第7話:カネ無し男7
ドンッドンッ。ドンッドンッ。
物騒な音がマイホームで鳴り響いている。
だがマイホームに被害がある訳ではない。元々廃墟なマイホームが更に打撃を加えられて壁や天井が崩れている訳ではない。
フレデリックは空間を叩いてるにすぎないのだから。
ああ、やっぱりか。
フレデリックは異世界人だったか。それで全てが繋がる。
フレデリックの無知は異世界人だったから。
見たこと無い文字も銀貨も異世界のモノだったから。俺が知っているはずがない。
「ーーーー」フレデリックはいまだに見えない壁を叩き続けている。
もしかしたら演技? パントマイム? また俺を驚かそうとしている?
そんな疑問もよぎったが、フレデリックの植物みたいな服のヒラヒラ部分が見えない壁で止まった。一流のパントマイム師(?)でも命をもたないモノでパントマイムはできないだろう。
あそこには間違いなく壁がある。
俺はゆっくりと歩を進める。
フレデリックがドンッドンッと叩いている壁を通り抜ける。フレデリックには俺がまるで幽霊のように映っただろう。
「ーーーー」驚くフレデリックが俺の両肩を掴み、何度も揺する。
「ーーーー」なんで俺だけ通れないんだ? そう言っているように聞こえる。
「異世界人だからだろ?」
「ーーーー」
「俺も良くわかんないよ。ほれっ、コーヒーだ」
バンッ。
フレデリックはコーヒーを払いのけた。
「ーーーー」
あんなに好きなコーヒーでも気がそれないか。
まぁ、そうだよな。俺もそうなる。
自分だけが拒絶される壁なんてもんが目の前にあったら動揺するに決まっている。
「まぁ座れ」フレデリックの手を払い、いつもの場所に座る。
「ーーーー」フレデリックは何やら文句を言い、自分が払いのけたコーヒーを拾って俺に付いてきた。
さてどう説明しようか。
言葉も通じないのにこの複雑な状況を説明できるのだろうか?
うーん。
無理っ。
説明できない。
なんて言えば良いのかわからん。
「ーーーー」
「知らん。知らん」
「ーーーー」
ああ、もう。スゲー俺を見てくる。
ガン見だ。
俺から納得のできる答えを聞き出すまでずっと見てきそうだ。
やめろ、やめろ、俺にその気は無いぞ。
イケメンのフレデリックにこんなに見つめられたら恋に落ちているかもしれない。
女ならな。
だが俺は男だ。女性が大好きな男だ。決してイケメンになびくことはない。
だか……こう見つめられるとキツイ。いけない扉が開きそうになる。
わかった、わかった。
何とか説明してやる。
だからもうみつめないでくれ。勘弁してくれ。
「日本、にほん」俺は地面を指しながら言った。
「ニ?」
「にほん」
「ニ、ニホン?」
「そう、にほん」
「ニホン」
「ここは日本でお前が住んでいる世界とは違う」
「?」
…………。
無理だ。
ちょっと頑張ったがやっぱ無理だ。言葉なしでこの状況を説明……待てよ。
わかった。1つある。言葉なしでこの状況を説明する方法が。
「ちょっと待ってろ」
「ーーーー」
フレデリックはこの家を除いて地球に足を踏み入れることができない。
すると逆はどうだろうか?
俺はフレデリックの世界に足を踏み入れることができるのだろうか?
