夢二十六話
朝霧が晴れていく。
昇る太陽が熊が持ち上げる巨大槌を照らしていた。
「まずは片腕。そして次はもう片方。意地を張るたびに自身の体が欠損していくことになる。だが安心せい。オレ様は腕がなかろうと足がもげようと貴方を愛し続けてやろう。もう一度問う。わが嫁になれ」
半獣の大男が硬直する金髪姫の目の前で吼えた。
すでに伏兵の策も破れ、女子隊も長槍騎兵も弓兵も侵略者の大喝で腰を抜かし、耳をふさいでいた。
かろうじて大剣を構えた馬上の金髪姫が、大地に立つ赤茶色の熊を見上げて傲然と笑っている。
「わらわはジュディッタ・ベルグラーノ・トゥルシナ。何者であろうとも、力ずくで意のままに操ろうとするものに対し抗する騎士である。それほど執着するのならば、肉塊となりしわが身と婚儀を挙げるがよかろう」
「……仰せのままに」
蒼白だが彼女の揺るがない気概を察した熊がやや間をおいて、牙を剥く。
ジュディッタ姫の片腕めがけ大槌を振りぬきかけた。
その前に、俺は城壁の淵に足をかけた。
何も考えず、反射的に体が動いた。
八メートルほどの高さのレンガの壁から飛び降りる。
飛び降りながら、まさに姫の腕を破壊しようとしていた熊の上半身に向けて、手の内にあった長大な鉄の棒を投げた。
空中での体勢ゆえか、減算された槍投げの速度に気付いたマクシム候が、ぬおっと叫んで大きく飛びずさる。
鉄のそれが大地に突き刺さる。轟音とともに、硬い砂地に食い込んだ鉄杖がびいいんと揺れていた。
「……鉄柱を投げたはキサマか」
「おう」
双方とも機嫌が悪い。こちらの場合、偽善の名の下のプンスカというやつだ。
霧が完全に晴れて、奴の背後の赤い重騎兵がこちらに進軍してくるのが見えた。
「腰抜けのトゥルシナどものなかで、キサマのような殺気を持つ男がいようとは」
「その棒を抜いてみろ熊野郎」
動けない姫の前に立ちはだかりながら相手に近づいた。
「わらわにかまうなウンシン。あやつは魔獣、世の常の手に負える存在では」
「動けるようになったら姫は城内へ」
「やめるのだ。その鎧ごと潰されてしまう」
「だいじょぶ」
俺は向き直り、埋まった鉄杖をつかんだ熊にどうだ? と聞いてみた。
「……ぬう」
七割がた沈んでいたわが獲物を片手で引き抜こうとしていたマクシム(もはや呼び捨て)がぐるると唸る。
砂地の下の岩盤でも貫いて外れないのだろうか、敵味方が見守るなかで腰をすえて両手で引き抜きにかかっていた。
「ぐぐぐ」
「おいまだか」
「黙れ!」
「北方有数の猛者と自薦するなら、埋まった鉄の棒ひとつくらいさっさと取り出せ」
「キサマ……」
赤い目がこちらを見た。両手から獲物を離し、地鳴りをあげてゆっくりと踏みしめながらやって来る。
お前がやれ、という台詞は二メートル半を越す体躯の大口からは発せられなかった。
敵味方を前に無様を演じられない相手が大槌を手にしている。腹いせにこちらを踏み潰すつもりでいるようだ。
「威勢のよい虫ケラ。姫より先に潰してやる」
白頭巾をまとった頭でそのまま受け止める。
落ちてきた槌はピコピコハンマーでなでられた程度の衝撃だった。
自身の剛力で手中の槌が耐えられず、柄の部分からへし折れた。
わが足場が割れて少し崩落していたが、金色有翼獣ほどの圧力ではない。
「……鍛えに鍛えたオレ様の鋼鉄の槌が」
「なまくら使ってんじゃねえよ」
そういう俺の獲物はそれ以上のなまくらである。
驚愕して仰け反るマクシムを放って棒状が刺さる場所へ移動し、それを片手で握り締めた。
「せーの」
鉄棒が埋まった一帯にズズズという効果音が発生した。引き抜いたのはそれだけではない。
刺さった地盤ごと巻き込んで持ち上げたため、硬い岩がハンマーのヘッドのごとき形を成して地中からお目見えした結果になっていた。
砂煙のなかで抉れた地面を足で舗装し直す。
そんな光景を見たマクシムが呆然から回復し、岩盤ごとだとありえん、と呟いていた。
