夢百話
ウキウキとかワクワク気分で邪神を退転させたときとは違い、悪い意味でのやる気が体の奥底から湧き上がってくる。
視界は暗いままだ。目に入った血のせいだろうか。たぶんそれ以外の要因もあるだろう。
太刀の斬撃は全て敵の軍配に遮られていたが、虎の仮面に再度ヒビが入ったのは確認できた。
「一撃一撃が重いのう。しかし周囲を巻き込む破滅的な重圧がまだ足りぬぞ」
もっと怒り昂れ、女どもを守りたいならそうせい、と奴が囁きかけてくる。
「力の暴走を無意識で押さえ込んでいるのか。やくたいもない」
刀と軍配が競りあう。やってやらあと殺気を込める。
殺す殺すと念じるごとに空気が揺れ、地面が割れた。銀の霊気のぶつかり合いが渦を巻き、気流すら発生させていた。
大災害になろうともはや知ったことではない。ひたすら憎き相手をぶった斬ることだけ考えた。
「死力を尽くせ、まだまだ出せる」
「おめえがな」
「小僧、今の余が未だ遊んでやっていることを忘れるな」
「遊びで全てを壊せるのか」
「まじめに全てを壊すほうが恐ろしかろう」
奴が兜を振り回す。そこから生える白い毛がわが身を打つ。
弾け飛び、でこぼこの大地に叩きつけられても、すぐさま跳ね起きてまた斬り込んだ。
怒りで痛みは忘れている。
地形を削いで立ち回る。もはやどちらが破壊者かわからない。
「あ」
虎の攻撃が原因ではない。おのが刀で発生させた災害に巻き込まれ、三人の娘が宙に舞うのを見て体が硬直した。
倒れこんだ彼女らが止まない地割れの影響で転がり、陥没する地面のなかへと落ちていく。
うわあッと叫んだ自分の声がどこか遠くに感じられた。
戦う相手を捨てて窪みに降り立つ。土砂や岩石を払いのけて探し回る。
そんな慌てふためいた様子を、地上の虎が小気味よさそうに見下ろして嘲笑していた。
「余が言うた通り、おのれが女を殺したな。自業自得の似非サムライめ」
煽りの言葉も耳に入らない。血の気が引くなかで身内の名を呼ぶ。
「エヴレン」
涙が止まらない。あああと雄叫びながら、いないいないと探し続けた。
「メイ・ルー」
砂埃にまみれながら、もっと泥にまみれているはずの白い肌を求めた。
「ニャム姫」
「古今独歩の勇士と謳われながら、なんとも情けない姿よ。ここまでされてまだ本気になれぬとは、腑抜けきったおのれはもはやわが宿敵にあらず。わざわざ全力を誘導させようとした余の不明を恥じるばかりだ。そこで女々しく錯乱したまま死ね」
ネコの尻尾が見つかった。埋まった本体を引き上げると同時に、軍配を振り上げた相手に向き直る。
極大の怒りを察したのか、奴が引いた。
「おい逃げんなよ」
俺はニャム姫を抱えたまま飛び上がった。
「なんかやる気になってきたわ。望み通りやってやるよ」
プンスカではなくブチキレと言ってもいいものだが、先ほどの激昂に比べ心境は落ちついている。
黒白を失ったことで怒りはさらに冷えたものになった。
「女を抱えたままでどうやって余と死合うつもり」
その台詞は途切れた。片手で振り下ろした太刀を受けた赤い虎が、踏ん張りきれずに大きく後退していく。
両足で地面を抉った形がレールのよう続いていた。
「ほう。少しは」
一瞬で接近した俺の動きに感嘆を放つ敵がまた言葉を切る。
わが太刀をいなそうとした軍配をそのまま押し込んでいく。
次第に体を折り曲げていき、片膝をついた虎に向かって片足で踏みつけた。
「ぐ」
サムライキックが赤い鎧の胴体にヒットする。低く唸った敵が後頭部を見せて伏せた。
にぶい反応してんじゃねーぞと思いながら何度も蹴りを見舞う。
兜を踏むことで土下座の状態をやり返し、相手を土の中へ押し込んでいく。
「寝るな。起きろ」
圧力をかけたことで声も出せない虎が軍配を手にもがく。
冷え切った当方には、奴の言う自業自得の虫の動きにしか映らない。
「自分で起き上がれねえんなら」
押し付けていた足を上げる。彼は素早く上体を起こしたつもりなのだろう。
こちらからすると、土下座で見上げた形となった顎ががら空きだ。
弧を描いた蹴り上げがきまった。舞い上った虎を追い、太刀で叩き落とす。
これも先程やられた追い打ちの仕返しになっていた。
軍配によって斬りつけは防がれたものの、衝撃を分散しきれず地面に激突、土の波を円状に描いて地中へと撃沈していった。
そんな土砂災害を眺めながら安全な場所に飛び移り、ネコ娘を横たえる。
