夢十二話
ヤル・ワーウィック冒険王の城塞下にあるスラム街に戻ってきた。
久方ぶりのエヴレンの館で惰眠をむさぼっていたものの、黒と白は王からの使いでやむを得ず登城している。
権力者との接触をなるべく避けたい当方としては、近場にある交易路で衣食の調達に勤しむほうが重要であった。
スラム街のなかで高台に建てられた館の敷地内には木柵で遮られた庭もあり、そこで石造りの風呂が設置されている。
薪で沸かしたお湯に浸かるこの瞬間がこの世界の至高なるひとときといっていい。
そんな入浴時間の夕方、上界から戻ってきた彼女たちから事の次第を聞いていた。
「やはりウンシンはいい体をしている」
「筋骨隆々な豪傑とはいい難いが、なんともしなりのある体格じゃのう」
堂々としすぎる覗き魔のお嬢さんたちが、邪神退転におけるここ最近のアルダーヒル地方の騒動はさらに混沌としてきた、と告げる。
鉱脈が眠る火山アラストラハン、木材資源や河川がひしめくクラスタール樹海の世界における魔物どうしのなわばり争いは、このごろますます苛烈を極めているという。
一般人はおろか、腕に覚えのある各職業の組合員にすら進入禁止と厳命した軍閥の長、ヤル・ワーウィック冒険王の判断は正しい。
殺気だっている魔物たちを刺激して城塞に押しかけられてはたまらん、という理由であろう。
「賢明な判断を下した冒険王はともかく、北東に城塞を構えるツインコーツィ獣人公は樹海に調査隊を派遣したことでやつら物の怪のなわばり争いに巻き込まれ、現在本拠地が戦乱のさなかにあるとのことじゃ」
「食い詰めの傭兵団や一旗上げたい冒険者、狩人たちもどさくさに紛れて獣人公と魔物の争いに横槍を入れているとか」
「さいですか……しかしなんかややこしくなってきたな」
「乱世だし、抜け目のない誰かが獣人公に代わって成り上がってもおかしくない」
ポニーのような大きさの白が石の浴槽に入ってこようと、ぱっかぱっかとやってきた。
綺麗好きのメイ・ルーにやめてとめてという哀願は無駄な行為である。
馬洗いの奴隷の仕事として彼女の白い体をタオルまがいの布でごしごし。
気持ちよさそうにする相手がぶふーと鼻息を荒げている。
「冒険王は傍観というわけで、城塞とこのスラム街が騒動に巻き込まれる心配はない。万一何かあっても生き神さまさえいれば何も問題なかろう」
「でもそれは私の用件を優先したあと。他にも用事ができたことだし」
「へいへい」
思春期の少女たちの視線は常にわが股間に注がれている。
外面ではそんなもんに興味ありませんとクールぶっても、自称十八歳十六歳の娘っこはそっちのほうに興味津々だった。
落ち着かない風呂のなかで、ぐうたら生活の目論見は帰還数日にて終了したと溜息をつく。
面倒を嫌う当方には内緒にしているようだが、冒険王がこの二人を名指しで呼んだということは何か別命を受けたに違いない。
白が連れていく行き先が北西というのも気にかかる。
とにかくも武器防具をフルセット持ち込んでまだ見ぬ危機に備え、万全の状態で旅に出かけることにした。
目的地はメイ・ルーの故郷がある北西アルダーヒル、スヒースクの湖だ。
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「なんじゃ嬉しそうな生き神さま。白の私用に借り出されるというのに」
「交易路の露天でいいものを手に入れた」
「変なニオイがする」
鼻のよい白がぶるるといななく。
飛竜の翼膜をリュック代わりにしていた中から、陶製の容器を取り出してみせた。
山越えで夜を迎え、小川の近くで焚き火を囲んだ夕食時のことである。
