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京葉文化大学美術サークル及び株式会社スラストーン美術課活動報告書  作者: 荒間文寧


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6-11

 五智が再度アトリエを訪れたのは、それから一ヶ月後のことであった。玄関戸の前で五智は悩んだ。鍵は荒木から借りている。しかし勝手に開けて入るのもいかがなものか。でも出禁だから名乗ったところで入れてもらえないし、かといってまた嘘をつくわけにもいかない。ええいままよと五智はインターホンを押す。しかし返事はなかった。ドアノブに触れてそっと回す。鍵は掛かっていなかった。

 心配が胸を占める中、五智はアトリエへ上がり込む。室内は薄暗かった。電気は一つもついていない。廊下を進んで正面のドアは開け放たれたままである。ゆっくりと歩いて中を見る。カーテンは閉まっていた。瀬良はその脇でぺたりと床に座り込んでいる。瀬良の正面に置かれたキャンパスは新品同様真っ白であった。瀬良の真横に五智は座り込んだ。しかし瀬良はなにも言わない。まるで人が来たことに気がついていないかのように、ぼんやりと手つかずのキャンバスを眺めている。

「誰か聞かねえのか、いつもみたいによ」

 五智が声をかけたことで、瀬良はやっとこちらを見た。視線をよこしたのは一瞬だけである。

「意味ないよ。聞いたって分からないからね」

 そうか、と同調してから五智はポケットから一つの彫刻を取り出す。それを瀬良の目の前、キャンバスとの間に差し出した。

 ほら、と五智が呼びかけるも反応がない。しかし「見えるか?」と尋ねると小さく頷いた。

「こいつは自画像だ。どうして治ったのか、他の人でも分かるように説明できるようにしろ、って巡に言われてな。自分の中でも明確に分かってた訳じゃねえ。俺にできるのは木彫りだけだ。だから自画像を作って自分の中で考えをまとめようと思ったんだ。だけど全然うまくいかなくてな」

「なんだね急に、べらべらしゃべり出して」

「いいから聞け」

 苦い顔をした瀬良を、五智は制止する。そしてただひたすらに話し続けた。

「あのころ、なんで俺がお前の側にいたか知ってるか? お前が俺を見なかったからだ。あの事故からずっと人の視線が怖くて仕方がなかった。事情を知ってる連中の目はもちろんだ。そうじゃなくても図体がでかいせいで俺はよく目立つんだよ。それがとにかく嫌で怖かった。人となりも過去も知られたくなかった。自分が一瞬で記憶しちまうようになったせいで、他人にも一目で見透かされて覚えられるような気がしてたんだ。

 だけどお前だけは俺のことを見なかった。見えなかった、と言うのが正しいのは分かってる。人間が嫌いだった訳じゃねえ。一人でいるのも嫌だったんだ。焼き付いた光景がフラッシュバックするからな。俺をろくに見ずに、過去や人となりにも興味を持つ素振りもなくて、彫刻というやることも与えてくれて、それでいてお前は側にいることを許してくれただろ。

 だから特別だったんだ。俺にとって唯一、平然と関われるやつがお前だったんだ。一人じゃねえけど視線の恐怖もない空間で、黙々と集中して手を動かせるサークル室での時間は救いだった。場所も、彫刻も、どっちもお前がくれたものだった。俺にとってお前は特別で唯一だったんだ。

 お前が見えないって分かったとき、治してやりたいって思った。だけどそれは、今思い返せばお前を思ってのことじゃなかった。

 巡にそそのかされたのもある。だけどな、それは俺自身のためだった。ひとりの人生を奪ったぶん、誰かを救えば相殺されてまたまともに生きられるんじゃないかと思ったんだ。

 それともう一つ。見られないまま特別になれるんじゃないか、って思ってた。あんな状態だったんだ。まともな人間関係なんて築けるわけがねえ。でもお前は俺が見えなくて、でも俺が彫ったものは見えただろ。だからお前なら、俺の見られたくないっていう願望を保ったまま彫刻を通して、お前にとっての特別になれるんじゃないかと心の底で期待してたんだ。

 矛盾してるだろ。お前を治してやりたいと思いながら、治らずに見えないまま、俺の彫刻だけが見えればいいと思ってた。その二律背反を抱えたまま、俺はひたすら木を彫り続けてきた。どっちも正しくて必要だったんだ。お前のためじゃない。俺が救われるためだ。

 俺にとって、お前はあまりにも都合がよすぎたんだよ。

 だけど俺は治った。ちゃんと見たままに作ったつもりだったのに、永旗に違うと叩き壊された。九年以上も焼き付いて離れなかったせいだろうな。知った気に、分かった気になってたんだ。柔道畳の上で数分向かい合っただけで、そいつの全てなんて分かるわけがねえ。ましてや一瞬視界に入っただけのやつのことなんか、何一つ分かりやしないんだ。

 だからもう人の視線は怖くねえ。どれだけ見られようが、見ようが、もう平気だ。

 俺はもう、見えないお前を望まない。そしてお前を治すことも望まねえよ」

 瀬良はただ黙って聞いていた。神妙に語る五智の向かいで、視点はずっと彫刻に合わせていた。

「この間来たのは俺だ。嘘ついて悪かったな」

「意味が、分からんよ。じゃあなんで君はこれを彫って、ここに持ってきたんだね。君の望みは?」

「見えても見えなくても、どっちでもいい。ただ、覚えてくれ。全てが自分本位だった。それでもお前に会って彫刻を始めた。お前の絵に感動した。ばかみてえに時間は掛かったが、ここまで彫れるようになった。そういうやつがここにいるんだよ。俺だ。五智だ。見えなくてもいい。顔をつきあわせた瞬間分かってくれなんて言わない。だけど、覚えてくれ」

 瀬良の向かいにしゃがみ込んだまま五智が言う。そこでやっと瀬良は、ずっと目の前に差し出されたままの彫刻を手に取った。難解な解釈が必要なメッセージ性も、複雑な装飾もいっさいない。Tシャツにジーンズ姿で背を丸めて、手元の木片とただ真剣に向き合っている男の彫刻だった。

 それを持ってただじっとしている瀬良に、五智は「ほら」ともう一つ差し出す。

 それを見た瞬間、瀬良はやっと笑った。

「ああ、知ってるよ。よく知ってる」

 人の形をしていないね。そう呟きながら瀬良は嬉しそうに受け取った。

 昔に五智が彫った、ずいぶんと拙い木彫りの像であった。

「見えるようになりたいか? また描けるようになりたいか?」

「……うん」

「お前のことも教えてくれるか。どうやって生きてきたのか。なんで見えなくなったのか。言える範囲でかまわねえから」

「うん。分かったよ」

 五智のエゴとして、瀬良の平癒を望むことはもうしない。しかし瀬良本人がそれを望むのなら、その手助けはしたいと思う。五智自身のためではなく、純粋に瀬良本人のために。

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