二五 初めての
母親が川へおりて食器を洗う間に、ニータと一緒に圭太は毛布を畳んだ。
全部畳んで縛ってもまだ、母親は戻ってこない。
滝の見える岩の端に座って休んでいると、ニータが隣に来て腰をおろした。腕と腕が触れそうなくらい近くに座るから、少し意識してしまう。喉の奥に塊ができてくる。
──おっかしーなー。ちょっと前は、フツーに喋れてなかったか?
そういえば、タヌキ男を罠にかけたときも塊はできなかった。戦闘中は肉体の反応が別物になるのだろうか。
それなら不思議ではない。
あの母親が、三人のならず者をゴキブリを退治するように叩きのめせるのだから。
──そっか……ゴキブリだ……
思いついて圭太は納得した。
家でゴキブリを倒せるのは、母親だけだ。姉は目をつぶって殺虫剤をかけるから、ほぼ逃げられてしまうし、父親は大慌てで母親を呼ぶ。圭太自身は見ないふりだ。どこかへ消えてくれるのを祈る。
だが母親は違う。
近くにある雑誌や新聞、なければスリッパをつかんで、一撃で叩き殺す。殺虫剤は身体に悪いという理由で使わない。潰れたゴキブリのほうがグロテスクだと思うのだが、母親は薬剤のほうを嫌がる。
第一、あんな速い動きのモノを一撃で殺すのは、圭太には無理だ。
──母さん、意外と運動神経が良かったのかな? だからオッサンになってケンカが強くなったってワケか……
そんなくだらないことを考えて、隣の女の子の息遣いや体温やいい匂いから気をそらそうと努力していると、不意に柔らかいものに包まれた。
抱きつかれたのだ、とわかるまでに一秒以上かかる。
「ひ……ひょえぇぇぇ……」
情けない音が漏れた。
破裂しそうな心臓音に気づいていないのか、ニータは圭太の鎖骨あたりに顔を埋め、くぐもった声をだす。
「ありがとう、ケータちゃん。本当に、本当に、ありがとう……! おでかけしてごはん食べようって言ってくれたの、ケータちゃんだって、キョーコーさん、言ってた。あたし、遠くから見てるだけで充分だって言ったけど、やっばり嬉しいよ。キョーコーさんやケータちゃんと一緒に、こんな綺麗な場所で、夢みたいな御馳走食べて、花冠もらって、作りかたを教えてもらえて。あたしだけ、すっごく特別みたいにしてもらって……」
「べ……別に、大したこと……してねーし……」
声がでにくくて、ニータには聞こえなかったかもしれない。
「た……ただの……お礼ってゆーか……」
ふわふわした毛皮みたいな髪に触れてもいいんだろうかと、必死で考える。髪からは甘い匂いが漂ってきて、圭太の考えを邪魔するから、結論はなかなか出てこない。
「お礼するのは、こっちだよ! だってケータちゃん、わざとトイレに行ったでしょう? あたしとキョーコーさんを二人っきりにしてくれて、それで……」
ニータがぴょこんと顔をあげた。鼻と鼻が触れそうだ。
──近ぇ! 近すぎるって!
大きくて丸い瞳がうるうると揺れて光るのへ神経が全部持っていかれて、なにがなんだかわからない。
気がつくと、ニータが圭太の手を握っていた。ほんのり温かいものが、てのひらに乗っている。
さっきより幾分離れたニータの顔が、大きく微笑む。
「えへへ……初めて出てきたよ、感謝の水晶。本当に、なにもないところから出てくるんだね……これで、あたしのありがとうが、どのくらい本気なのかわかるよね。あたしの初めての水晶、ケータちゃんにあげる」
欲しかったのは、こういう初めてではない、とは言えなかった。初めて手をつなぐとか、初めてのキスとか、できるならそっちが良かった。などとも言えない。
喉の塊も邪魔だ。
「あたし、ケータちゃんの親切、死ぬまで忘れないから!」
照れたように頭をかくニータは、死にたくなるほど可愛い。
──この初めてでも、いいか……
今まで読んできた異世界美少女との初めて系シーンとは違うが、圭太はそんな気がしてきた。




