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京葉文化大学美術サークル及び株式会社スラストーン美術課活動報告書  作者: 荒間文寧


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エピローグ

 外回りはあらかた終わった。

 軽くなった紙袋をぷらぷらと提げたまま、五智はスーツ姿で駅前を歩いていた。往来に混ざって聞こえる駆け足の音に気づきながらも特に気にしてはいなかった。歩を進めるうちにすぐ側でその音が止まる。あの、すみません、と誰かが話しかけられている。

「あの、すみません!」

 もう一度聞こえたところでそれが自分宛だと気がついた。振り返った先は若い男性である。おそらく二十歳前後だろう。五智はその顔になんとなく見覚えがあった。しかしどこで会ったのかさっぱり思い出せない。

「あなたですよね、絵を持って行っちゃったの」

 その言葉で五智はやっと彼を思い出した。数ヶ月前、瀬良の絵を回収しにアニ研のサークル室に赴いた際、対応をしてくれた大学生である。

「不思議に思って残りの絵を調べたんですよ。で、サインで分かりました。あれ瀬良遙の絵ですよね、めっちゃ有名な。……返してもらえません?」

 息を整えながらも真剣な表情で交渉してくる彼に、五智はあっさり頷いた。

「いいぞ」

「え、いいんですか」

「ああ、ただ転売せずにあのサークル室に飾ってやってくれるか」

「はい。……なくなっちゃって寂しいんで、ちゃんとかざりますよ」

「明日にでも持っていかせる。悪いがしばらく忙しくてな」

 よかったら来てくれ、と五智は紙袋に手を入れた。もう残り少ないうちの一枚を彼に手渡す。それは瀬良の個展のフライヤーであった。受け取った彼はそれを見て、驚いたように尋ねてくる。

「あの、あなたは?」

 五智は上着のポケットに手を入れた。ついでに名刺も渡しておこうと思ったのだ。

「瀬良の小間使いみたいなもんだ」

 ケースから取り出して名刺も渡す。五智の大きくて無骨な手には不釣り合いなほど小さな紙であった。


 立ち話を早々に切り上げて五智は目的の場所へ向かった。貸しギャラリーへ裏手から入る。瀬良の個展は明日から開催の予定である。作品は当然、既に運び終えていた。準備のほとんどを終えているため、人手はほとんどない。

 一番目立つところにかけられた、一番大きな絵。その前に瀬良が立ってた。五智は無言でその横に並ぶ。気づいた瀬良が五智を見た。

「本当にこれが目玉でいいのかね」

「いいに決まってるだろ」

 かかっているのは瀬良の母の絵であった。 あの日、五智と一緒に描いたものではない。後に瀬良が一人で描き上げた絵である。

 ウェーブがかったロングヘアの優しそうな女性と、ボブでつり目の女性がふたり並んでいる絵だ。

 瀬良がそれを完成させたことは、もう報告済みである。二人並んでぼんやりと眺めているうちにやがて裏手のドアが開いた。やってきたのは三人だ。荒木と永旗、その二人の真ん中で、覚悟を決めた顔をした巡が立っている。挨拶もなしに巡は大股でこちらにやってきた。瀬良と五智はやはり無言で絵の前を開ける。しばらく瀬良の顔を凝視していたが、数秒後に巡は絵に向き合った。誰もなにも言わない。ただ静かに巡の反応を待っていた。

