夢二十五話
迎賓館の外で金髪姫御一行を呼び止めた。多忙のさなか、彼女自ら事情を説明してくれた。明け方のことである。
「深刻ながら単純な話だ。わらわを嫁にとわざわざ騎士団を従えてな、遠方から夜通しでこのトゥルシナ城塞にやってきた押しかけ婿が外で騒いでいる。わらわが出ねば城ごと踏みつぶすと」
「押しかけ婿?」
「何度断っても諦めぬ半獣人の手合いじゃ。どこでわらわが東へ嫁ぐと聞いたのか、それとも以前から推参するつもりであったのかは知らぬが、いよいよ人攫いの実力行使に出てきたらしい。女一人にあのブライトクロイツ重騎兵を動員しての」
西世界の北方に割拠する勢力のなかで、赤い熊の異名を持つマクシム候コイロフという豪傑がいる。
城塞の主たちが同盟を結んでゲレオンという名の連合王国を北辺の地に展開しており、マクシム候もその一人らしい。
トゥルシナのお抱え魔道士による索敵網に引っかかった騎兵団の進軍を捉えてからというもの、王をはじめ重臣たちが詰める宮殿は恐慌状態になっているという。
祭りの後の城下町は寝静まっており、そんな頃合を見て相手側は忍び寄ってきた、とでもいうのだろうか。真相はわからない。
「こうなるとわらわが林道で盗賊に襲われたのも意味深に思えてくるな。偶然ではあるまい」
「秘密裏の人攫いが失敗したので、今度は堂々と奪いにやってきた。というわけですな」
俺の言葉に馬上の主が頷いた。緊急のこともあり、右往左往の家臣たちのなかで唯一策を示したのがこの金髪姫だった。
親族でまともな武人は兄ひとり、そんな彼は外遊中で不在であり、病がちな父王に代わって剣豪ともいうべきジュディッタ姫に犠牲、いや指揮をとってもらうということにした重臣会議の経過を聞いた。おのが擁する騎士団の温存を図っている重臣たちは、時間を稼げればそれでいいという立ち位置なのだろう。
優秀な武将である姫の兄が帰還する間、もしくは祭りのあとでまともに兵を招集できない軍団を編成しなおす間の時間稼ぎが必要になっている、との内情だった。
「この非常時だ。権力を握るものが前線に立ち、その任務にあたるのは当然のこと」
「姫の手勢は」
「親衛隊の女どもは忠義者での。親の反対を押し切ってわらわに付き従うらしい。それでも乱戦に耐えうる肝っ玉を持った十数人に厳選した。あとは長槍に弓兵が二百ほど」
騎兵突撃で名高いブライトクロイツ重騎兵、その本隊ではないようだが、それでも百。歩兵そのほかを含めると五百を越える軍勢だと聞いた俺は、思わず眉を潜めて何かを言いかけた。
それでも馬に併走する当方に向かって、金髪姫は高らかに笑いかけた。
「案ずるな客人。外国から招いたそなたらを巻き込むわけにはいかぬ。策はある。城内からトゥルシナのいくさを見ているといい」
「いやいやしかし」
「熊めの猛勇ぶりはこの西世界に轟いておる。小細工など踏み潰すつもりで先駆けてくるだろう。それに対する誘い出しの餌はわらわだ」
「姫自ら囮に」
「わらわを求めて遥か南に下ってきた剛の者。大物を釣り上げるためにはそうする必要がある」
この地域の平坦な地は朝になると濃霧が沸く。それが騎兵の運用の幅を狭める。伏兵の条件は整っている、と語っていた。
「百人力の化け物を打ち合いでしとめることはできぬが、飛び道具ならばあるいは」
「……俺も姫に付き添って」
「客人を前線に立たせてはトゥルシナの名に恥じる。ここはこらえてくれい」
死地に赴こうとする相手が高らかに笑い、女子隊や長槍、弓兵をつれて隊列を組み、中門を出て行った。
権力側にはなるべく関わらない、といういつもの方針もあり、客分を守るのも守らせるのも姫の名誉にも関わることで、決死の忠臣たちにまざってお邪魔しま、という軽々しい状況ではない。
伏兵の策が成ればよそ者たる俺の出番はないわけで、それでも城塞外壁の上から様子を窺うことにした。
城門の鉄柱素材に使用されることなく打ち捨てられた、というわが獲物の鉄杖を引っさげてだ。
§§§§§§
朝霧のなかで状況判断はしずらいものの、いくさの実況を開始しよう。
サムライ・アイ(笑)というやつで詳細をお伝えすることは可能である(超適当)。
呼びもしないのに赤づくしの兵団が平原の向こうからやってきた。
そんな重騎兵が進軍を停止すると、単騎で進み出た巨馬に跨る真紅の鎧の大男が、大槌を振りかざして咆哮しだした。
