夢四十二話
山を越える。獣道にかかる。馬車を押すのは、ジュディッタ姫の従者でもある似非サムライである。背にした宝物の旗指物を風になびかせ、馬を操るポチャとホソの補助に勤しんでいた。
メイ・ルーは角獣の状態になり、交易品を運んでもらっている。
エヴレンといえば馬車押しの力添えだとゆずらず、ぴったりくっついて離れない。
「やはり生き神さまのそばが一番いい」
隣でかっぽかっぽと進み行くメイも、といういななきに混ざって、金髪姫がだいじょーぶかーと窓から顔を出して呼んでくる。
問題ないですと返すも、扉を開けて降りようとする彼女を、同室する烏女が遮っていた。
後ろの窓からそれが見える。ネコ娘は箱のなかでおねむのようだ。
秋晴れの空を見上げながらそいほいと車体を押し上げる。
そのうちに丘陵の下りにさしかかり、自然に馬車自体が進みだした。
「っしゃ、駆け足だ」
駆けだす俺を追って黒白もついてくる。
二人からプレゼントされた旗指物は白いままという状態ながら、そのうち一文字を入れてやろうと考えている。
そばにいて助ける、とかいう意味の文字をだ。
笑い声を聞いた。
生き神さまは子供じゃ、という藤色の髪をしたエヴレンの笑顔がすぐ近くにあった。
荷物を背負ったアルビノの角獣が並走している。思わずたてがみを撫でる。
なんと平和な光景か。まるで大昔の青春ドラマのようだ。
向かい風を感じながら、広がる緑の大地に向かってダイブするように飛び跳ねた。
若気の至りを刺激した道を進むこと半日、いつしか二頭の馬を休める時間になっていた。
途中で騎馬民族のような一団に襲撃された以外は予定通りだ。
野宿の場所は、傘のような巨樹の下に即決した。
そろそろ旅慣れてきた金髪姫が馬の世話を、ポチャとホソがサバイバルに適応した黒白の指導のもと、火を熾して夕食の準備に入っている。
ニャム姫はもふもふの素材で寝床作りを担当している。
拾ってきた手ごろな石に腰掛ける手持無沙汰のミヤマが、彼女たちに悟られないようため息をついていた。
「盗賊どもを追い払う際も馬車で待機、野宿の支度すら役にたたず、か」
そんな自嘲に気がついた俺は隣に座る。利き手があまり機能しないでは仕方がないというものだが、武においてもサバイバル生活においても熟練の彼女から言わせれば、今の自分は無駄飯食いの足手まといでしかないと無念の様相だった。
「青羽のミヤマともあろうものが、こんな」
「治る。その利き手は必ず治る」
「湯治場でどのような治療を受けてもこの手だけは改善しなかった。医学が無力となれば、あとは命を削ることで可動に至る裏魔道の術を施すしかない」
不自由な毎日を繰り返すうちに自制も揺らいできたのか、彼女の眉間の皺が深い。
そんな懊悩にどんな気休めをかければいいのか視線をさまよわせていると、うちの娘らがやってきた。
「ミヤマん、そんな邪悪な術に頼る必要はない。貴女にはウンシンがいる」
「そうじゃ。今のミヤマんを生き神さまが見過ごすはずはない。古今独歩の勇士が治るといったら必ず治る」
熾した火に鍋をかけた女中たちを見届けたメイ・ルーとエヴレンがミヤマの前に仁王立ち。
根拠などなにもない台詞を放って威張りだした。
「どういう……?」
すでにミヤマんという呼び名が定着した彼女がしばしの間を置いて、小さい声で問いかけた。
見上げられた二人はふんぞり返っている。
「魔道の類などもってのほか。ミヤマんが危険を冒すことなく以前以上の力を手に入れたいと思うのなら、何よりも生き神さまにすがるべきじゃ」
「具体的にどうすがる?」
「ウンシンは女に弱い。性別不問の殻を脱ぎ捨てた貴女はメイから見てもいい女。その武器を最大限に活用すべき」
「コラコラコラ」
立ち上がりかけた俺の袖をミヤマがすがるようにつかんだ。
こちらを見つめる左右の瞳の色は違うものの、同じようにゆらめいていた。
「本当に私の傷は、治る……?」
「……」
「治るのだな?」
重ねて問われて立ちすくむ。ここに至って女中以外の面子が用件を終えて周りに集まりだした。
「銀の霊気どの、ミヤマんの手は本当に治りきるにゃむ?」
「あー、えっと」
「魔道に手を染めず本復できる方法はわらわとて心当たりがある。ミヤマんどの、そなたもひとかどの女。己の使い勝手は心得ていよう」
黒白と似たことを言う金髪姫の表情は真顔である。
「姫様、夕餉の支度が整いそうです」
女中二人の声で周囲の連中がメシだメシだと焚き火を囲みだした。
残された俺がどうすべきか難しい顔をしていると、ミヤマがわが手を握ってきた。
「こういう手管は……な、慣れておらぬ」
「……」
「女を武器にするのは初めてなのだ。だが歴々の皆がそう言うほどの効果が期待できるのならば、私も誇りを捨てて女たる所以を利用する」
「あのそのちょっと待って。イカンいかん」
ミヤマの色仕掛けの詳細はカットする。
青白い顔を真っ赤にさせて誘ってくる濃紺の髪の美人さんに恥をかかさぬよう、なんとか応えた形で立ち回った次第である。
食事の後の酒盛り、そのあとの就寝、いずれもべったり付き添われて水商売のごとき接待を受けた俺は、皆が寝静まった気配を待ってから、ミヤマを夜の散歩へといざなった。
「ウンシンどの、男として育った私の奉仕ではまだまだ不足であろう。ならばいっそ」
「ハハハおよしなさいハハハ」
月明かりの下、青紫の影衣装を脱ぎかけたミヤマの片手を押さえた。
動きのにぶい利き手のほうを俺は持ち上げ、それに一粒の珠を乗せて握らせた。
「これは……」
銀の霊気で光る珠を片方の手でつまんでみせたミヤマが、首をかしげてこちらを見る。
意識したぎこちない行動に比べ、そんな自然な仕草は女慣れしていない俺の琴線に鳩尾パンチを食らわすほどの効力があったが、目の前の可愛い生き物はぼうっと光る珠に魅せられて気付かなかったようだ。
「それはミヤマんのもの」
「……」
「黒白もジュディッタ姫も持っている」
「私の、珠」
色の違う鋭い彼女の両目がふと和む。これは逸品だと呟いている。
影の武人もやはり女の子なのだ。
「これを利き手にぴったり密着させると痛みが引いて指が動く。なんとも不思議だ」
実際グーパーで動いている指が効力を物語る。
婚約指輪を渡したかのような月下の状況に気付き、気恥ずかしくなって沈黙した。
しかしそんな照れはすぐに引っ込めた。つまんだ珠に夢中なミヤマの手を引き、寝床へ戻る。
そうした散歩は一夜の夢の如く過ぎ去った。
朝になって目が覚めたときには、ミヤマの珠は利き手の甲に埋まっていた。