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大学名は知っていた。学部はまあ彫刻関係だろう。後は入学した年を計算すれば何期生なのかも割り出せる。インターネットの海を少しばかり潜ればすぐに現役で活動している同期を何人か見つけることができた。そしておあつらえ向きにそのうちの一人が個展開催中である。在廊時間もSNSに載っている。これ幸いと荒木は翌日、そのギャラリーへ赴くことにした。
その道中、巡から聞き出していた連絡先へ一本メッセージを入れる。永旗だ。
『五智さんのあれ、いつからか知ってますか』
『兄の事故からです』
メッセージはあっさり返ってきた。その情報だけを頼りに荒木は見知らぬ作家の個展へ乗り込んだ。立体物ばかり展示されている空間は、油画しかない瀬良の個展とは大きく雰囲気が異なっている。しかしそんなことはどうでもよかった。荒木が愕然としているのはそんな理由ではない。作家の顔はSNSに載せられていた写真ですでに確認している。だから入ってすぐに分かった。
とにかく愛想がいいのだ。彼に話しかけていく人物は多数いるが、それに全て営業マンと見間違うばかりの人当たりのよさで応えている。仮に情報が得られなかったとしても爪の垢だけはもらうことができないだろうか。煎じて瀬良に飲ませたい。一ヶ月くらい投与し続けたい。
人がはけるまで様子を窺いながら荒木は作品を見て回ることにした。とはいえさっぱり分からない。絵でもなければ木彫りでもない。人でもなければ風景でもない。ずいぶんとカラフルで、針金やらプラスチック、紙や紐がふんだんに使われている。いわゆる現代アートよりなのだろう。専門外のさらに専門外だ。荒木の背よりも大きな作品もある。瀬良とも五智とも比較ができない。やっぱ訳分かんねーわ芸術ってやつは、と荒木は内心でため息をついた。むしろあの二人は一般人でも分かりやすい作風らしい。
そうこうしているうちに作家の前から人がはける。荒木は名刺入れを取り出しながら早足に近づいた。
お話よろしいでしょうか、と声をかけると同期の作家は荒木へ振り返った。はい、という返事はハキハキしていながらも柔和だ。君は普通に会社勤めの営業マンも出来ると思うぞ、と荒木は感動する。瀬良には絶対に無理だ。
「私、株式会社スラストーンの荒木と申します」
名刺を差し出すと彼も両手で受け取る。そこから荒木は端的に説明をした。社長が芸術好きでパトロンをしていること。そしてその作家の個展開催の手伝いを自分がしていること。
「お恥ずかしながら芸術とは無縁の人生を送ってきたものですから、社長にこの仕事を任されてからずっと手探り状態でやってきたんですよ。先ほど見させてもらいましたが、大変参考になりました」
それはよかった、と目の前の男はやはり人当たりのいい笑顔を見せた。実際は微塵も参考になどなっていない。しかしそんなことはどうでもいい。
「で、本題なのですが。うちが支援している作家のうちの一人と連絡がつかなくなりまして」
「はあ」
「五智将という彫刻家です。……ご存じですよね」
自分で言っておきながら、荒木は言い回しに若干嫌悪した。同時に今の言い方巡っぽかったな、と思う。似てきてしまったのだろうか。であれば不本意である。
目の前の男は笑顔を崩さない。しかし柔和さは消えた。視線がこちらを警戒し値踏みするような鋭さへ変わる。
「なるほど。当然知っています。が、卒業以来会ってもなければ連絡も取っていませんよ。おたくがパトロンについていることすら初めて知りました」
「居場所を聞きに来たわけではありません。在学中のことでかまいませんので、彼について知っていることを教えてほしいんですよ。弊社の対応が不満で逃げだしたのではないかと」
「それはないと思います」
食い気味に、そしてきっぱりと彼は否定した。人間性に関してはどうやらずいぶんと買っているらしい。
あいつの最近の作品、写真とかあります? と尋ねられたので先日オフィスで取っておいた写真をいくつかスマホで見せる。「かわらないな」と彼は呟いた。
「悟りでも開いているのかと思うくらい真面目でした。美大時代の五智は。それが作風にもありありとにじみ出ている。不義理を働いて無言で去るようなやつじゃないですよ」
「これ、全部実在する人物ですよね?」
「はい、おそらく。少なくとも過去の五智はそう言ってました」
「一度見た顔は忘れない。ご存じですよね」
「ええ」
「うちの社長は、それを治そうとしているんです」
「それは……なるほど。であればたとえ五智であっても逃げ出す可能性がありますね。……荒木さん、絵や彫刻を嗜んだ経験は?」
全くありません、と荒木は首を横に振る。
「入学当初、我々も五智が言うそれを疑ってました。で、試したんですよ。五智に一秒だけ、会ったことない人の写真を見せて、この人を描いてみろ、って」
一秒、と荒木は復唱した。それはもう見たことがある、というよりは視界に入ったことがある、と呼ぶべき次元だ。
「完璧に描き上げましたよ。そのうえでこう言ったんです。会ったことがある。入学式の日に駅で見た、と。同期の妹の写真でした。対面や写真だけじゃないです。人物画や彫刻、人形なんかもそう。あいつは一目見ただけで頭に完全に焼き付けられるんです。そして忘れない。正直に言って、羨ましいなんて言葉じゃ済まないですよ」
生身の人間だけではない。絵画や彫刻、それが人の形をしていれば一瞬視界に入っただけで全て記憶してしまう、ということか。この世に人物をモチーフとした名画がどれだけあるのだろう。モナリザにゴッホの自画像、ムンクの叫び、ミュシャ、ナポレオンの肖像画、北斎をはじめとした浮世絵たち。積極的に芸術の知識を取り入れてこなかった荒木でさえいくつも挙げることができる。はたして美大の講義ではどれだけ取り上げられるのだろうか。はたして五智はどれだけ自主的に学びにいったのだろうか。その全てが彼の脳には記憶されている。にわかには信じがたい話に荒木はめまいがした。
「まあ、作品を見るより生身の人間を見る機会のほうがどうしたって多いですから、あいつはそれに引きずられるせいで作品に面白みがでないんですけどね。嘘がつけないんです。証明写真みたいな彫刻ばかり作る」
「五智さんはやはり、治したくないんですかね」
「その、さっきから気になってたんですけど、治すってなんですか? 病気かなにかだと捉えてるんですか? ギフテッドでしょあんなの。そしてそれを無くすのは、あいつの作風と完全に結びついた才能を消すのは、あいつが彫ってきた過去を全て消すのと同じだと思いますよ」
面白みがないんじゃなかったのか、と荒木は苦笑する。芸術家ってのは本当によく分からない。
最後に「当てはありますか」と尋ねたが、案の定首を横に振られてしまった。
「さあ。卒業以来連絡取ってませんから」
「そうですか、長々とありがとうございました」
きっちり頭を下げてから、荒木は個展を後にした。