その瞬間に高笑いを聞いた。跳躍してきた赤い虎の兜の毛が総立ちになっていた。
「ようやく本領を発揮しおったな。サムライ、余が宿敵」
冷たい怒りがおのれの真髄か、と嬉しそうに問いかけるのに顔をしかめる。
太刀筋は見切った、とばかりに軍配で防ぐ相手の無防備な脇の下に、腰に挿していた小太刀を突き立てた。
「がっは」
体を貫けずとも、鈍痛を体に叩き込むことに成功したようだ。
「お前が望んだ殺し合いだ。とことんやってやる」
逃げられないように兜の白い毛をつかむ。小太刀で何度も首筋に斬りつけた。
鎧が割れた。その下の衣服を裂く。このとき俺は笑っていた。
静寂に包まれた錯覚に囚われながら、鮮血が吹き上がったその首筋にもういちど切っ先を突きたてようとした。
§§§§§§
小太刀が日の光に照らされて光る。赤い虎の赤くなった首筋に打ち立てるつもりだった刃は、振り上げられたまま止まっていた。、
自身の手首に濃紺の布が巻きつけられていたのを知ったとき、俺は薄笑いを止めた。同時に鞭のようなそれを放った人物に目を向ける。
「ミヤマん……」
「よかった。間に合った」
ふううと息をつく青羽衆の若当主が地形の惨状を見回す。最後に登場したサムライ一家の烏女が、憎悪に飲み込まれてはいけない、と静かに口を開いた。
「こいつは、黒白を」
震えながら崩落した地面のほうを見る俺に、いつの間にかミヤマがぴったり寄り添っていた。
「相手をめった刺しにするような暗い怒り。そんなものが貴方の強さであるはずがない。私は知っているぞ。メイ・ルーどのも知っている。どうしてエヴレンどのに生き神さまと呼ばれているのか。それはおとぼけで、あほうで、凄味がない勇士だからだということを」
「……」
「その欠点こそが貴方の真髄。サムライ・ウンシンを知る者の共通の認識。それがわからぬ虎など、本来ならば貴方の敵ではない」
彼女の抱擁と言葉を振りほどくことができないまま、敵の総大将が自失から回復して起き直るのを見守っていた。
「……ようやくこやつが覚醒し、死合いらしくなってきたというのに小虫めが……水をさしおって」
「水をさしているのは貴様だ!!」
ミヤマが戦場に響き渡る大喝を放った。これほどの大音声を放つ彼女は初めて見る。
「あのまま放っておけば余が討ち取られると申すか」
「……」
流血を抑えるように、首筋に手を添えた赤い虎があざ笑う。
「怒りで我を忘れていただけのこやつに、毒が回りきっているこやつに真っ向から立ち向かう余の温情がわからぬのだな」
ミヤマが崩れ落ちた俺の名を呼んでいる。遠くからの声にしか聞こえない。
奴がいう毒によって気力が尽きたようだ。
「サムライどうしの神聖な一騎打ちに推参とは、万死に値する」
そう怒号を発する虎がズシンズシンと大地を揺らしながらこちらにやってくる。
「ミヤマん、逃げろ」
かすれた叫びに、青羽衆の若き当主は目元をほころばせながら白頭巾の頭をなでてきた。
死ぬつもりか、ともう一度絶叫しかけたところで、瓦礫のなかから赤褐色の肌と白い肌の身内が這い出すのを目撃した。
ネコ娘も肘をついて上半身を起こし、尻尾を振っている。
うつ伏せに倒れかけていた体が一気に軽くなり、俺は何かに手をとられるように起き上がった。
「やれやれ……遅いご到着の烏女に、一番いいところを取られてしもうたのう」
「おとぼけであほうで凄みがないお使い野郎。それがサムライ・ウンシンたる所以だ、と大見得を切られたのも痛い。それはメイが言いたかった……」
「でもまあこんなときだけど、お嫁どうしが一同に会したのはめでたいことにゃむ。銀どのの荷物にはお酒があったはず、それで乾杯しよう」
日差しが高くなり、風も吹いてきた。薄ピンク色のニャム姫がにかっと笑う。エヴレンも白も傷だらけながらそれはいい、と手を叩く。
ミヤマがうむと頷いた。四人の娘が一斉に俺を見る。
すーっと何かが抜けていく感覚を覚えた。それが毒なのか怒りなのかわからない。
見当違いの覚醒を恥じてしゃがみこみ、頭を抱えていかんいかんと猛省する。
いつものサムライが戻ってきた、という身内の娘っこの明るい声が聞こえてきた。
「腑抜けに逆戻りとは是非もなし。もはや猶予はならん。そのまま果てい」
大敵が銀の霊気を発散しつつ、地面を踏み砕いて近くまでやってきた。
割れた仮面からのぞく赤い光は激昂している。
神器と言ってもいい軍配が頭上に降ってきた。