「ブライトクロイツ二十四将がひとり、マクシム・コイロフである。姫の出迎え大儀なり!」
兜の面を押し上げて見せた獰猛なる面体は、歯というより牙、赤茶色の体毛は顔にも生えてまさしく別名通りの獣ぶりだった。城門を開けて出てきたジュディッタ姫が苦笑しながら首を振る。
「わらわは熊を婿にするつもりはないと再三お断りしたはずだ」
「しかしこうしてわが前にあらわれた」
「篭れば城内の生けるものすべてなで斬りにする、と脅しにかけたからであろうが」
「あれは部下どもが勝手に放った矢文。紳士のオレさまは知らん」
姫騎士らしい桜色の甲冑が小さく見える。姫の体躯は黒白と比べても頭ひとつぶん抜けているものの、マクシム候とやらはどう見ても二百五十センチは下らない。大人と子供の差どころではない。
やはり人間と熊の睨み合いにしか映らない。
「獣に人語は通じぬか」
「言うたな姫。しかしだからこそ調教しがいがある」
「無礼者め!」
ジュディッタ姫の側近であろうか、武張った青年騎士が槍を振りかざして赤茶熊に打ちかかった。
馬上の彼は馬もろとも鉄槌によって圧縮され、一瞬のうちに血の海に沈んだ。
続いて出た斧の使い手も鉄鎖の使い手も一合と刃あわせすることなく、血煙のなかに消えていく。
「なんじゃあこの程度かっ。トゥルシナにはまともな武人はおらんのか!」
「熊め大言壮語を」
「われら槍騎兵の精鋭を侮りおって」
もはや一人二人ではなく、槍部隊が数を頼りに単騎を押し包んだ。
「虫けらめ」
充血したマクシム候の目が見開かれた。同時に、押し迫った人並みが四散し、草地のあちこちに解体されて落ちていく。
おぞましい光景に姫の背後の女子隊が後ずさる。胆力のある彼女らとて、これほど一方的に味方が狩られる戦場は初見であったはずだ。
なかには腰を抜かして馬から落ちる娘までいた。
「ういやつ。そなたらも姫の手向けに押しつぶしてやろう」
血に飢える獣がそんな女子隊に標的を向けた。
ひっと怖気を奮う背後の隊員を見て、金髪の姫騎士は大剣を抜いて首だけ振り返った。
「ぬしらも引けい!」
「ひ、姫」
「もはや槍騎兵の前線崩壊はまぬがれぬ。わらわは城内に撤退するぞ」
釣りにかかった女丈夫の大喝に、寄ってたかるハエとか蚊を払っていたような熊が笑顔を見せた。
ぐふふふという笑い声は獣のうなりにしか聞こえない。
「つれないぞ姫。待つのだ」
「欲しければ来るがよい」
「では招待を受けようぞ」
巨馬を駆った熊が大槌を乱舞し、生き残った長槍たちがその暴風から逃れようと逃げ惑う。
「だめだこいつは人間じゃない魔物だ……誰か助けて、誰か……」
青年騎士の一人がそう言い残して霧のなかで押しつぶされた。残った同僚は恐慌を起こして散らばり、われ先へと城門に向かって撤退していく。
「邪魔だ!」
馬蹄にかけ、槌の餌食となったトゥルシナ騎兵の死屍累々を乗り越え、意中の姫を追いかける熊が罠の発動地点に近づいた。
城門への道の両側から、生垣に伏せていた弓の一斉射撃が放たれる。
一騎駆けの無用心とばかりに標的だけを見ていた彼の巨体に、数十本の矢が突き刺さった。
城門前のジュディッタ姫が馬首を返す。マクシム候の怒号が響き渡った。
「計りおったか姫えっ」
「知っておったにわざとらしい。毒矢はその礼だ受け取れ」
「百中とはなかなかの射手を雇っているようだな。オレ様以外なら針ネズミになって死んでおった」
ぐるるると唸った赤い鎧の巨漢が馬から下りた。馬体にも刺さったことで、その乗り物を後ろに下がらせた。
「こちらも返礼だ。わが真髄を見せてやろう」
上半身の鎧が兜ごと跳ね飛んだ。包んだ鉄製のそれが肉体の膨張に堪えきれなくなったからだ。
「あ…あ…あ」
「逃げろ! もはやこいつは死神そのものだ。毒すら効いておらんらしい」
男女関係なく戦場にいたものすべてのトゥルシナ兵が、熊そのものに変化したマクシム候の異様に身動きひとつできず立ち尽くしている。
金髪姫ですら震えた体で大剣を構えるのがやっとだった。
「馬が一歩も動かぬか。蛇に睨まれた蛙そのものとは」
上半身が熊、下半身が鎧姿の人間、というおぞましい姿でマクシム候が一歩踏み出したのを見て、彼女が苦しそうにあえいだ。
ズシン、と大地が震える。そのたびに空気が張り詰める。
矢をつぐ弓兵も忠義の槍騎兵も死人であった女子隊も、トゥルシナ側の人間が魔物の怒りに触れてただ淘汰されるのを待つばかりの光景が広がっていた。




