夢一話
五年目のフリーター生活を迎えるにあたって、なんとなしに一人旅に出た。
二十三歳ぼっちの電車旅だ。
最初の観光地である古都で、時代劇撮影所近くのスタジオにおいてなりきり体験なるものに挑戦してみる。
サムライ好きとして選んだタイプは毘沙門天の化身。
白頭巾に黒紫色の甲冑というイメージ先行な出で立ち、鎧や太刀、数珠といった小物も本格的な作りになっていたことで満足した浅い知識の俺は、それでも自らが軍神になったつもりで撮影所への扉を開けた。
銀色の眩しい光に包まれながら進んだ先には、撮影場所のスタジオがあるはずだった。
しかしそこには、別の世界が広がっていた……
§§§§§§
「ああ、これは夢か」
軍神の装束を身に包んだ俺は、目の前で威嚇する神話や伝説だけにしか存在しないであろう存在に対して、全くといっていいほど恐怖感を覚えなかった。
スタジオからの粋な計らいかなとか、アトラクションかなとかあほなことを考えつつ、火口やら岩肌だらけの地形を見るにつれ、火山頂上にしか思えない景色に現実味は薄らいでいく。
まんまファンタジー要素満載だ。
撮影の前に寝たんちゃうかという結論に達したところで、これは夢だと声に出したわけだ。
魚の鱗に包まれた大蛇のような巨大な胴体、蝙蝠に似た翼、爬虫類の如き頭部には角が生え、開けた口から見える鋭く白い牙が全体の漆黒な体のなかでひときわ映えている。
荘厳な存在は竜と言い換えてもいい。
生物というより芸術品だわと感心している間に、その相手から爆裂性のブレスを受けた。
周辺の岩石が吹っ飛んで地形すら変えていたが、こちらかすれば暖房器具から流れる温風にしか感じない。鎧の下の体には一切影響がない。
自身の体から発する銀のオーラに気が付いた。それが竜からの物理攻撃から守ってくれているらしい。
いつものことで、夢と断定したときの俺は普段とは正反対のアグレッシブな野郎に変化する。
竜だろうが神が相手だろうが
「銀色のオーラを放つ人種がいるとは。おのれは何者」
「うるせ……いやいや、悦に入っていい気分になっているんだから、踏んだり蹴ったり炎吐いたりどす黒い口煙をまきちらすのやめーや」
「わが名はヤーシャール。アルダーヒルを統べる頂上竜なり」
巨大竜からの数々の攻撃を受けた俺の周りの火山頂上は、まるで爆裂したあとのように鍋底な形状になっていた。名乗った竜が何度も吠える。
「魂食いのわが雄叫びすら効かぬのかっ」
黒い竜の大喝で火山から眼下の樹海が一様に震えているのがわかる。
それでも奴のボエーは俺には通用しない。
見たことのない動物とか怪しい生物が樹海の外へと逃げていく。その遠吠えを耳にするも、俺はさほど違和感を覚えることはなかった。
ここは夢で全てが解決する世界だろと決めつけ、こまけえこたぁいいんだよ、の心意気でボエーと吠えるうるさい存在に向き直る。
「わが眼を見よ」
「エメラルドの瞳? 宝石みたいで綺麗だわー。剣の形の黒目ですね」
「……」
太古の種族(だと勝手に定義)と会話が成立するのもご愛嬌。何やら念を飛ばしてきたにせよ、心身ともに至って正常、妙な感覚はまったくない。
金縛りも通じぬ、といなないた竜が二本足で立ち上がる。恐竜博物館で鑑賞した化石の実物像を見上げているようで、ビル五階ぶんくらいの高さのそれに思わず拍手を送った。
地響きで鎧姿のわが体が揺れる。いつもより十センチは高い目線にとまどいを覚えながら、相手の漆黒の体からときおり漏れるガスのような噴出に目を見張った。
体高に等しい両の翼が羽ばたいている。風の衝撃で砂嵐になった周囲の視界が悪くなる。
浮き上がった巨大な竜の姿をはっきり見ようと、腰の太刀を抜き放った。
砂嵐消えろと念じて衣装小道具を一閃、良好になった視界のはるか上のほうから振ってくる大円の火の玉をその太刀でいなすと、火砕流のように下界へと流れ出した火の玉は樹海を一直線に焼き尽くしながら地平線の向こうへと消えていった。
森林大火災な下界と火山活動を開始したかのように揺れるここの頂上の惨状は、まるで世界の終末のような様相を見せている。無責任な夢人の気が昂ぶったのはしょうがあるまい。
一方上空の竜は気合いの溜めブレスを逸らされて逆上したのか、毒を含んだ暴風圧を何度も俺にぶつけてくる。
頂上の地形は抉れ、棲家であろう洞窟も落石や岩盤崩れで形無しになっていた。
そこからちらほら光って見えるものは溜め込んだ金銀財宝であろうか。
俗物に気を取られてしまう英雄譚の主人公になりきれない俺は、奴のボディプレスに対し煩悩退散を念じつつ、居合いの構えで待ち受けた。
§§§§§§
合金製の太刀で黒い竜の巨体を斬り上げた後、いつまでたっても落ちてこない獲物を待ち構えるのに疲れ、現在火山頂上から下山中である。
恐竜以上な体長の魔物を空に向かってホームラン、という出来事も夢の一言で片付くものだから、森羅万象全てのことは問題ない。
あとはいいもん見れたと起床して、また冴えないフリーター生活に戻るだけのことなので、この世界を楽しむなら今のうちだ。
なんちゃって長太刀と小太刀を腰紐に差し入れ、岩肌の崖道を下る。
その途中で崖からのフライアウェイに興味を覚え、それを実行してみた。
両手を伸ばしてまるでスカイダイビングのように急降下、見渡す限りの樹海を見下ろしながら、上昇気流に乗ったのか前へと進む。そのうちに遥か彼方になった背後の火山から衝撃波が伝わってきた。
首だけ振り返る。漆黒の生き物の咆哮、もとい断末魔であろうか。それによって周辺の緑の大地が激しく揺れていた。
きゃつによる攻撃を弾いたことで樹海に着弾した炎のブレスは、生態系を壊すレベルの山火事に発展していたことに今更気付く。
スカイダイブを中断し、火炎地獄のような現場に一旦降り立つ。
着地に失敗して火の海のなかに突っ込んだ。クーラーのない夏場のわが部屋程度には暑かった。
そんな火の世界のなかで思いつく。
「ロウソクの火を消そか」
という程度のあほあほしい夢論理だ。
サムライ大回転と叫んで右手に太刀、左手に小太刀を持って回りだす。
これ完全にコメディやんけと吹き出しかけながら面白半分に回りだす。
その大回転な衝撃で火元もろとも周辺一帯を吹き飛ばした。
ごっそり地盤がめくれていくのを他人事のように見守る。
すさまじい効果音とか環境音の中で、大体こういった感じになると夢はお開きになるんだよな、と考えていたが、喉の渇きや空腹を感じながらも、現実に戻ることなく天災の現場に身を置いていた。
夢はまだ続いている。
§§§§§§はセクションです。時間経過や場面転換に使用します。