「その膂力、お前は一体……」
「気合いれて体を引き締めろ。ぼーっとしてると即死するぞ」
岩盤ハンマーになった重みで、進みゆく俺の足音もずしんずしんと大仰なものになっている。
「一本足打法」
前世界でいう野球の神の打撃方法を真似てみた。
神の万分の一にも満たない無作法ながら、心のなかでは華麗なバッティングを思い描いてハンマーを振る。
「得体のしれぬ術。そうかお前も物の怪かっ!」
激昂して突進してきた熊の腹めがけ、サムライホームランと銘打って打ち抜く。
大槌を破砕し、何が起きたか理解していない獣を撃ち飛ばす。そんなばかなあああという遠吠えが朝焼けの空に響きわたった。
「おお真芯でとらえた」
カキーンという音はせず、どぼっといういやな重低音を立て、意識をなくしたマクシムが遥か彼方へ吹っ飛んでいく。
ブライトクロイツ重騎兵を越え、後方に控えていた数百の歩兵隊をも飛び越え、平原のむこうに流れる大河へとゆっくり落下していった。
ドボーンという音と同時に大きな水柱が立った。こちらとしてはたまやーの気分だ。
「……」
石の彫像になった敵味方が状況を確認するまで数分。
事態を理解して恐慌状態になる敵が後退を開始したのがさらに数分後。
姫以下のトゥルシナ兵たちがこちらに来るのを含めると、十分くらいはたっただろうか。
「……ウンシン」
「ご無事でなにより」
下馬してふらふら寄ってきたジュディッタ姫と息災を喜びあっていると、彼女の配下だけではなく、固唾をのんで見守っていた城中の重臣や騎士たちも城門を開いて押し寄せてきた。
北方の熊を打ち放った所業に信じられぬと騒ぎ立て、神のご加護かと叫ぶなか、金髪姫が未だに半信半疑ながら、ようやく自分を取り戻したように苦笑しはじめた。
「地に刺さった鉄杖を岩盤ごと引き抜き、あのマクシム候を一撃粉砕……なんだこれは夢か? たしかにわらわは酒好きだが」
「あれは川に落ちたようです。気合いれろやと伝えたので、おそらく半殺しの状態で済んでいることでしょう。それでもこの先悪さをできないような体にしてやりましたわい」
おなか減ったんでもう城に帰りましょうという俺の言葉の結びで、こんどこそ姫が爆笑しだした。
「なんという……起死回生なる所業なれど、おぬしにとっては朝飯前の行動なのか。ブライトクロイツ二十四将と呼ばれる魔物のひとりを雑魚扱いする人間……古今独歩の勇士どころではないな。神がかりな強さだ」
「まずい黒白の起床時間が近づいている。姫、はよ帰還しましょう」
「ゲレオンの赤備えを一人で押し返しておいて、あの娘らのご機嫌のほうが怖い? ウンシンにかかれば戦場の手柄など塵芥に等しいのか」
俺に手を引かれて城門をくぐるジュディッタ姫が喉の奥でくっくっと笑っている。
トゥルシナ兵たちの歓声に応えて、そんな彼女が大剣を上空へ突き上げた。
勝ちいくさの興奮で皆がどっと沸いた。
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馬に乗りあげたジュディッタ姫の御者となり、拍手喝采のなかで凱旋と相成った。
しかしながら城に引き上げた瞬間俺は走った。姫は女子隊以下の面々にまかせ、なかにある城門を抜け丘の上の迎賓館に駆け込む。
黒白がいる寝室に入る前に殺伐とした格好からパジャマらしき衣服に着替え、うがい洗顔身支度を整えて扉を開ける。
すやすや中の彼女たちの間に入り、ずっと寝てましたという体で仰向けに寝転んだ。
「ぬ?」
「ウンシン?」
「便所に行ってました」
同時に目覚めるエヴレンとメイ・ルーにおはようと返答する。
よく寝たという二人の笑顔にこちらもうへへと返す。
二度寝の体勢に入るそんな両側のめんこい娘たちに倣い、よっしゃ俺もと目を閉じる。
宮殿までの行進ゆえか、館の前が騒がしい。
とりあえず睡魔には勝てず、夢の世界で夢を見た。




