#2 女子高生と電気シェーバー
ヴぅイーん、ヴヴヴヴヴ
少女は立っていた。
彼女の手には電気シェーバーが握られていた。
「……反応に困るなぁ。ここはどこ?」
おそらくほとんどの人は電気シェーバーを手に持っている女子高生への、反応には困るのだが。そういう話ではない。
そこは見渡す限り花畑が広がる場所だった。人工物はまったく見当たらない。
しかし、彼女はこの場所に見覚えもなければ、移動した記憶も無かった。
そもそも現代日本人の中に、全く電柱も建物も道路も見えない平原に行ったことのある奴なんてほぼいないに等しい。
「もしかして……迷子?……」
少女の側に誰か居たならば、きっと叫んだろう。迷子レベルじゃないぞ、と。
彼女は眉間にかすかに皺を寄せただけの無表情だが、混乱していた。
しかし、数秒後には落ち着いていた。何にしても、どうにでもなるようになるというのが彼女の信条だった。
彼女はいわゆる楽観主義者だった。
とりあえず1日を振り返ってみれば、何か分かるかもしれない。
ここは晴れて青空が広がり、太陽が燦然と輝いているが、彼女の記憶では、夜だったはずなのだ。
しかも外には雪が降っていた。
彼女はゆっくりと記憶をたどり始めた。
そう。朝の始まりもまた、電気シェーバーだった。
土曜日だった。でも用事があって、平日と同じ時間に起きた沙姫は着替えをすませ洗面所に向かう。
「おはよう、ねぇちゃん。」
いつも寸分の隙もない沙姫の弟は、もう着替えてこれから洗面所へ行くようである。
彼は、いつも笑顔を絶やさない優等生だ。教師を含め、大人受けがいい。のだが、実はその目が笑っていないことを知っている奴は少ない。
「沙姫。おはよう。今日も何て可愛いんだッ!お兄ちゃん失神しそうだよ。」
沙姫の後ろから声をかけてきたのは、上の兄だ。沙姫を大好きなのだそうだ。ブラコンである。
心底どうでもいいのだろう、一瞥して無視した。
「朝からブリザードだね。お兄ちゃん、凍えちゃうぞっ!」
何か後ろで言ってんなと思いつつ、聞き流す沙姫。
島田沙姫、17歳、高校2年生の朝は、いつも大体こうして始まる。
「ねぇちゃん。お願いだから、父さんのシェーバー持って、洗面台の前で固まるのやめてくれないかな?
うちの洗面所は狭いから一人ずつしか使えないの。後ろ詰まってるから、早くどいて。」
「ごめん。また後で頑張る。」
『何をだよ!!』と常識人なら突っ込むところだ。
しかし一瞬うろんな顔をした弟はいつものことなので、沙姫の超弩級のボケを鮮やかにスルーした。
「さき~ちょっといい~?お母さん手が離せないから、電話に出てくれないかしら~?」
あの父にこんな素敵な奥さんが!? という位の、よく出来た妻であり沙姫たちの母である。
いつもニコニコ笑顔を絶やさない。
家事は文句のつけようがないし、姑との関係も良好だ。
というかむしろ、父さんの方がいつものけ者だ。
「もしもし、島田ですが。……私が沙姫です。……のお母さんっ! はい……。ええ……分かりました。では、11時に伺います。」
「誰から?何の電話だった?」
「……たいしたことじゃない。私に電話してきただけだし。」
「そう?じゃあ、ご飯テーブルに運んでくれる?」
前々から決まっていた用事は4時位には終わった。その後は晩ご飯の手伝い。沙姫は結構家事の手伝いに積極的なタイプである。
お風呂に入って、1時間ほどの勉強の後に沙姫は一番興味のあるものに時間を費やす。
寝る前に歯ブラシを咥えながらシェーバー持っている沙姫と父親は鉢合わせた。
父親は頬をひくひく痙攣させて強張っていたが、沙姫はすぐにシェーバーに目を落としたため気づかなかった。
『良かったら、それあげるよ。この間落としてから、音と振動が凄くて、新しいの買ってきたし。』
『ほんとっ!ありがとう。』
満面の笑みを浮かべる娘に動揺を隠せない父親は、そくささと洗面所を立ち去った。
なにせ、父親はそんなに感情をむき出しにする沙姫を見るのが、小学生だったとき以来だったのだ。
シェーバー片手に鏡の前で固まっていたら、地震が起きた。揺れは小さかったから多分震度1か2。
で、足元がぐにゃっとしたのは感じたものの、いつもの東北地震の余震のせいだと思ってシェーバーに集中していた沙姫は、その時点でここに飛ばされていた。
「何で飛ばされてきたんだ? うーん。」
腕を組み考え込む沙姫が着ているのは、水色でタオル地の膝丈ワンピースに、白いミニ丈のフード付きパーカー。
ご丁寧なことに、羊の角の印刷されたフードはちゃんとかぶっていて、何とも間抜けである。
そして手にはシェーバーだ。この状況でこの格好で混乱していない沙姫がおかしい。
「合わせ鏡で異世界へみたいな理屈で、シェーバーの振動と地震の揺れと鏡の正面にいたことから、ワープしたのかもしれない。」
彼女は鼻息を荒くしながら、シェーバーを見つめている。心の興奮と裏腹に顔は無表情を保っていた。
非常識で非科学的、しかも同時間帯に同じ状況下にあったのは彼女だけではないはずだが。
しかし、帰る方法を一番に考えないあたりが実に沙姫らしい。
その時複数の馬蹄の音と争い合う声が沙姫の方に向かってきていた。
考え込んでいた沙姫の耳に届いていたかと言えば、そうではなかったが。
注)大幅改定しました。3月27日に。
透夜の性格が大幅に変わりました。
その他は情報の出し方と順番を変えただけで同じ話です。