この付近は魔物ではなく盗賊まがいの集団が神出鬼没に現れるというが、もはやハプニングになれた黒白に危機感はなく、俺としても食欲優先の状態だった。
サムライ専用の鉄製の鍋に湯を沸かし、そこに穀物を塩漬けにし、ペースト状になった醗酵調味料をかき混ぜる。
塩味とともにうまみ成分もある東の世界の特産品で、山菜入りスープを作ってみた。
「うーむ、これはわしらからすれば、ちと風味が強いのう」
「東の人の好みはメイにはわからない」
味噌、醤油には及ばないものの、俺としてはノスタルジーに値する懐かしい味だ。
おっかなびっくりの女の子たちに薦めることなく野菜スープを完食し、干し魚を火にあぶして食らいつく。
小魚も大量に購入している。これをすり潰してダシの素にする予定を立てている。後々ペースト状の発酵食品をまぜて、味噌汁代わりにするつもりだ。
食後、沸かした湯を使って月夜を明かりに体を拭く。
俺という男の前で全裸になるエヴレンの堂々とした肢体から目を背け、メイ・ルーのポニーのような馬体をぬるま湯で洗い流す。
体を拭いて落ち着いたところでおねむ前のお茶を淹れる。そんな時間を使って、俺はとある作業に没頭していた。
キリム柄の上等な敷物の上で白が腰を下ろしながらこちらを見つめ、ふかふか毛皮の寝床を用意した黒もお茶を飲みながら興味深そうに観察してくる。
不器用な手つきに何か言いたげな同行者たちはそれでも無言を守っていた。
「よしできた」
持参の数珠から黒のパワーストーン、白の水晶をひとつずつ取って仕上げた装飾品を彼女たちに渡す。
エヴレンには黒石、メイ・ルーには白水晶、それぞれの首につり飾りにできるよう調整してみせたものだ。
「これは!」
「なんと……」
白のうろたえ黒の驚きに満足し、その飾りは君たちを守るものだと説明する。
霊体を駆逐した以前の体験で悪霊退散の効果があるのは明らかだ。
焚き火だけの闇夜になり、黒白の首飾りがぼうっと光っているのがわかる。
霊験あらたかなそれは論より証拠で受け入れてもらえたようだ。
「近くで見るとなんとも綺麗な黒瑪瑙じゃのう」
「これほど透き通った水晶、メイは見たことがない」
この世界にはない精錬の珠を見つめるエヴレンは完全に女の子になっている。
それをよそに、白い馬女には手ずから水晶を首にかけてやった。
ポニー程度の大きさにぴったりの飾りつけになっている。
膝たてのまま余は満足じゃ、の心境で、俺はうんうん頷いてメイ・ルーをなでる。
「ぐ」
不意に頭に衝撃が走った。黒の本気気味な攻撃による鈍痛だった。
彼女を振り返る。そのジト目を受けて腰を上げた。
「わしにはかけてくれぬのか」
「かけますとも」
脳天の鈍痛を撫でさすりながら、黒瑪瑙の首飾りを下げてやる。
紐はこの世界で買ったもので希少性はない。
いつでも着脱可能な状態に――
「すばらしい贈り物じゃ。これはまさにわしに対する所有権の主張と捉えるべきじゃろう」
「つまりメイもウンシンのものになったと」
「不服ならその水晶もわしがもらってやるが」
「お断りする。もうこの宝物はメイの体の一部」
「偶然じゃな。わしも埋め込もうかと思っていた」
お守り代わりにすればいいと気安く贈ったものが大事になった。
双方とも額に埋め込むのだそうだ……
今更やめなさいとも言えず、嬉しそうにいななくメイ・ルーが寝床につき、鼻歌を奏でるエヴレンが布寝具に横になるのを見守るしかなかった。
どういう方法で埋め込むのか聞けないまま、馬とサソリ娘の寝息を環境音楽に眠れぬ夜をすごすことになる。
それでも夢はまだ続いている。