第9話:カネ無し男9
朝が来た。時計は5時を指している。
俺は部屋から一歩も出ず、一睡もせずに朝を迎えた。トイレにも立たなかった。もし立ったら両親に会うかもしれない。それは避けなければならないことだった。
両親は全く俺の部屋へと入ってこず、会話をしようともしなかった。
当然の反応だ。いつもの対応。もうため息すら出ない。
一人息子が久しぶりに帰ってきたのだから、話を聞くくらいしてもいいだろ。あの薄情な親でもさ。
まぁいなくなった一人息子が文句を言う資格はないけどな。
部屋から出て玄関に行く。
両親の姿はない。部屋で寝てるのだろう。
俺は実家を出た。
ーーもう2度と帰ってこない。
そう決意した。未練なんてこれっぽっちもなかった。
玄関を出てスグに辺りを見回す。
警察は……いない。疑いが晴れたのだろう。
ホッと安堵するが、今はそれよりも大事なことがある。
フレデリック。俺の親友のことだ。
今日……正確には昨日か。昨日フレデリックはマイホームに来たのか?
俺がいなくてどう思っただろうか?
早く聞きたい。
ほんの少し湿ったアスファルトを踏みしめて実家からマイホームへと急ぐ。
◇
「フレデリック、いるか?」
引き戸を引きマイホームに入る。
思えば早朝のマイホームを外からみたのは初めてだ。朝焼けが彩るマイホームを見るとどこか誇らしいような、みっともないような気持ちになった。外見は廃墟なんでね。掃除したところでそれは変わらなかった。
「フレデリック……」
俺の視線はフレデリックの定位置に向かった。ポツンとその空間は空いていた。いつもの場所にフレデリックはいなかった。
しかし……ノートの切れ端があった。俺とフレデリックがお互いの言葉を学習する時に使っているノートだ。それには「あした」という文字が書いてあった。
「来たんだな、フレデリック。そして怒ってないのかな? 文字だけじゃいまひとつわからないが……母国語ではなく日本語を使う余裕があったんだ。大丈夫だろう。良かった、良かった。……しっかしきたねー字だな。『あ』なんて俺以外は読めねぇんじゃねーか。こういう字をミミズが這ったような字って言うんだろうな。まぁ日本語を書けるだけ凄いか。成長したもんだ。良し、今日は詫びも込めて精一杯もてなしてやろう」
フレデリックの汚い字に自然と笑みがこみ上げてきた。
「さていつものコンビニ飯じゃ悪いな。それに段々と寒くなってきたし、何か暖かいものでも……」
ふと気づいたが季節は秋だ。直に冬になる。隙間風を感じるこのマイホームで、電気も水道もガスも通ってないマイホームで生きていけるのだろうか。
去年は雪も降った。何十年ぶりかの降雪で交通網がマヒしたというニュースを見た覚えがある。
…………。
まっ大丈夫だろう。
なるようになる。
深く考えないようにしよう。
「さて、コンビニに……とと、コンビニ飯は辞めるんだった。それに警察がいるかもしれないから、用心して……うん、決めた、今日は寿司だ」
スーパーで売っているパック寿司にしよう。それが良い。
っていうかそれしかない。
詫びをいれるための高い飯を思い浮かべると、自然と寿司になった。
なぜなら電気もガスも通ってないから。
煮る、焼く、揚げる、ができないから、焼き肉やスキヤキ、天ぷらなどパッと思いつくご馳走は不可能。勿論カツ丼や親子丼といった丼ものも無理。そもそも作る技術もない。すると手間もかからずご馳走感満載の寿司がベストと思われる。
それにカツ丼や親子丼ならコンビニで買って、フレデリックにもう食わせた。一瞬でフレデリックのお腹に吸い込まれていった。相当気に入ったようで、時々カツ丼良いとオーダーしてくる。
だが寿司を提供したことはない。コンビニに売ってないからな。なんで売ってないんだろう? 売れると思うのに。
幸いにもフレデリックの銀貨の売上で十分な金が財布にはある。それどころかもらって換金してない銀貨も懐に閉まってある。流石にあれをこの来るもの拒まずのマイホームに置いておく度胸は俺にはない。
「後は何か暖かいもの、味噌汁だな。しかしポットがないんだった。……暖かいものはまた今度にしよう」
◇
3時手前にスーパーへ行く。
このスーパーでは6時くらいから値引きのシールが貼られるが、懐が暖かい俺には関係ない。6時直前に寿司コーナーに張り付き、値引きシール待ちしているおばちゃんを想像し、レジへと寿司パックをもっていく。
今日は豪勢に家族用の丸いパックを買った。2000円くらいしたけど、全く問題ない。寿司用の平べったい袋を持ちスーパーを出る。
スーパーからマイホームへの帰り道で声をかけられた。
「あっ、いたいた」
そうやって俺の下へ男が寄ってきた。知らない男だったので無視して先に進んだが、肩を掴まれた。
「君だよ、君。俺を覚えてない?」
「知りません」
誰だ、こいつ。
深い目尻のくま、ヨレヨレのスーツ、肌に刻まれている疲れ。
何処にでもいそうなくたびれたサラリーマンが俺の目の前にいた。
俺は全く知らないが、相手は俺のことを知っているらしい。
恐いな。
「ヒドイな〜。俺は君のことを探してたのに」
探してた? 俺を? 何故?
