なんでもない日
思えば思春期という時期はとっくのとうに過ぎたかあるいはまだ過ぎていなかったか、そんな頃だった。
年齢的には9つあたりだろうか。声変りなどは当てはまるが、逆に当てはまらない事といえばその苛立ちをあてる人物がいないことだった。
少年がそう確信しているのは1つ。自分の目の前にいるある男が彼の養父でもあり主人でもあるからだ。まだ幼い少年を引き入れたのが当時の蒼の国王ラグナス・ハートフィール。自分を手放した両親から愛される事を教わっていない少年が、ラグナスと触れ合って初めて人を信じてもいいのかと思った時だった。
後に彼は、その主人の宝である大事な愛娘を守るようになる。
*
「色々と面倒くさくなるが…、お前になら愛羅を渡してもいいくらいだ」
「ラグナ…!!?こ、国王、何言って…!?」
月日は流れ、主人でもあり国王でもあるラグナスが突拍子もないことを口走る。従者として頼りにしているのは当たり前で、もし娘が結婚する年齢になったらの体で。そんな嘘をどこか本気で言っているような国王にセラは冷や汗を覚える。
そんな会話の発端。それはラグナスの妹であるエミリアが隣国の黄へと嫁ぎに行ったという過去話から始まった。まだ少し、どこか戦争が度々起こる国に上層部は慌てていた。そんな彼らの目にとまったのが、当時16になったばかりの蒼の姫エミリアを政略結婚という口実で蒼と黄との不戦同盟を結ばせることに。
そして問題はそのエミリアだった。政略結婚で、好きな相手とも結ばれもしないのに、それを問題ないかのように笑顔満開で喜んで嫁ぎにいったという。『戦が終われば私はそれでいいです』なんて、お人好し発言も加えて。
プラス、そのエミリアはやると決めればすぐさま行動にうつす人物だ。嫁いで2年も経たないうちに跡継ぎ候補の子供を生んでしまったのだから仕事が早い早い。そんな跡継ぎ候補となる子供は丁度セラと歳が近い、という情報まで聞く。
――跡継ぎ。少年だったセラは“そういう話”にはあまり興味を持たなかった。いや持ちたくないの間違いであって。しかし王族に仕える身となれば自然とそのような会話が流れてくるのだろう。嫌でも耳に入ってくる。
そんな、どこかどろどろとした会話しか連想できそうにないことに頭を痛めさせながら国王から発せられた言葉がこれだ。身も蓋もない。
「…国王は、俺に斬首でもさせる気でおいでか」
「おや、不服かい?」
「いえ、そういう問題ではなく…」
焦るセラとは変わって口角を上げ、どこか楽しそうな表情を魅せるラグナス。
何を考えているんだ。正直それしか出てこなかったのだ。
まだどこか少年さが残る12の時。セラは何を考えているのか分からないラグナスをただ見つめ返すことだけしか出来なかった。
それから。1年も経たないうちに蒼の国は崩壊へのカウントダウンをあげていた。
◇
「愛羅、デスクの上で寝るな。寝るならベッドで寝ろ」
「駄目…もう駄目。指1本も、動かせ、な…」
ここは蒼の国。城では蒼を統べる領主・愛羅が食事と少しの休憩以外、政事上に関しての取り締まりや、それに関わってくる資料まとめや判子押し作業、愛羅含めた上層部組織の長には、現状を維持するまでの機密事項資料などに目を通しておくなど、その他諸々に関しての山のような仕事の量を遂げていた。
机に突っ伏し、言葉が途切れそうになる主にセラは溜息をこぼし、机から椅子ごと彼女を離して上体をあげさせる。咄嗟のことで驚いた愛羅だったが、体が悲鳴をあげているせいかそこまで大したことでもないというかの様にまたしても瞼を閉じようとする。
「おい愛羅、寝たいならー……」
そんな主に何度言っても伝わらないなと思ったセラはふと考え、片膝をついては愛羅の唇に口付けをおとした。瞼を閉じていた愛羅は先程よりも衝撃を受けたかのように、瞳を見開いては次第に顔を真っ赤に染める。
「セラ…、そういう不意打ちはないよ…」
「ここで寝るお前が悪い」
「じゃあセラが連れてって」
「お子様だな」
「今更じゃない?」
クスッ、と笑う愛羅にセラは呆れながら苦笑い。
黄の国での彷徨う恋人2人を助けだした後以来、セラは後押しされるように愛羅に告白し、それを受け入れた愛羅。見事2人は恋人同士になった。そんな『主従』の2人が恋人だなんて、はたから見れば無理にもほどがある話だ。しかしそんな事関係なくあっさりと、何の障害も無くクリアしていたのがこの2人。そして近すぎる距離感は益々短くなり、もはや親子のようなやりとりにも見えてくる始末。
しかし恋人同士になった後でも変わらず無防備な主にセラは少しのを焦燥感を憶える。
