夢十三話
本格的な旅路になると前もって知らされていたエヴレンの格好は、踊り子のようなスカート生地ではなく、赤いワンピースの下はパンツ姿だった。
薄い青のスカーフに肩口は黒、腰に薄い青の柄腰巻き、前の世界で言う中世ペルシア風衣装のなかでも軽やかな出で立ちに仕上がっている。
赤褐色の肌の額に黒瑪瑙を埋め込んでから数日、山野を駆ける彼女の体さばきが明らかに俊敏になっていることに気がついた。
同じく水晶を額に埋め込んだ白も以前より疾走感が増している。
わが数珠には悪霊退散とともに、身体能力を強化させる効能があるようだ。
「背に乗るばかりだったエヴレンがメイと並走できるなんて」
「ぬしにとっては小走り程度の運動量かもしれぬが、わしにとってはこれは早駆けじゃ」
機嫌のよい二人のやりとりを聞きながら山や谷を越えていく。
途中で結界らしきもののラインを踏み破った気がするが、興奮状態の彼女らは気付いていない。
当方もそれを深く省みる性格ではないのでそのまま突き進んだ。
若返った黒白は温泉や美食で体を慣らし、俺の贈り物を経て前以上の力を備えつつあるようだ。
「それメイ・ルー。野良の角牛じゃ、追いたてよ」
「こちらに向かってくるけど」
とある山林に入ったとき、なわばりを侵されたと思ったのか、テキサスロングホーンのような体躯の牛が突進してきた。黒がそれを避けるついでにサソリの尾をしならせて一刺し、麻痺の効果が効いたのか、痺れながら地面をずさささと進み、その先にある岩に激突して今夜の食材はあえなく御用となった。
「うむ、してやったり、じゃ!」
「契りの石をもらってからというもの、エヴレンの野生化が止まらない」
獲物の上で跳ねる黒は確かにサバイバルな娘になっている。
今宵は鍋じゃとの決定事項を受けて畏まった。
山菜取りに出かける逞しい後姿を見ながら牛を担ぎ上げる。
ここ最近人の集落とは縁のない、モンスター相手の旅道中が続いている。
今日も今日とて渓谷のような地形のなかで野宿の用意を整え、焚き火と牛鍋の下ごしらえをしていると、夕方の空の上(おそらく崖上)から降ってきた数体の薄い紺の覆面野郎どもに囲まれた。
「ウンシン、これのぶんは干し肉にして、これが鍋投入の脂身肉」
「ではその肉と玉ねぎを炒めよう。岩塩、香草、にんにくを加えて水をいれ、香辛料を加えて煮立てば」
自己流コンソメ鍋(定義は思い切り適当)の出来上がりだ。
薄い紺装束の連中は存在自体を無視されて固まっていた。
俺や白は食欲に支配されている。得体の知れない推参野郎どもなどに用はない。
「問答無用か。では死ね」
影のような集団の一人がこちらの対応に相応のリアクションを示してきた。
次の瞬間、馬女の後ろ足に蹴られて吹き飛んだが、無様に転げまわることなく受身を取っている。
「角獣めが」
反撃を食らって本気になった影が暗器らしきものを手にメイ・ルーへ飛び掛ろうとしたので、危ねーなあと思って木製の料理ヘラを持っていた手の裏拳で、覆面野郎の横っ面をはたいてやった。
今度こそ回転して天然の生垣の向こうへ消えていく邪魔者を一瞥する。
仲間をやられた覆面たちが一斉に後方へ飛びずさった。
「何者だ?」
「料理中の旅人です」
隊長らしき紺装束の男が一歩前に出て尋ねてきたので、正直に答える。
目元から壮年だと推測できる彼がこの渓谷付近はわが領域、通行手形のない者の滞在は許さぬと告げてきた。
「通行料がいると?」
「我らが張った結界を解く場合は依頼を受けたときのみ。その大仕掛けを知らずに突破できるような無辜の旅人など存在せぬ」
そなたらはいずこの高名な冒険者だと問いただされたが、馬女が北西に向かうための近道で強行途中と説明して追求を避けていた。
「だから通行料がいるなら払うと私が言っている」
メイ・ルーの言葉に彼らが顔を見合わせる。影の者だと断定してもいい相手は自らの正体を明らかにせず、ただ代金は高いとふっかけてきた。
交渉は白に任せ、俺はひたすら料理人に徹する。
