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画一的かつ工業的な照明という器具と、手作業で切り出した紙を組み合わせて作るのが影絵である。作るのは影の方だ。自ら表現し制作した影を、既製品かつ他者が作った照明で照らすことで際立たる。
見つかるものだな、と永旗は思った。視界に入った瞬間にちゃんと気がつくし、ちゃんと出会えるようにできているのかもしれない。現実的な思考とはあまり言いがたいが、それでも永旗はそんな風に世界はできているのではないか、などとたまに夢想した。
三泊四日の出張から帰ってきた永旗は鉛筆を置いて、はさみとデザインナイフに持ち替えた。それでもたまにスケッチブックと鉛筆も持つ。いきなり作品に取りかかるのではなく、まずは構成や表現したいものを描き出すといいらしい。エスキースと呼ばれている。五智がそう教えてくれた。それからおすすめの画材屋も教えてくれた。出張から帰った翌日のことだ。五智からなにかを教わったのはそれが最後であった。
あとは二人並んでオフィスで黙々と作り続けた。完成するたびに五智へ見せた。彼は相変わらずなにも言わずに頷くだけだった。ただデッサンのときと違って変な顔をしていた。
その顔と自分の作品を見比べる。五智には何が見えているのだろうか。少なくとも、かつて彼が想像していた『永旗が作るもの』とは違っていたのだろう。だけどそれに迎合する気はない。したところで意味はないのだろう。
永旗がデッサンをしているときも、影絵を作り出してからも、ほかの社員はなにも言わなかった。みんな知ってるよ、と瀬良が言っていた。だからきっと誰もなにも言わないのだ。たまに誰かがコーヒー片手にやってきて、五智の彫刻や永旗の作品を眺めていく。作り始めてすぐは皆五智の彫刻ばかりをじっと見ており、永旗の影絵を前にしたときは小首をかしげていた。だけど最近は影絵を眺めてくれる時間が増えた。首をかしげられる回数も目に見えて減った。永旗がこの会社にやってきて一年が経過していた。
「で、いつまで仲良しこよしで作品づくりしてるんですか?」
振り返った先にいる巡は真顔であった。この人は他者からどう見られるか、と言った部分に恐ろしいほど無頓着だ。いっそ羨ましいほどである。
永旗だって別に目的、というか課された仕事を忘れていたわけではない。ただあまりにも面白かったのだ。一つ作るたびに課題が見つかる。一つ完成するたびに自身の技術が上がる。天井は未だ見える気すらしない。ひたすら能力が上がり続ける状況は実に愉快であった。しかし雇い主の巡はもうこの状況を許してくれないらしい。
「こっから本番です。ここがスタートラインなので」
「そうですか。忘れてないなら大丈夫です。最初から長期計画なので」
頼みますよお、と呟いて自席へ戻っていく。最後まで笑顔の一つも見せなかった。永旗はデザインナイフを置いた。
巡の思惑を忘れたことなど一度もない。瀬良の個展にいた男性が言っていた。「ただ、今の立ち位置でなにかが手に入るなら、なにかあなた自身がやりたいことを達成できそうなら、是非してください。間違ってもあの人たちに奪われる必要はありません」と。
彼だけではない。地元にいたころも何度も言われた。自分自身のために生きてもいいんだよ、と言ってくれる人が何人もいた。よくある詭弁だと聞き流していた。永旗が動かなかっただけだ。逃げるようにここに来た。本当にするべきは逃走ではなかったのだ。
事故から十年が経過している。潮時だ、と思った。一生ここで影絵をして遊ぶつもりもない。
「では、社長のお望み通り、そろそろ始めますか」
永旗が手を止めて話しかけているのに、五智はそれに答える気はないらしい。下を向いて彫ったまま適当に返事をしてくる。
「なにを」
「選択の可視化と凝縮。そして否が応でも主観が出る。そうでしたね」
「ああ」
「でも後者に関しては、作り手だけに限らない。鑑賞者の主観もまた、否が応でも作品に映る。私の見ている世界が、人が、あなたに屈託なく伝わるでしょうか」
そこで五智はやっと手を止めた。しかし視線は落としたままである。
「人の顔が忘れられないのですよね。では、兄の顔も当然覚えていますね。……彫ってください。私も兄を題材に影絵を一つ作ります」
「お前が兄を作るにはまだ早い」
「なぜですか」
「まだ素人に毛が生えた程度だ。中途半端な実力で大切なもんを作ろうとすると、傷ついて苦しむはめになる」
「社長!!」
永旗は食い気味に怒鳴り声を上げた。周囲のタイピング音と雑談する声がぴたりと止まる。オフィスにいる全員がこちらを向いていた。巡も同じである。しかし誰よりも早く我に返ってこちらに寄ってきた。
「どうしました?」
「五智さんに、私の兄を作らせてください」
「はい」
「私も作ります。五智さんとは別の場所で作りたいです。どこか場所を用意してもらえますか」
「分かりました。今日中に手配します」
「照らし合わせたら私はこの会社を辞めます。お世話になりました」
「その必要はありません。新卒カードを僕の私欲で奪いましたから、一生面倒を見ますよ」
「結構です。私はあなたたちのことなどどうでもいい。これによって五智さんが治るかどうかなんて分かりません。私にはどうでもいいので」
巡の目を見ながら、永旗はきっぱりと言い切る。しかし目の前の男は不快そうな顔一つしない。むしろどこか嬉しそうですらある。そういうところが本当に嫌いだ。永旗は視線を五智へ移した。
「私は私のためにやります。付き合ってもらいますよ、五智さん。それとも、私が前へ進むためのお願いを断ったりしませんよね?」
五智は返事をしない。それどころか永旗を見ることすらしない。永旗はすぐに帰り支度をした。スケッチブックと書き慣れた鉛筆、そしてずっと使っていた刃物類を手早く鞄へしまう。
「今日はこれで失礼します」
「はい。今日中にアトリエに使えそうな場所探しますから、明日また連絡しますね」
定時にはまだ届かない。しかし颯爽とタイムカードを切ってオフィスを後にした。