そしていとも簡単に抱きかかえるようにして運んでると、反射的に愛羅はセラの肩へ両腕をまわす。そしておずおずと、言い難い様な顔で口を開く。
「ねぇセラ。……重くはない?」
「心配するまでもなく軽いぞ」
乙女が気にすることをスパッと一刀両断する従者に愛羅は惚れ惚れしながら思う。
――男の子だなぁ…。
「そういえば愛羅。休む前に悪いが、届いてたぞ」
「あっ…」
寝室のベッドの上に運ばれては、思い出したようにセラは懐から一通の手紙を出す。渡された便箋には、真っ赤な真っ赤な赤い封蝋。よく見れば天使の片翼かと思われるかのような繊細で綺麗な模様が彫ってある。
そう。3国平均といえども、今の段階では一番に権力と財を持っているとしてされる――紅べにの国。赤い封蝋がその証拠だった。
「……招待状、よねこれ。私、小さい頃父様と一緒にお招きされた事はあったけど、何分幼かったから記憶が所々曖昧で……」
うーんとこめかみを押さえて唸る愛羅とは逆に、セラは封蝋を眺めては小さく呟く。
「あか…か」
この紅からの招待状。それは年に1回行われる、紅の建国を祝うための祝賀会パーティー。これを計画した当時紅領主の『どんちゃん騒ぎたい』、という我がままに近い意見から造られたのだ。それから継がれる様に行事としても取り入れられ、今に至る。
それには他2国の蒼と黄の領主、そして3国の民を招待するというのが決まり事項であり、愛羅も幼い頃父親に連られて行ったことがあった。
「セラ…?」
そしてセラの視線は手紙を見ているはずなのに、見えない、どこか遠い場所を見ている様で愛羅は不安になって声をかけた。その時だった。
「そうと決まれば支度だ支度!慌しくなるよ~!!」
声がするほうへ視線を向ければ、謎の決めポーズで扉前に従兄の士郎が立っていた。見えない壁の向こうでは、「士郎様、困りますっ」とメイドの声。
従兄さん、迷惑かけないで…。という愛羅の気持ちは読み取ってもらえず、士郎は話を進めようとする。しかしどうやったら私が今いるのが寝室だと分かったのだろうか。探索したいお年頃なのだろうか彼は。そんな従兄にセラは確認がてら尋ねる。
「士郎」
「ん?」
「仕事は?」
「きっちり終わらせてきた」
「今いるここは?」
「蒼の城。…えーなになに?僕そこまで老いてないよ?」
「じゃ、後ろにいるのは?」
「へ?メイドじゃ――」
と、セラの質問に答えようとした士郎が振り返りながら答える。が、士郎は息を呑んでそこで途絶える。すぐ後ろに控えていた神奈が愛用傘でのダイレクト攻撃を後頭部に攻撃したお陰で、士郎は死なない程度の致命傷を負った。
「…いい加減、士郎には首輪が必要かしら」
「真面目に検討した方がいいんじゃないか」
そんな従者の会話に本気で嫌がる士郎は後ずさる。
「えー!?やめやめ、そんな話!!そんな陰気な話をしに僕らは来たんじゃないからね!分かってる神奈!?」
「士郎が一番分かってなさそうだから不安なのよ」
ズバリと言う神奈に、士郎ではなく愛羅が何もいえなくなる。士郎自身は自覚ないらしいが、全くもってその通りだからだ。決めたとなればどこへでもはせ参じ遂行してみせよう、と。これは愛羅の叔母・エミリア、つまり士郎はエミリア母親から直にこの性格を引き継いでいる為ある意味危険人物とみなされている。目を離した隙になにをやらかすか分からない、という理由で。
「まあまあ、そんな褒めたくなるような僕の性格はさておきさ」
「おいとかないで。治す様に努力して頂戴」
呆れ気味に言う士郎に、疲れて言う神奈。そんな従者の心配に気づかない士郎はそのまま愛羅へと視線を移す。
「さて愛羅。早速出かけようか」
「……はい?」
*
「あれ、まだ読んでなかったかい?パーティに関しての連絡と“例”の会議をする為に、“蒼と黄の領主はパーティー前に紅を訪問する”ってのが決まりらしいよ」
「……それは分かりましたけど、“これ”ですよ。“これ”」
「…何が?」
「“思い立ったらすぐ行動”はやめて下さいって昔から注意されませんでしたか!?」
気づけば士郎が使ってきた馬車の中に愛羅はいた。そして向う先はもちろん紅の国。愛羅の目の前に座って話す士郎は余所に、招待状の中身を読み終わった愛羅は思わずグシャリ、と紙を歪める。
「母さんより酷い、とは周りからよく言われたけど。そこまで酷いかな?」
「もう…何も言えなくなるほどに」
「あちゃー」
自身の頭をペチンと軽く叩いては反省の色が全く見えない士郎に愛羅は肩を落とす。そんな従兄に呆れてものも言えず、屋根付きの箱型な馬車窓から外の様子を見る。そこには馬を引く、運転を担う場所に従者のセラと神奈がいる。そんな彼女を見て愛羅は溜息のように言葉をこぼす。