調理中にどよめく影たちやひそひそ話のなかで食材を炒めて煮始めていると、背後からサソリ娘が山菜採りから帰還してきた。
「いいもんは採れたかね」
「余計なもんが二匹、採取を妨げてきおったからアラクランの尾で静かにさせた。それで、じゃ」
引きずってきた紺装束を仲間に向かってポイーしたエヴレンが、こやつらはなと得意の説明を開始した。
厳選してきたという山菜を鍋に投入しながらだ。
「平素は盗賊、傭兵家業。報酬次第で情報収集から隠密暗殺までこなす。裏社会では青羽のもの、と名乗っているらしいが」
「……砂漠の民、タウィ族の女か。サソリ娘、われらを知っておるとは」
「小頭は紺の頭巾に青い羽を装飾する。ぬしのそれを見て今理解したところじゃ。この渓谷を根城にしているとは思わなんだ」
エヴレンの地獄耳と同じく、影の情報網は遠く砂漠の部族のこともご存知らしい。
それはともかく、青羽とやらの影集団のなかで、羽をつけた壮年がメイ・ルーから口渡しされたモンスターの部位素材(わが財産)を部下に預けて向き直った。
その部下の誰かが素材の稀少ぶりに何か思うところがあったのか、跪いた状態からうっそりと立ち上がった。
「頭ァ、こいつらまだまだお宝を隠し持ってるはずだぜ」
「……」
「男は殺して女を奪い、角獣は売りさばいて残りのお宝も全てもらいましょうや」
不穏な台詞を吐く影野郎はまだ若い目元をしている。稀少素材に目がくらんだのか、それともエヴレンの瑞々しい美貌に惹かれたのか、おそらく両方であろうことを確信しながら鍋をかき回す。
先日の温泉地のエロ猿と同じように扱われる我々は、にわかに殺気だった烏のような色の集団に比べ、スパイスの利いたコンソメもどきな牛鍋のほうに意識が向いていた。
「あ」
「あっ」
「うお」
黒、白、俺の順で声が出た。
若気の至り野郎が鍋を蹴り飛ばしたからだ。辛くもそれはひっくり返らず、バランスを崩して少しだけ中身がこぼれるだけで済んだ。
当方がすばやく動いて、タオルのような厚い生地で焚き火の土台と鍋を設置しなおし、ふうと息をつく。
殺すやら奪うやら売りさばくやらでなんとも思わぬ我々だったが、煮炊き物への粗相は許しがたい。
山菜に火が通るまでの間、少し時間を潰す必要がある。そして潰す対象は眼前にある。
§§§§§§
「若手とはいえ……青羽の実戦部隊が一瞬で」
額に羽をつけたおっさんが、一面に蹲る薄い紺装束の部下を窺って息を飲んでいる。
ようやくコンソメ牛鍋を食するに至った二人と一頭は、みな同じタイミングでスープを飲んだ。
木製の皿に大盛りされたそれを食らい始める白のがふがふ音にまぎれて、蹲る若気の連中がうめき声を放っている。
サソリの尾と角獣の角で一蹴された犠牲者はまだ足腰が立たないようだ。
当方はやさしく頬をなでたのみで、くるくる回転させたにすぎない。
おそらくめまいで起き上がれないのだろう。
「滅多にありつけぬ牛鍋を台無しにされかけたのじゃ。打ち身捻挫で済んでいることに感謝せい」
山菜で巻いた肉を美味しそうに頬張る黒が、小頭の手に暗器があるのを確認してやめいと口走った。
白はすでにがふがふに夢中でそれどころではない。
「ぬしは中羽であろう。上羽に伝えるか、もしくは長に言伝するのじゃ。ここらで手打ちにせぬと、戦闘能力のある羽が全滅しても知らぬぞ、とな」
「青羽の全部隊を相手にするというのか」
矜持を傷つけられたおっさんの鬼気迫る眼光を浴びても、エヴレンは山菜を堪能してのんびりしたものだった。
俺としては交易路で手に入れたペースト状のダシを使いたい気分だ。
いくつかの問答のなか、生き神さまは銀色の霊気の持ち主だと彼女が伝えたところ、食後に青羽の砦へ案内されることが決まった。
影集団が本拠に招待するわけもない。数あるひとつの砦であろうし、長ではなく幹部の一人が対応に出るのだろう。
それでもなんとなしの成り行きで、久しぶりの家屋で寝泊りすることができそうである。