もしこの家が異世界と繋がっているとしたら、異世界に行く場所はあそこしかない。
今日フレデリックが入ってきた埃のつかない引き戸。
日中開けた時は草原だった。
しかし、今なら、フレデリックがいる今なら。
俺は引き戸に近づき、一度深呼吸してから引く。
ガラッ。
「……やっぱり」
そこには見たこともない住宅が立ち並んでいた。そしてマイホームは大人が横並びでギリギリ2人通れるほどの細い道に面していた。街灯など気の利いたものはなく、アスファルトで舗装さえされていないデコボコな道がそこにはあった。各家には電気などなくロウソクがチラチラと揺れているのが見えた。
「見えはする」
フレデリックも尻もちついた俺を起こそうと駆け寄ってくれた。つまり俺が尻もちをついた映像が見えていたのだ。同様に俺もフレデリックの世界を見ることはできた。
だが外には出れなかった。
つまり……。
「だよな。ほらっ、フレデリック、見てみろ」
俺は埃のつかない引き戸があった場所から一歩も外へと踏み出せなかった。
フレデリックと同じく、殴っても、蹴っても、体当たりしても、鈍い衝撃を感じるだけだった。
「ーーーー」
フレデリックが俺の隣を通り外へと出る。
幽霊っぽい。壁をすり抜ける幽霊だ。
そして俺の手をとり、グイッと引く。
「いたっ、いたたたたた」
俺の拳が見えない壁と「友情」した。
こんな訳のわからん壁と仲良くなりたくねーよ。
ふざけんな。
「フレデリック!」
「ーーーー」
「やめて、痛い、痛い」
昨日「痛い」という単語を教えてなかったことを激しく後悔した。
俺の悲鳴を聞いてフレデリックが笑っているように思える。
こいつ意外とサドっ気があるのかも。
「痛いって」
俺が大声を出すとフレデリックも手を離した。
何回も拳で壁を叩いたから少々腫れている。
痛い右手をさする。
「ーーーー」
「お前悪ふざけがすぎるぞ」
「ーーーー」
フレデリックが俺の怒りを理解したのか頭を下げてくる。
まぁ謝れば良いよ。
「ほらっわかったろう? 俺もお前の世界に行けないし、お前も俺の世界に行けないんだよ」
「ーーーー」
納得したのか、俺がフレデリックの世界に行けなかったことで気が晴れたのか、フレデリックは満足気な表情をつくり、いつもの場所に着席した。
「おぃし」
早速コーヒーを飲んで感想を……おっ?
「おぃし」
おおっ、俺が昨日教えた日本語使ってやがる。しかもシチュエーションも完璧だ。
スゲーぞ、フレデリック。
頭良いな。
よおし、俺だって……ヤバイ、何も思いつかん。美味しいって単語教えてもらったのに全然頭に浮かばん。
掃除する前に復習したのに。
俺はアホか。
まぁまずは飯だな。
おにぎりを渡してポテ◯を広げる。マイホームのいつもの風景だ。
今日は辛子明太子とツナマヨ。
少々チャレンジしてみた。
フレデリックは辛子明太子の食感と味、風味に困惑していたが受け入れてくれたようだ。「おぃし」と何度も言っている。
食事後にお互いの言葉を学び就寝。
だがその日の俺は中々寝付けなかった。
すぐそこに、埃のつかない引き戸を開けたその先に異世界が広がっている。それだけでワクワクして眠くならなかった。
アスファルトもない所をみると、田舎町か地球より文明が遅れている世界なのだろう。
どんな所なのだろうか?
ネットは? テレビは? 食べ物は? 魔物は? 亜人は? 魔法は?
言葉が通じれば一晩でもフレデリックを質問責めしたいところである。
だが言葉を理解できない今では不可能だ。
ゆっくりとフレデリックの言葉を覚えよう。
言葉を覚えたら何を聞こうか、なんてことを考えてたら自然と眠っていた。
◇
それから俺とフレデリックの交流は続いた。
フレデリックは夕方になるとマイホームに訪れ、明け方には帰っていった。そのリズムは崩れなかった。銀貨を1枚置いていくのも変わらなかった。
そして夏が過ぎ秋が来た。
銀貨を売った金でだいぶ懐は暖かくなった。
結局あのボッタクリ質屋に通っている。
やはり1000円の差はでかい。来店した俺をみる醜悪な笑顔に吐き気をもよおしながらも、俺は福沢諭吉(ネットで調べた)のお札を受け取る。
余裕ができたので借金を少しずつ返していった。
俺をみつけると怒鳴っていた奴が「借金を返す」と言うと、「……えっ?」と意表をつかれたような顔になるのが痛快だった。
俺とフレデリックは簡単な意思疎通を図れるようになっていた。まだフレデリックの世界のことを尋ねるのは難しいが、日常生活で不便を感じることはなくなった。
フレデリックにはコンビニのおにぎり全種類を食べさせた。
意外にも好評だったのは「すじこ」と「辛子明太子」である。
卵のプチプチとした食感が新鮮らしい。俺が「おにぎり」というとその2つとツナマヨを必ずあげる。
こんな穏やかな日々が続けば良いのに、と思っていたが突如大きな変化が訪れた。
ある日俺がいつも通りマイホームに向かっていると、「ねぇ、君」と声をかけられた。
後ろを振り向くと自転車に乗り帽子を被った青服の男がいた。