第一部最終話
東アルダーヒル共闘軍の総大将を務めたヤル・ワーウィック冒険王が、アーライル城塞に凱旋してきた。
竜人公ハイ・イェンの若君二名とエディン・シストラ魔道公代理、遅れてラウレンツ・クーダー風雲公も同地に帰還。主だった共闘軍の将たちが城下に集結し、千人を超える兵士たちが野営を布いて、城塞で開かれる戦勝会に赴いた主人の帰りを待っている。
近くにある大陸交易通路の市場では軍需景気に沸いていた。俺はそんな騒然とした眼下の景色を、丘陵に建つサムライ御殿の城壁からあぐらを組んで見下ろしていた。
「最大の武勲を挙げた本人がなんでここにいる」
背後から声をかけてきたのは、留守の間この宮殿を守ってくれていた東方の符呪師、符 智翔だった。
「じーちゃんも一杯どうだ?」
「お、リンゴ酒か」
放り投げた瓶を受け取ってそのまま口飲みする彼がよう冷えとるのう、とご機嫌そうに酒瓶を傾ける。
俺の隣に腰かけてくるじーちゃんがこの宮殿で療養しているジュディッタ姫の父君、ウイダル王の容態はこのところ安定している、と告げてきた。
薬を飲み、寝食が足りた状態が続いたこともあって、健康の回復は見込める、とのことだ。
「それは何より」
「冒険王以下軍閥の主だったものは、あの城で勝鬨の宴を派手に繰り広げているというに、大戦の功労者がこんなところで一人酒……まったくもって不条理じゃのう」
しかしそれはサムライが望んだことだしな、と肩をすくめてこちらを窺ってくる。
「代わりに娘たちを派遣した。今頃」
舞踏会でダンスにでも興じているのだろうか。白と烏は相手が固定されている。黒を巡ってドーテイとラウレンツが火花を散らしている場面を想像した。食欲優先なネコ娘の姿も目に見えるようだ。
「世間は東アルダーヒルの共闘軍がゲレオン連合を撃退したと思うじゃろう。それは事実だとしても、中原を駆け巡ったおかしな輸卒が戦況をひっくり返した、というのは一部を除いて永久に語られまい」
「よきよき」
「そんな化け物の存在に光を当ててはならんと考えるのは、為政者としては当然のことだ。都合がよいことに、おぬしという勇士は顕示欲とは無縁のあほうじゃ。彼らにとってはこれほど融通の利く存在はないわな」
げふ、と息を吐いた居留守役が瓶を返してきたが、すでに半分ほど減っていた。
そんな大酒飲みにこれからどうするのだと尋ねられて腕を組む。今のところサムライ御殿の修復以上のやることが思いつかない。
「それなら東に行かんか?」
アルダーヒルを抜けて中央世界へ、そしてバーチャンの祖国大絹国へ。さらに東の果てには、サムライの国があるようだ。
地下室の転送装置で近道、という手もあるらしいがそれでは趣がなさすぎる。
「じゃあ長旅になるぞ。道案内なら我輩がしてやろうで」
魅力的な誘いながら即答の言葉を濁す。
ウイダル王のお世話はジュディッタ姫の侍女たるポチャとホソがいるから問題ないとして、後は誰を連れていくかだ。
「いっそ娘どもは置いていけ。どうせサムライの里帰りは波乱万丈のものになる。大事なもんを危険にさらすことはねえわ」
「うーん」
今のうちに抜け出してよ、とそそのかしてくる符 智翔の顔を見返す。
黙って逃亡だけは許されない。俺はまだ死にたくない。噛んで含めるような説得は絶対に必要だ。
夕焼けの空をぼけーっと眺めながら、同じ東洋系の人種どうし酒を酌み交わした。
§§§§§§
身内を城塞裏口へと迎えに行ったころには、すでに日付は変わっていた。
アルダーヒル地方における、かつてない規模の大戦を制した総大将の主催とあって、王侯貴族たちの酒宴は深夜にまで及んだようだ。
それに付き合って役目を貫徹したそれぞれの亜人娘たちが、ただいまーと告げてこちらに飛びついてくる。
黒白烏猫ともに酩酊していた。順番に抱きしめ終えて、一番へべれけになっていたニャム姫をおんぶする。
「おうちに帰ろう」
俺の一言にうんうん頷き、スキップしながら横に並んでくる彼女らの後ろに、なぜかついてくる四人の武将の姿があった。
共闘軍を形成する軍閥の長は城の貴賓室よりもあばら家を選んだらしいが、それを誇ってやまない彼らのどや顔が面白おかしい。
ドラーゲン宗家ドーテイ・ハイ・イェン、白竜人エロヒム・ハイ・イェン、魔道士エディン・シストラ、槍使いラウレンツ・クーダー。アルダーヒルを代表する勇将たちは、意中の相手に影響されたのか、貧乏くさい感覚を恥とも思わぬようだ。
