夢二十三話
城内の一際高い丘の上に建てられた宮殿に案内された。そこまでには三つの門をくぐっている。その厳重さに比べ、冒険王の大雑把な城塞といったら、とはエヴレンの感想である。
ビサンティン的というか、オリエンタルな雰囲気の東アルーダーヒルとは違い、西側世界に近いここベルグラーノは半円アーチといい重厚な作りの壁といい、ロマネスク様式に似通った建物が主流になっているようだ。
そんな宮殿において、サロンというか応接間のような一室で城主トゥルシナ公を待つことになった。
王の間ではなく、娘を救われた私人として会うのだという。
白磁器で飲む紅茶の優雅さに感じ入る娘二人のご機嫌を眺めていると、侍女が王の来訪を告げてきた。
「ようこそまいられた。ウイダル・ベルグラーノ・トゥルシナ個人として、娘ジュディッタを助けてくれたことに礼を言う」
赤レンガの城壁のごとく、ワインレッドな色の公の出で立ちは、黄金の刺繍を施した丈の長いコート、黒いブーツというシンプルなものだった。
マントを羽織る金髪碧眼の五十代と思われる紳士は、支配者たる威厳を漂わせつつ、幾人かの護衛を従えて広い部屋の中央にいるこちらのほうへやってくる。
どこかで見たことのある欧風の貴人と騎士の姿がそこにはあった。
馴染みの薄いペルシアとか中東のような土地からやってきた身としては、宮殿や別室、この応接間の調度や建築具合からしてもこちらのほうが世界観的にしっくりきたものだ。
続いてやってきた姫のドレスは、それでも純粋な欧風とは言いがたい。
黒い刺繍に黒いドレス、真紅の上着という、西と中央世界の民族衣装を合わせたかのような仕上がりになっている。
背もたれと座席が赤になっている金色の椅子に王が座った。
俺と黒白は彼の臣にあらず、姫の友人扱いということで、三人座りのブラウンのソファを提供されている。
「聞けばそのほうら、外界にいる荒くれものどもを一蹴するほどの勇士だとか」
エヴレンとメイ・ルーの亜人大回転で飛んでいく盗賊たちの無様を、ジュディッタ姫は顔を赤くして興奮気味に語っていた。
「遥か遠くにある地方の話ながら、サソリの部族と角獣の存在は耳にしておる。しかしそなたの白い頭巾と黒い甲冑の造形は見たことがない」
「ウンシンはサムライ。東の果てからやってきた武人」
「東の果て……?」
「交易路の終着点よりさらに遠くじゃ」
黒白のドヤ顔で姫が眉をひそめる。
王も最果ての地としてしか認識していないのか、要領を得ないようだった。
そのほかにいくつか質問と返答を繰り返し数十分が過ぎたころ、彼女らが密命を受けてきたとばかりに書簡を取り出した。
「娘から聞いたもうひとつの件がそれか」
「内密に事を運ぶべきが上策とワーウィック王は仰られております。このサムライも実情は知りません」
エヴレンが畏まって書面を差し出した。亜人とて雇い主から外交交渉を任されたからには、この娘はいくらでも取り繕うことができるのだ。
メイ・ルーも同様である。
なるべく権力側と関わりたくない俺といえば、同じく政治的な話にあまり興味がない金髪姫に誘われ、宮殿内に設置されている闘技場へと連れて行かれたのだった。
屋内闘技場の如き広い石畳の場所はランプに照らされて足元まで明るい。
姫の随員は女子隊を含め騎士もいて、興味深そうに似非サムライの甲冑を見つめてくる。
「ベルグラーノ城塞とトゥルシナの名はいつか兄の誰かが継ぐ。後は跳ね返りのわらわを片付けることができたら、と父は考えたらしいな。東からのいきなりの提案に興味深々であったぞ」
うちの子らは西の城主に対し縁談の密使を持ってきた、ということらしい。
いわゆる政略結婚というやつだ。
