夢三十八話
「なるほど噂以上の姫剣士。人間の女と侮った熊が敗れるわけだ」
つがえる矢が尽きたことで、紅の鎧に身を包んだ痩躯の小男が弓を投げ捨てた。
背後の部隊に騎兵突撃を命じることもなく、あくまでも一騎打ちに拘るあたり、ベルグラーノ城塞攻略が目的ではないのは明らかだ。
熊退治で名を馳せたジュディッタ姫を打ち負かすのがマウリッツ・デューリングとやらの本望なのだろう。
ゲッゲッと奇妙な笑い声をたてる細長い蜂男の様相に、金髪姫が本能的に馬を下りていた。
それを御して後方へ下げるのは俺の役目だ。
「後詰が」
暴れ馬をどうどうしながら、赤備えのさらに後方から聞こえてくる馬蹄の響きに耳を澄ます。
砂塵とともにやってきた同色の騎兵団の進軍が止まる。
そこから一騎駆けしてきた蜂以上のひょろ長い騎士が、馬上から同僚に声をかけていた。
「予想通り手こずってんじゃねえか」
「マクシム候を撃退した相手を鎧袖一触、というわけにもいくまい」
「熊がだらしねえだけだろ。おれィに任せろや」
「横槍めが」
「っせえ!」
馬腹を蹴った紅のひょろ男が姫に突進する。
長身ながら痩躯にしては驚くほど重量感のある鉾を軽々と掲げ、標的にめがけて突き出す。
と同時に彼女も大剣を薙いでいた。
ひしゃげた金属音とともに鉾が宙に舞う。奴が乗る赤い馬の断末魔は聞こえなかった。
ただその首が遠くにポテンと落下したのが印象的だった。
頭部なき馬が体勢を崩して倒れる前に、ひょろ騎士は飛び跳ねて地上に降り立っている。
「はっはあなるほど。確かにこりゃ人間の力じゃねえな。女ぁ、どこぞの魔物と契約しやがった」
「蜂めと同じことを言うか、芸のない」
「そりゃ言うだろ。どこの世界に鎧ごと馬の首を叩き切る女がいるんってんだ。それもおれィの鉾をへし折りながらだろ? そんな人間なんてのは存在しねえ」
口の悪いひょろひょろ男が手のひらを姫に向けた。
粘着質の白い糸のようなものを放出したそのなにかが、彼女の大剣に絡まった。
「むっ」
「つーかまーえた」
痩せた細長い顔、その口から長い舌が伸びている。
ひひひと薄笑う彼からも人外の気配が感じられた。
「そうか、キサマは蜘蛛の」
「二十四将がひとりジャイ・タイ。これでおめえはおれィのもんだ。逃がさねえぞ」
ジュディッタ姫の手元が糸巻きでがんじがらめになった。
そいやと蜘蛛男に引き寄せられた彼女を救うのは、馬の手綱取りたるわが役目であろう。
鉄杖を肩にかついで現場に突っ込む。
「邪魔はさせん」
乱入させまいと、回し蹴りの要領で蜂の尻尾が飛んできた。反り返った鋭い先端が極太の杖を撃つ。
「おっ」
針の多段ヒットで鉄が抉られた、と思ったら、そこから吐き出された液で鉄杖そのものが溶けだした。
城門の素材にも使われる硬質の塊が砕かれ溶けて、半分に折れた形となった。
「次はお前の番だ従者」
「いかん、姫が」
「他人を心配している場合か。死ね」
ザクザクと針の先に背中をついばまれ、毒液のシャワーを上半身に浴びながら進む。
してやったりの相手を引きずりながら進む。
えっ、ちょっ、なにという蜂男の驚愕をよそに目的地に到着し、蜘蛛野郎と姫を繋ぐ粘着性の糸を小太刀で叩き斬った。
「ははっ」
ジュディッタ姫の軽快な笑い声が響く。
大剣を構え直した金髪の剣豪が、状況の推移を理解できず固まる二十四将とやらのうちの二人を見据えて言った。
「ウンシンのでたらめを見た剛の者は皆こうなるな! 腕に覚えがあるだけに、無力な自身を認識したくはないらしい」
「なっ……なんだこいつ」
「敵はわらわじゃ、こちらを向けい」
銀の霊気の大剣が、蜘蛛の体を唐竹割りにしようと降りかかる。
間一髪、強烈な斬撃から逃れたジャイ・タイなるものが額を押さえ、後ずさりながら叫んでいた。