 何十秒、もしかしたら何分も後だったかも知れない。身動き一つとらなかった巡はやっと口を開いた。

「実在、しないんですよね」

「そうだね」

 瀬良の返事に、巡は息を吐いた。強張っていた表情がそこでやっと緩む。

「これを描いてもらうのに、十二年もかかりましたよ」

「悪かったね」

「いえ。本当にありがとうございました」

 そう言って巡は深々と頭を下げる。数秒間しっかりと礼をしてから、顔をほころばせた。

「個展が終わったら買い取らせてください。価格は言い値で結構ですよ」

「いやあ、いらないよ。散々待たせたからね」

 見たことないくらいに瀬良は上機嫌だ。穏やかに、そして嬉しそうに巡を相手にしている。

「それに君には大変世話になったからね。だからね、ちょっとでいいよ。ちょっとと言うか、一発でいいよ」

「一発?」

 巡が首をかしげると同時に、瀬良が「五智!」と名を叫ぶ。事前に言われていた。だからまあ、仕方がないだろう。五智は躊躇いなく巡に近づいた。油断している巡の肩を押してこちらを向かせる。完全に理解していないその顔面めがけて五智は拳を握った。そして頬に向かって一発振り抜く。

 覚悟も受け身もないままに巡はしっかりと殴り飛ばされた。尻餅をつく巡の頭上で瀬良がゲラゲラと笑っている。

 しばらく頬を押さえて俯いていた巡は、やっと状況を理解したらしい。見たことないほど怒りに燃えた目で、下から五智を睨みつけてきた。

「五智さんうちの社員ですよねえ。社長の顔知らないんですかあ?」

「瀬良の秘書としてあいつの言うことを聞け、って辞令を受けてる。社長直々にな」

 巡には散々世話になった。今でもなっている。それはそれとして恨みも同じくらいある。それは瀬良も一緒だ。だからまあ、これでちゃらにしてやろう、と話がついていたのだ。昨日の晩に瀬良が言い出したことだ。視界の端では荒木と永旗が必死で笑いを堪えている。それを無視して両者にらみ合いを続けていたが、やがて荒木がゆっくりと近づいてくる。笑いをかみしめているのが微塵も隠せていない。

「社長、会合の時間が迫ってますので」

「助けようとか思わないんですか? 荒木さんだって僕の秘書に戻してあげたじゃないですか。なんで笑ってるんです?」

「いやちょっと日頃の恨みが解消し切れてないので」

 ほら行きますよ、座り込んだままの巡を立ち上がらせて荒木は引きずっていった。永旗はもう完全に笑っている。日頃の行いが悪すぎたのだろう。誰も助けてくれないらしい。これを機に身の振る舞いを治してくれればいいのだが、あの男が悔い改めるとは思えない。巡の文句を追い出すように裏手のドアが閉じる。そこでやっと永旗の笑いが止まった。

「で、お前はどうした?」

「はいこれ。オフィスに届いてました。すぐ見たいかな、って思ったんで」

 永旗はずっと抱えていた段ボールを五智に差し出してきた。蓋はすでに開いている。五智が覗くと、それは茶色い紙に包まれていた。五智は礼を言って段ボールを受け取る。永旗は本当にそのためだけに来てくれたらしい。

「明日また見に来ますね」と言ってすぐに帰って行った。

 その間も瀬良はずっと笑っていた。殴り飛ばされる巡がそれだけツボに入ったらしい。まだちょっと治まりきっていない。くつくつと笑いながらも五智に寄ってきた。

「できたのかね」

 五智の手から段ボールを取り上げて床に置き、バリバリと勝手に包装を剥がしていく。現れたそれを見て「ああ、いいね」と顔をほころばせた。一枚抜き取って五智に見せてくる。五智は反応に困った。無言でいると瀬良は不満げに頬を膨らませた。

「なんだね、もうちょっと嬉しそうな顔したらどうだね。まさか緊張してるのかね?」

 似合わなすぎるよ、と瀬良はまたケラケラと笑い出す。その様子に腹を立てて、五智は瀬良の手元からその紙を奪い取った。それもまたフライヤーである。瀬良のものではない。数ヶ月後に開催する、五智の初めての個展を告知するものである。

「楽しみだね」

「……そうだな」

「きっと沢山、は見に来ないかも知れないけど。でもきっと、みんな楽しく見てくれるよ。五智のことも、作品のことも」

 そうだな、と五智はもう一度呟いて手元のフライヤーを見る。

 そこにはあの日、瀬良のために作った自画像の写真が大きく印刷されていた。

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