肩の手を払い、距離を取る。そして目に力を込めて睨む。
「俺を探してた理由は?」
「いやっ、また困っていたら協力させてもらえないかと思って」
リーマンは人差し指でポリポリと頬をかき、目線をそらす。
「困ってたこと?」
「やっぱり覚えてないんだね。ほらっ、君に銀貨を換金するようにお願いされた者だよ」
…………。
あっ、思い出した。
確かに1回だけいつもの質屋以外で銀貨を換金した。路上で見つけたリーマンにお願いしていた。
そうだ、確かにこのリーマンだ。幸薄そうな顔をしてついつい同情してしまったのを覚えている。歳はまだ30手前くらいなのに、老人のようで威圧感がなく頼みやすかった。俺が1000円やるというと躍り上がって喜んでいた。
「完全に忘れてました」
「ヒドイな〜」
「それで何の用ですか?」
「いやっだから君が銀貨を換金できなくて困ってるんじゃないかと思ってさ」
「いえっ、特に困ってないです。用がそれだけなら帰ります」
「待った、待った。少しは俺の話も聞いてくれよ」
「……なんですか?」
それからリーマンは自分語りを始めた。
大学を卒業して就職したは良いものの、会社が不況のあおりを受けて倒産。敢え無く失業した彼は再就職もままならず公園で時間を潰す日々を送っている。
収入源が無くなり日々の飯代にも事欠き困窮している。
他にも色々言われたが難しくてよくわからなかった。とにかくリーマンが言いたいのは「また銀貨を換金させて欲しい」だった。
それを回りくどい言葉でクドクドと。面倒クセェ。
はいはい、こういう奴は突き放すのが一番良いのだろう。「俺には関係ありませんから」とかなんとか言ってここを去れば済む話。
しかし俺はそれができなかった。
リーマンに俺と重なる点がいくつかあったからだ。
不況のせいで失業したのは、他人のせいで退学になった俺と重なる。
両親と関係が断絶している点も、日銭を稼いで生きようとしている点も俺と重なる。
何より日本語での会話が久しぶりだった。ここ最近はフレデリックと話す以外は、コンビニや漫喫の店員との会話しかなかった。それも「はい」や「いいえ」で終わってしまう。少々人寂しさを感じていた。
更にあの人でなしの両親と決別した後だから、尚更他人との会話が嬉しかった。
目の前のリーマンを助けれるのは俺だけか、とわけのわからない義侠心(使い方が合ってるかは不明だが、とにかくそういうこと)にかられた。
「じゃあちょうど2枚持っているので換金してきて下さい」俺はポッケから銀貨を取り出した。
「ありがとう」
頭を下げたリーマンは真っ直ぐに質屋に行き、すぐさま帰ってきた。
「換金できたよ。じゃ取り分はもらっとくからまた換金したい時は声をかけてね」
俺の手にお札を乗せたリーマンはそそくさと去っていった。俺は少しぽかんとした後でお札を数えると、ジジイ1枚、おばちゃん1枚、親父3枚の合計18000円だった。
「えっ?」
驚いた俺は再度数え直してみたが間違いなくそれだけしか俺の手の中にはなかった。
「あのリーマン、1枚につき1000円取って行くんじゃねーよ。ふざけんな!」
リーマンへの同情心はなくなり、不満だけが残った。