「荒馬のごとき気性の余りものでも、ヤル・ワーウイックほどの勇者ならばうまく手綱を握ってくれるであろう、という願望が父上の横顔から透けて見えた。このところ体調がすぐれぬ親を安心させたい側面もあって、初めて聞いた話ながらわらわも断る理由はない」
しかし……さてのう、と女子プロレス選手のごとき大柄な金髪姫が薄く笑っていた。
まだ見ぬ相手の力量を怪しんでいるようだ。
ごつい体に太い腕、雰囲気からとても十九の小娘には思えない。
「そなた、獲物は」
「姫に向ける手持ちのものはありません」
腰の大小、数珠。その全てはでたらめアイテムというわけで、たかが演習の披露に使用するわけにはいかない。
コートのように線が引かれたなかで立ち合うと説明されているうちに、壁際に立てられていた武器から選べと随伴の騎士に促された。
俺が拾い上げようとしたのは刀槍の類ではなく、石畳に転がっていた廃棄レベルのガラクタだった。
錆付いているそれは前の世界で言う金砕棒のような打撃武器だ。
重すぎて武器としてものの役にたたず、捨て置かれていたのだと推測できる。
「サムライとやら。たとえそんな鉄の塊を持ち上げたとて、縦横に振り回す姫が剣の速攻にはついてこれまい。それとも死にたいのか」
男女の親衛隊が親切心でそう言う。彼らには侮りの色はない。トゥルシナ王の薫陶の賜物だろう。
俺といえば、よいせ、との掛け声で丸太のような鉄棒を手に取った。
親衛隊のびっくりな顔を見た姫が呵呵大笑している。
「大物を軽々と持ち上げおったか。エヴやメイから聞いた古今独歩の勇士とはあながち嘘ではないらしい」
大剣を持ったジュディッタ姫が一歩踏み出した。
映画などで見た棒術の型を真似して構えた俺は、ブン、と獲物を手前に振った。
「うお」
「風圧?!」
姫が仰け反り、観客の女騎士の一人が叫ぶ。
発生した風は大身の鉄棒ならではの副産物である。
体勢を立て直した深緑な鎧の対戦相手が石畳を蹴って突進してきた。
殿様剣法ではありえない身のこなしと振りぬきの速さに目を見張る。
なまくらで大剣を受けた際、火花が散った。
近くに見えるジュディッタ姫の碧眼は細まっている。
いいオモチャを見つけたいたずらっこの様相だった。
§§§§§§
「ここにいたのウンシン」
「……一仕事終えたみたいじゃの」
ガシャン、という姫の大剣が落ちた音がしたと同時に、闘技場の入り口である鉄柵が開かれた。
黒白が現れたということは外交交渉がひと段落したということだろう。
「ジュディッタ姫とその女子隊員たち、息が上がってへろへろで腰を抜かしておるが……まあ生き神さまは女に甘いから戦わず逃げ通したのであろう。じゃが男のほうは悲惨じゃの」
「闘技場のあちこちに散乱して気絶してる。トゥルシナの親衛隊もこうなるとただの酔っ払いが寝ているようにしか見えない」
なまくらな鉄の塊たる獲物を壁に立てかけていると、彼女たちと姫の会話が始まった。
「エヴにメイ……確かにこやつの化け物ぶりを見たぞ。われらが槍騎兵の猛者どもがあっちへこっちへ散らばっていくさまは壮観だった。こやつより頭ふたつぶんは大きい男どもがまるで赤子扱い」
「それでもかなり手加減されていると思うべき」
「……それほどか」
「それほどじゃ」
「ふむ、なるほどなるほど……であればますます興味が出てきた。ウンシンなる武人を見定めるために、ワーウィック王の何番目かの妻になるのもよいな」
内心の驚愕を悟られず無表情でなんとかやりすごせた。
冒険王との婚儀は政略と思っていたものの、妾扱いの代物とは予想外だ。
王侯貴族のならわしなど他人事な俺としても、ついいらぬ同情を覚えてしまう。
もはやサムライ一家も同然なエヴレンやメイ・ルーには幸せな結婚をしてほしいと願いながら、暴れた後始末という意味で気絶している槍騎士らを担ぎ上げた。
夢はまだ続いている。