「あの何事にも完璧な神奈が苦労するだけありますね…」
「まぁ、それでも神奈はよくやってくれてるよ。こんな俺でも見放さないのが凄い凄い」
「…それ、狙って言ってます?」
探るように聞けばにやり、と口角をあげる士郎。
「ん?まあ、それなりに。俺の従者になったからには責任を持ってお仕えます、って言ってくれた位だから」
「そうですか……ん?従兄さん今『俺』って言いませんでしたか?さっきも。何か感に触ること言いましたか!?」
「えっ、気のせいじゃない?」
「え、でも……」
「気のせい気のせーい」
話をそらす士郎に愛羅は不安しかなかったが、彼自身が気のせいだと言うのならそうした方がいいのだろう、と思い愛羅は口を紡ぐ。
「従兄さん。少し、休んでもいいですか?忘れかけていた睡魔がもうそこまで…」
「いいよいいよ♪愛羅の可愛い寝顔はきっちりこの目に収めておくから♪」
「……」
眩しいほどの笑顔で笑いながら久しぶりの溺愛っぷりな物言いは他所に、益々愛羅の意識は沼のように底へとおちていった。
* * *
出会い。出会い…?それはまあ普通で。普通の町娘である彼女には何故か厄介ごとが多く付き纏う。借金の取立てに、なにもしていないのにある事件の主犯にされたり。それもこれも、彼女の身内が全て原因ごとを起こしているせいである。そんな理不尽なほどにこの生活が彼女嫌になり、遂には諦めて家出することにした。しかしそんな不慣れな環境になっても少女は逞しく、一種の武器のようなものまで手にしては日々、パワフルに生きている。14の少女にしてしっかりしている、とはよく言われたものだ。しかし身内と仲違いしても火の粉は降りかかってくる。
「おい待てこら、この野郎ぉおおおっ」
「『待て』と言われて待たないバカはいない。…全く、毎度毎度凝りもせずに追ってくるものだわ…」
溜息をこぼしながらも追ってから逃げる少女。今度のは生活には困らないが、今の彼女にはとても払えないほどの額が書かれた領収書をもった男たちが現れた。
また身内がなにかやらかしたのか、と頭の片隅で思い、溜息1つこぼしてから今いる場所を出た。
そして今に至る。
もういっその事、黄から出てどこか違う場所へでも度に出ようか。そんな事を考えて全力疾走してた時だった。
急に目の前に青年がぶつかって来た。
「…っ!?」
「いっ、いったぁ!!……あっ、ごめん!!君大丈夫!?怪我とか…してないか。良かった」
「…貴方だれ?というか、私は急いでいるからそこをどいてくれない?」
明るい茶髪に全身を包む黒いコート。そういう少女の言葉に耳を傾けつつも、目立つような赤渕の眼鏡をかけ直しては目の前の青年は違う事を考えているかのようにまじまじと見つめては「あっ」と口を開く。
「もしかして後ろの面々?」
気づけば声が届くほどに先程の男たちは追いついてきていた。
「…言い寄られて困ってるのよ…」
「へぇ。君結構モテるん…」
「待てこのクソアマァアアア!!!」
「チッ」
面倒くさくなった少女は愛用の傘を振り上げては、相手の男たちに向って先端部分を突き出しては『撃つ』。
ズドンッ
「これでしばらくはついて来れまい…」
そして再び走り出そうとすると、さっきまで話していた青年が慌てたように少女を止める。
「えっ、えええええ!?君あれを言い寄られてるとか凄い自信満々に言うんだね!?あれ、借金取りだよね!?というかその傘なに!?」
「あれは私がしたものじゃない…。というか貴方こそ一緒に逃げてたら一緒に殺されるわよ?」
「…君何したの?」
「身内がやったのよ身内が…。私は全くの無関係」
「そうかぁ。やっぱり城下はよく見てみないと分からないものだなぁ…」
「え?何か言った?」
「いいや、何も?♪そう言えばさ君、」
「?」
「従者になる気はない?俺、君みたいな強い子探してたんだよー!」
「は……?」
これが士朗と神奈の出会いであった。
* * *
「お前ら何者だ」
「黄は凄いでしょう?色々と……。士郎も、お嬢が生まれるまでは自由にやってたけど、急に変な『兄心』が生まれてね。『俺』じゃだめだ、なんか軽い』とか言って」
「今でも軽いだろう…」
うなだれるように顔を覆っては落胆するセラだった。
「まあそれでも、色んな意味で昔より退屈しなくていいから私は楽よ」
「……何だかんだで士郎のこと認めているんだな」
そんなセラの言葉に神奈はすぐ返答できず、やれやれと肩を竦めて少しの間をおく。
「…一応は、ね」