「城塞のふかふか寝具よりも、ミヤマどのがいるおんぼろ館のほうがよい」
「同じく、メイどのが眠りにつくサムライ御殿こそわが居場所」
エロヒムとエディンがむふふと悦に浸って笑っている。深酒のせいかと思われる。
エヴレンの隣を巡り、赤褐色な肌の青年と鉛色の竜人が戯れの範疇で睨みあう。
そんな四人は内乱や戦争で傾いた国の立て直しを図るため、近日中にも領地に引き返すと告げてきた。
「それについてはお父さんに了解を得たいと思いまして」
俺を父呼ばわりするドーテイの言葉に、三人の男が然りと頷いている。
月明りのもとで丘を下りながら、酔いどれ娘たちのご機嫌な様子を横目に、野郎どもへどういうことかと詳しく問いただす。
「戦勝の報告を国元に持って帰ることができるのは、彼女がいたからこそ。将来の嫁として、この白い女神を父に紹介したい」
銀髪のイケメン魔導士が俺に絡みつくメイ・ルーの横顔を窺う。
白い竜人も同様、濃紺の髪を風に靡かせるミヤマを見つめていた。
「あれはオレの嫁だ」
「我が妻はエヴレンどのしかおらん」
タウィ族の青年とハイ・イェンの若君が額を突き合わせて胸倉を掴みあう。
四人とも俺の娘をお嫁さんにする予定で、里帰りに同行させるつもりらしい。
当事者たちはアルコールが回り、うへへわははと大笑い。酒宴のなかで言質でも取られたのだろうか、それにしても呑気なものだ。
酔いがさめたときが見ものだが、まあ嫌いな相手に同伴して宴に出るような性分ではあるまいし、少なからずの好意を持ってくれていると自負する男たちの甘乗っかりな企ても、この際大目に見ようと思う。
「君らが国に帰るというのなら、俺も数日後には旅に出る。その間、この子たちを頼む」
「お任せを!」
異口同音の四重奏が放たれた。理由も聞かずの即応である。
数日間というのは、ここに置いていく亜人娘の説得期間ということで、これはまた後の話だ。
自身を取り巻く環境が変化したことに気付かない黒白烏の笑い声を聞き、なむなむと寝言を放つ猫の吐息を頬に受けながら進んでいると、城の方角から馬蹄が聞こえてきた。
白馬となるとわが数珠を進呈した名高い女剣豪、ジュディッタ・ベルグラーノ・トゥルシナ姫しか思いつかない。
「サムライ・ウンシン!」
「ごきげんようジュディッタ姫」
大柄なお姫様が金髪を風に靡かせて、いななく馬から颯爽と飛び降りた。
「大戦随一の功績を挙げた者が論功行賞の場にもあらわれず、出向いてきたと思えば娘のお迎えか。相変わらず世の男どもとは違いすぎる価値観を持つ勇者よ、せめてわらわだけは一連の働きに報いたい」
「お気持ちだけでよかですよ」
「そうはいかぬ。そなたはアルダーヒル最強の武人、しかしその前にわが国トゥルシナの輸卒でもある。配下に賞罰を与えるのは主人の義務であろう」
「はあ」
褒美ということなのだろうか。どうもピンと来ない。
にかっと笑ったジュディッタ姫が、妾の役目を終えたら俺に降嫁する、と宣言してきた。
仰天する男たちと意味を理解していない女の笑い声がこだまする。
「しょせん冒険王の何番目かの妻じゃ。他の女に子ができそうだということで、わらわの存在意義も薄れつつある。そなたのおかげでトゥルシナの城塞も取り戻せそうだしの」
「……」
答えを避けた。かなり慎重を擁する問題だ。しかし口の軽い野郎どもが俺はこれから旅に出る、と姫に暴露したのを機に、これは逃げなアカンと逃走を開始する。
「ウンシン、旅とはどういうわけじゃ? わらわも連れていけっ」
「旅? 生き神さまがまた旅に出ると? 当然わしも一緒であろうな!」
「メイもついていく」
「青羽再興の恩は生涯をかけて返す。ウンシンどのの子が後継者。旅をするというのなら道中でそれを見繕う!」
「なむなむ……もう食べられないにゃむ」
背負っているニャム姫はともかく、それぞれの反応が背後から聞こえてくる。
酔いが醒めたかのような鋭い声の娘っこたちに気圧されて、月夜の下でさらに走る。
東の果ての国は似非サムライたるわが故郷ではない。俺が帰る場所はサムライ御殿しかないと最初からわかっている旅だ。
エヴレン、メイ・ルー、ミヤマ、ニャム姫、ジュディッタ姫には、ウンシン東へ帰ると尤もらしく誤解しておいてもらおう。
サムライ一家のしばしの別れだ。