第18話 集う「想い」
会議室の空気は、張りつめていた。
誰も声を出していないのに、
何かが確実に進んでいる――そんな感覚だけがあった。
吉沢先生が、壁に投影された地図を指す。
「東京の歓楽街、転神町」
その名を聞いた瞬間、
胸の奥で、嫌なものが動いた。
「最近、裏社会の抗争が激しくなってる」
「原因ははっきりしないけどね」
地図の赤い印が、いくつも点滅する。
「化け物みたいに強い兄弟が暴れてるって噂もある」
「それに――」
一拍。
「想界師も、全員が善人じゃない」
淡々とした口調だった。
「力に溺れた連中を、想魁者と呼ぶ」
「転神町は、そういうのが集まりやすい場所だ」
嫌な沈黙が落ちる。
「そこに入った一般人や想界師が、何人も行方不明になってる」
俺は、無意識に拳を握っていた。
「花崎と天歌が、先に調査に入ってた」
「だが――」
吉沢先生は、そこで言葉を切った。
「数日前から、連絡が取れない」
はっきりとした言葉だった。
逃げ場のない現実だけが残る。
「だから今回の任務は」
「調査と、救出」
視線が、俺と号に向く。
「近藤」
「鳴海」
「はい」
号の返事は短い。
「二人で、転神町に向かってもらう」
そのときだった。
扉が、開いた。
誰も、すぐには声を出さなかった。
入り口に立っていた男は、下を向いたまま動かない。
肩が、小さく上下している。
隣に立つ女が、一歩前に出た。
長い髪。
整った顔立ち。
視線は冷静で、部屋全体を静かに見渡している。
「……久しぶりね」
落ち着いた声だった。
その一言に、号が反応する。
「……姉さん?」
女は、わずかに口元を緩めた。
「鳴海 怜よ」
名乗り方は淡々としている。
「元気そうで、何より」
怜の瞳には、号の成長を喜ぶ色など微塵もなかった。ただ、使い古した道具の切れ味を確かめるような、氷点下の品定め。号がわずかに奥歯を噛み締める音が、俺の耳に届いた。
「なんで、ここに……」
号の言葉に、怜は肩をすくめた。
「雇われたの」
「条件が、悪くなかったから」
そこで初めて、下を向いていた男が動いた。
顔を上げる。
目が、赤い。
「……っ」
喉が鳴る音がした。
次の瞬間――。
「俺の妹はどこだァァァ!!」
空気が、一気に破裂した。
男は前に出て、床に膝をつく。
拳で、床を叩く。
「三日だぞ!? 三日!!」
「連絡がねえなんて、天地がひっくり返ってもありえねえ!!」
声が、震えている。
泣いているのが、はっきり分かる。
「必ず連絡くれる妹なんだぞ!!」
「それが……それが……!!」
室内が、完全に静まり返った。
俺と号は、言葉を失っていた。
――なんなんだ、この男は。
その沈黙を破ったのは、怜だった。
泣き崩れる男を一瞥する。
「……驚いたでしょう」
淡々とした声。
「普段は、もっと軽いの」
「ちゃらちゃらしてて、うるさくて」
視線を戻す。
「でも、見ての通り」
「重度のブラコンでね」
一拍。
「天歌 翔」
「金等級の想界師」
翔は、涙を拭いながら顔を上げた。
その様子を見ても、怜の表情は変わらない。
「妹が絡むと、豹変して」
「理性も、立場も、全部吹き飛ぶの」
視線を向けると、
動じていないのは、吉沢先生と怜だけだった。
「まあまあ」
吉沢先生が、ため息混じりに言う。
「これが、一番の要因さ」
「彼が、勝手に来ちゃってね」
翔を見下ろす。
「暴走させると、後が面倒だから」
「君たちと一緒に行ってもらう」
「え……」
思わず声が出た。
そのタイミングで、俺は一歩前に出た。
「あ、あの……」
「近藤 大地です」
ぎこちなく頭を下げる。
「天歌さんの妹――瑠偉さんとは」
「以前、任務でご一緒して……助けてもらいました」
次の瞬間。
翔の顔が、ぱっと明るくなった。
「おおっ!!」
刹那、爆風のような想力が会議室を吹き抜けた。つい数秒前まで涙を流していた男から放たれる、暴力的なまでの黄金のプレッシャー。俺の皮膚がピリピリと悲鳴を上げる中、男は太陽のような笑顔で俺の手を掴んだ。
「そうか!!」
ぶんぶんと、容赦なく振られる。
「やっぱり俺の妹は最高だろ!!」
「世界で一番かわいいんだからな!!」
握力が、やたら強い。
「話が合うな、少年!!」
ハハハ、と豪快に笑う。
さっきまで泣いていたとは、思えない。
その様子を見ながら、
俺は、号と目を合わせた。
――大丈夫か、これ。
号は、ほんのわずかに首を振った。
転神町。
想魁者。
行方不明。
そして――
癖の強すぎる仲間。
事態は、もう静かに進む段階を過ぎている。
俺たちは、否応なく――
欲と歪んだ想いが渦巻く場所へ、足を踏み入れようとしていた。




