禍々しい男の言う台詞ではない。
「ハイ・イェン族の若造」
蜥蜴を退治しにきたと言いながらラウ・クーダーと呼ばれた青年は、敵に背を向けたままで、若い竜人に向かってちっちっと人差し指を振っていた。
「竜の真髄を見せてやろう」
ズズズという轟音のなかで黒い竜気が放たれる。同じドラゴニックオーラ(勝手に)でも気合いの質と量は素人目からしても、ドーテイ卿のものとは桁違いだった。
「竜族最上位の黒霊気……そんなばかなあやつは人」
「引きなされドーティ卿、これは気合いなどではなくもはや爆風だ」
閃光が先に来た。衝撃波がそのあとで円状に広がったと思われる。
俺はその光の前に動いていた。
爆心地から逃げようとする二人の背に、轟音の目に見える波が襲い掛かる。
太刀を抜き放ちながら間に立ち塞がり、大津波のような衝撃を受け止め、ほぼ同時に弾き返した。
歯を食いしばり、うぬぬぬとがなって弾いた波は、空の遥か彼方に飛んでいく。
遠くで炸裂するドラゴニックオーラの花火を見た。
「くっくっ。ああ、やはりあんたならそうすると思ってたぜ。サムライの仲間を守る動きは観察させてもらった。本気でぶっ放した竜気を爆発ごと跳ね返すなんてのは、この世であんたしかいねえよ。多分」
「多分?」
「邪神でさえ退転する。このアルダーヒルでは何が起こっても不思議じゃない」
クレーターのなかで風雲公が黒ねじりの長槍をひと振り、かつては首巻蜥蜴だった巨大なケシ炭は風に吹かれて舞い散った。
狂気の魔物を二振りで滅殺した藍色の鎧の騎士は、外が黒、内側がダークパープル的な色のマントをはためかせ、クレーターの坂をゆっくりと上がってくる。
なんとも絵になる光景だ。
距離をとっていた二人が驚愕を隠せずに駆けてきた。
赤牛バルクフォーフェンが魔人か、と青ざめた顔で呟くも、彼が受けた衝撃が平然に見えるほどドーテイ卿の自失ぶりが際立っていた。
「クラスタール樹海はオレの他にも複数の勢力圏が入り組んでいる区域だ。それでも暴れ回る巨大蜥蜴を退治できるのはオレくらいなもんだろう。つまり何が言いたいかっていうと、竜の若造、そう落ち込むな。お前はオレの手下どもや他の軍閥の雑魚どもよりは確実に強い」
「……」
顔面蒼白なドーテイ卿が唇をかんで相手を見る。
最上位の竜気を間近で感じたのは初めてなのだろうか、武者震いがとまらない様相だった。
「エヴレンどのを連れていたら、今頃」
そんなかすかな独り言は俺と赤牛しか理解できなかったはずだった。
人間離れした槍使いながら、それでも闊達さを失わなかった彼が黒の名を聞いて表情を一変させた。
「エヴレン? 今、エヴレンと言ったな……ハイ・イェン」
若い竜人との距離を詰めた神速は、俺にも赤牛にも認識できなかった。
気付けばドーテイ卿の首元を締め上げ、片手で持ち上げている奴の凄惨な横顔が近くにあった。
「それはタウィ族の姫の名か?」
「……ぐ、ア」
「答えろ」
「詳、しくは……知らん」
ラウ・クーダーなる青年のエメラルドの瞳が赤く光る。開けた口から牙を剥いたことで明確な殺意を感じ取った俺は、藍色の鎧の腕に手をかけた。
「邪魔をするな……殺すぞ」
「やってみろ」
がはっと息をついてドーテイ卿が地面に尻餅をついた。
動物的な勘なのか、バルクフォーフェンが若い竜人を支えて遠のく。
「全てはエヴのためだ……いつか、あいつを迎えに行く。この力を完全に自分のものに……したら、ふたりで」
うなり声のような独り言を口にしながら、槍使いは赤く充血した宝石のような双眼をこちらに向けた。
「サムライィイィ……サムライ、殺す! おれの、唯一の敵」
彼の藤髪が総毛立つ。マントが浮き上がる。
樹海の天地がざわつくほどの竜気開放で、逆にこちらも感化されてその気になった。
上昇気流な黒い炎にまかれつつも、白頭巾と鎧で完全防備な俺は、暖房器具に近づきすぎて熱っとのけぞった程度の感覚で済んでいた。
髪の毛がアフロにならずに済んだところで、お返しとばかりに気合いを返す。
息を吸い込んで大喝してみた。
ちなみに大音声の意味を可愛く変換すると、ボクはいくさの神だぞ、下郎め控えおろう、である。
銀の霊気を最大限に開放しながら、竜気ごと黒い炎をかき消した。
「あっあっ」
相手の気合を十倍返ししてしまったことに気付き、我に返る。
邪神と戦ったテンションに一番近い迸り(それでも五割引)を発散できたことで、スッキリ気分爽快になったものの、眼前の光景にあうあうとうろたえる。
できるだけしない、と決めていた天災レベルの自然破壊が目の前で起きていた。
最前まで周囲に生い茂っていた川沿いの樹木が吹き飛び、あるいはなぎ倒されている。
新しくできた獣道のようだ。そんな横幅の大きい道が火山アラストラハンの方向に向かって何百メートルも続いていた。
「風雲公は」
「……ここだ」
俺の大喝を気合い返ししようとして弾かれた藍色の騎士がクレーター内で黒ねじりの槍を岩盤に突き刺し、半腰で踏ん張っていた。
引きずられた二本の線が地面に刻まれている。
邪神の角が地面から引き抜かれた。バゴン、と地層が崩落する音がする。
「……雄叫びひとつで天変地異を軽々とやってのける。やはりあんたは別格の化け物だ……だがそのおかげで正気に戻った」
窪みから上がってきた赤褐色の肌のイケメンがどっかりと大地に腰を下ろす。
大喝に耐えた彼はそれで力を使い果たしたのか、肩で息をついていた。
「ウンシンどのの力がこれほどとは。もはや何とも言えん」
「……人と鼠の戦いを見上げる蟻の気分だ。ハイ・イェンの名が泣く」
赤牛がこれは夢だと呟く。それに同意する若い竜人が遠くに伸びている獣道をあらためて確認し、薙刀を手落とした。
「……頂上竜との同化が進行すればするほどあんたのでたらめが身にしみる。確かに今のおれはまだまだ鼠だ」
「その鼠以外は蟻以下だがな」
舌打ちしながらドーテイ卿もあぐらをかいた。
剛毅なバルクフォーフェンすら同様に足腰が立たぬ、と座り込む。
「だめだ、今のままでは……まだ会えない……エヴレン」
後ろ手をついて空を見上げた藤色のイケメンは黒と同じタウィ族なのだろうか。ドーテイ卿が武人の矜持以外のものを刺激されてうむむと唸っている。
複雑な関係が垣間見えたものの、この黒ねじりの槍使いとの出会いは口外無用、と若い竜人に口止めしておかねばなるまい。
ようやく青春を謳歌しはじめた黒に、この手合いの雑音は今しばらく必要ないだろう。
エヴレンと同じ肌の彼にサソリの尻尾が見当たらず、同族とは断定できないわけで、とりあえずこのことは一時的に忘れておこう。
鳥頭ならではのわが特技を発揮するときだ。