夢三十九話
敵国からの物見遊山な襲撃を受けてから数日、興し入れの準備が整ったジュディッタ姫から、諸国を外遊していた跡取りの王子を紹介された。
彼がベルグラーノ城塞に帰還してすぐの対面になっていた。
グレイグ・ベルグラーノ・トゥルシナと名乗った金髪マッチョマンに礼を施す。
そう畏まるな、と気さくに声をかけてきたラグビー選手のような男前の笑顔が眩しい。
わざわざ貴賓館に足を運んでいただいたフットワークの軽い王族が、どっかりとソファに腰を下ろした。
テーブルを挟んで俺もそれに続く。兄の隣ではなく俺の横に座る姫の行動はこの際気にすまい。
武勇に長けた万人の将、と名高い(らしい)彼が、不在の間の出来事を妹に質問していたものの、メイドから手渡された熱い紅茶を口にして、嘘も方便な身内の説明にひとまず納得したようだ。
白ワイン入りの紅茶で相好を崩すマッチョマンに、姫を連れて明日にも出発しますと告げる。
「ああそうそう、そなたの嫁ぐヤル・ワーウィック冒険王、あの勇者の噂は外遊先のそこかしこで聞いていた。武人としても妹の婿としても一度会ってみたいところだ。父上が健在なうちに押しかけようと思っている」
「兄上はトゥルシナの要。これ以上城を留守にするわけにはいきますまい」
妹同様腕比べが趣味という彼に、どうだ使者どの剣で話し合わぬか、と詰め寄られたが丁重に辞退した。
二回の撃退戦の指揮を執った妹とは後でチャンバラするらしいのだが、こちらとしてはここ最近ドンパチのモチベーションが著しく下がっていてそれどころではない。
「もし子が生まれたら余は伯父だ。そなたに会いにいってもかわまぬだろう」
「冒険王と手合わせしたいからでしょう」
わははぬふふと笑いあう兄妹は似たものどうしだった。
そんな豪快金髪マッチョマンからひとっ風呂どうだと誘われ、試合をするよりいいだろうと暢気に同伴を承知する。
身支度に戻ったジュディッタ姫をよそに、貴賓館にある浴室で野郎どもが向かい合った。
身長百九十センチはあろうかと思われるムキムキ王子が顔をひと洗いして、ふと思い立ったかのように口を開いた。
「アルダーヒルは東西南北どの地域にかかわらず、大多数の軍閥が火種を抱えている。先にもツインコーツィ獣人公が得体の知れぬ浪人に城を奪われたように、このベルグラーノ城塞も安穏ではありえん。ゲレオン連合からちょっかいをかけられたと聞いて、余も早々に戻ってきたくらいだ」
その言葉に相槌を打ちながら、こちらも何気なく推測してみた。
「つまり比較的権力基盤が安定している冒険王のもとへ姫をやる、というのは」
「乱世は先読みせねば。世知辛いがな、しかし血は残さねばならん」
グレイグ王子もニャム姫の兄であるワム・ツインコーツィ獣人公と同じ考えらしい。
俺にはお家大事の切実さはわからない。しかしいつ果てるともわからない戦乱の世において身内を落ち延びさせるのは、やはり珍しいことではないようだ。
いつの間にか姿勢を正していた王子が表情をあらため、当方を凝視していたことに気づく。
「しかしそなた、武張った妹にあれだけなつかれる、という特技を持つ以上、ただの使者ではあるまい。やはりひとかどの武人だと断定してもよい」
「イヤイヤ」
「そんなそなたを見込んで頼む。わがもとを離れる妹を頼む」
「……」
ごつい面に隠せぬ必死の形相に気おされ、思わず頷いた。周辺国を見回り、それぞれの情勢を知ったからこそ、こうして浪人者に頭を下げているのだろう。
姫ひとりの身ならお任せ下さい、と大口を叩かずにはいられなかった。
この世界の栄枯盛衰に首を突っ込むつもりがない俺は、今のところ自分の周りの者を守るのが最優先になっている。
他はどうなっても知ったことではない、というスタンスがいつまで続くかわからないが、少なくともジュディッタ姫はうちの娘らの仲間だという認識で間違いない。
そんなやりとりに時間を忘れていると、期待通り入浴中にワインが運ばれてきた。
今宵は飲み明かそう、というグレイグ王子のお誘いに乗ったのは、この先起こる何かを互いに予感していたからかもしれない。
乾杯の音頭は二人がのぼせるまで続いた。
§§§§§§
王子と深酒した翌日。出発じゃ! という金髪姫の勇ましい掛け声で、馬車と徒歩の俺という少人数でのお輿入れ一行が城外へと旅立った。
御付きの女子隊はずんぐり娘とそばかす細娘の二人である。
いずれも気力体力に優れた勇ましい女騎士であり、メイドだった。
二人が交代で馬車の手綱を握り、少ない荷物を積んだ馬車には姫が指揮棒を振って、道行く先を示している。
ボディガードたる当方は護衛の対象が少ないだけに気楽なものだ。
「湯治場に向かうというのなら、わらわもそこで何日かは留まりたいものだ」
「御意」
「冒険王の家臣どもに西からの都落ちと言われぬよう、妾とて肌を磨いておきたい」
馬車から顔を出す女傑のにっこりへにへらと返す。
大柄で男顔ながら金髪碧眼の美人さんである。愛想笑いなど自然に浮かんだ。
「道中、ウンシンとの手合わせの時間にも事欠かぬであろうし、ゆっくりと旅を楽しもう」
「ハハハそうですね」
強くなりすぎるのも困る。そんな心配で笑顔が引きつった。
城塞の主をとっちめる妾など聞いたことがない。
ヤル・ワーウィックが噂通りの勇将であるように願いつつ、手合わせの時間はできるだけ寝てスルーしようと思ったうっかりサムライなのだった。
山や峰を越え、平原を疾駆し川沿いを進む道すがら、行く手を阻む存在が様々にあらわれたが、わが数珠入りの大剣を振り回す剣豪姫の前に、いかなる人も魔物も立ち向かうことはできなかった。
打ち払われる輩は、ただ彼女に実戦経験を積ませただけの障害物にすぎなかったようだ。
しかし魔道まがいの術を繰り出す集団相手に無双したときは、さすがにそのお転婆を嗜めたものだ。
「やりすぎです」
「敵は玄妙な攻め手を繰り出してきおった。全力になるのは仕方がない」
「俺と御付きの出番がありません」
「そういうな。ウンシンが手合わせの相手にならぬのが悪いのだ。鬱憤がたまる」
「……さいですか」
珠の力を得た戦闘マシーンのパワーアップは、元々亜人であった黒白の覚醒にも劣らない。
彼女ら以上のポテンシャルを秘めているジュディッタ姫の急成長に、俺は知らんと投げやり気味に返事をしておいた。
姫のお兄様に頼むと言われたとて、その必要はないのではないか、と思い始めている。
「グレイグ兄さま、心配いらぬぞ。わらわはいつまでも子供ではない。トゥルシナの家を守るからには、その方法すら問わず従おう。そして約束しよう……わらわは東で血を語り継ぐ。兄さまは」
遺跡の屋上にてベルグラーノ城塞の方角へ視線を向けるジュディッタ姫の感慨を、俺も御付きの女子二人も確かに聞いた。
途中で言葉を切った理由は知りたくもない。
夕陽を受けて光り輝く金髪姫が夜の前に一戦どうじゃ、と剣闘の誘いをかけてきた。
断る雰囲気ではない。月見の酒で夢を見る前に、彼女の不満を解消することにしよう。
明日の投稿はいつもより早い時間になります。