っがあああおれィの顔があとうめく蜘蛛、なぜだなぜだと絶叫しながら俺の背中をプスプス刺し続けている蜂、相変わらず当方が関わるとシリアスな場面が薄ら寒いコントに変わるようで、両陣営からの反応も薄い。やはり固まっているようだ。
自失から立ち直った蜘蛛が砂砂利の地を蹴り、ジュディッタ姫にせまる。
チクチク刺してうっとうしいマウリッツ・デューリングの頬を往復ビンタで叩き、ぽいっと放り投げて応援に向かった。そのときである。
わが身に閃光が走った。轟音と暴風のなかで姫の声がする。
「ウンシン!」
「あ、大丈夫です」
「……あの極大の雷を受けて、びっくり仰天だけで済むのかよおい……おい、あれは一体なんだ」
「夢だこれは夢だ、ゆめだ」
俺の無傷を見た蜘蛛が腰を抜かし、ビンタで地に転がっていた蜂が折れ曲がった尻尾の針をかばいながら、首を振ってうわごとをほざいている。
雷鳴が響いた十数秒ののち、それを放出し終えた使い手が姿を見せた。
雷の気を纏わせた術者は紅のフードとマントをはためかせ、宙に浮かびながらこちらを見下ろしている。
ミヤマの風体のように、目元以外は布で覆って顔全体は見えない。
「マウリッツ・デューリング、ジャイ・タイ。物見遊山はここまでだ。戻るぞ」
「……雷神ヤルミラ。やはりあんたか」
「ノヴォトナ卿」
冷厳な女の声に二人の亜人騎士が我に返り、魔道士な風体の相手の名を呼んだ。
「四柱の貴女が自らここまで」
「醜態を晒すばかりの小僧ども、敵の力量すらわからぬか」
「そういうあんたも焦がしっぷりが足らねえんじゃねえか。さんざん炙ったつもりだろうが、この化け物には一切効いてねえみたいだぜ」
「またチリチリになったけどな」
白頭巾からはみ出た髪の一部がアフロっぽくなっている。
炙られた周囲の地面が焼け焦げ、そこかしこから煙が湧き上がっていた。
その範囲からして尋常なエネルギー量ではない。
巨竜のブレス並みだ。
「御身の名を聞いておこう」
「サムライ・ウンシンです」
「サムライ」
何気なく問われ、何気なく答える。サムライ、というワードに何か思い立ったようだがそれも一瞬で、蜂と蜘蛛を促して撤退する、ときつい口調で命じていた。
不気味な亜人たちがヤルミラ・ノヴォトナという年増(適当な憶測)の女魔道士に唯々諾々と従っているあたり、その力量のほどが窺える。
「小生はまだ若い」
「もちろんです」
恐ろしきは女の勘である。俺の決め付けに釘を刺してくる相手の鋭さに思わず首をすくめて、すいませんと謝った。
バイオレンスに飽きているこちらとしては、騒動の元が消え去ってくれるのならばいつでもイエスマンに変化する。
赤備えといい二十四将といい、何か引っかかりがないわけでもないが、似非サムライたる俺の頭は鳥並みの記憶力だった。
因縁めいた三人が今回も出番のなかった騎士団を連れて、草原の地平線へと消えていく。
「ウンシンよ、見たかわらわの増長を」
「言葉の使い方がズレているような気がします」
「あながち間違ってはおるまい? 熊と同格のきゃつらと互角に戦えたのだ。得意になってもよかろうが」
敵軍を見送ったテンションの高い剣豪姫から飛びつかれて尻餅をついた。
これ以上強くなってもらっては婿になる冒険王の立場がないと危惧したものの、当の彼女はヤル・ワーウィック程度には剣を使えねばな、とその程度扱いで鍛錬の鬼になると決定事項を伝えてくれた。
これは俺のせいじゃない、せいじゃないと心の中で唱えながら、ベルグラーノ城塞に引き返す。
しかし明日には忘れてしまう鳥頭、黒白にも施した珠渡しの行為は、これからも続くだろうと思われる。
悪夢だけは見ないように今夜は深酒と決めた。