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京葉文化大学美術サークル及び株式会社スラストーン美術課活動報告書  作者: 荒間文寧


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11/42

3-4

 翌日、いつも通りに「五智だぞ」と名乗りながら壊れたドアの横を五智は通り抜ける。正面にいる瀬良は絵筆を手に持っていなかった。イーゼルの前にぼんやりと立ったまま「ああ、来たのかね」とずいぶん穏やかな声で呟きながらこちらへ顔を向けてくる。その表情もやはり声と違わず柔和であった。

「よし。たまにはコーヒーでも淹れてあげよう」

 瀬良はいそいそと部屋の隅へ移動していく。取り出した電気ケトルはたまに五智がカップ麺を作るのに利用しているものだ。天変地異か? と訝しみながら五智は鞄を置いた。淹れると言ってもスティックコーヒーらしい。瀬良は目を細めながら一本つまんで印字を読んでいる。おそらく賞味期限を確認しているのだろう。

 異変の原因を探るべく五智は周辺を見回すが特筆すべき点は見当たらない。イーゼルの絵も遠目には先日と同じ風景画に見える。もしや、とその絵に近づいた。

「できたのか?」

「うん」

 五智はそれを見て、内心で瀬良に詫びた。先日、完成品と見間違えたことを申し訳なく思った。どんな色と技術を使って肉付けされたのかは、五智の理解の範疇を超えている。実際に五智は油絵に対する知識をほとんど持ち合わせていない。そう大きく描き足されていないことは分かるが、それでなぜこうも印象が変わるのか。おそらく瀬良が加えたのは細やかな光だろう。的確な位置に置かれたそれの効果で絵の解像度がぐんと上がっている。立体感や温度、風の音まで一枚の中に表現されている。

 五智は思わず窓の外と見比べた。ちょうど下の道を、五人の男子大学生が姦しく笑いながらだらだらと歩いていた。

「絵の方がずっといいな」

 瑞々しさのある草木のほかに生命は描かれていない。しかしその木の葉の中に鳥が、土の中に虫が、そして建物の中に人がいて生きている。目視できず静寂なのに確かにそこに描かれている。この世界が本当にこんな風であったら五智はきっと今よりずっと生きやすいだろうな、と思った。

 そんな五智の思いをよそに、言われた瀬良は驚いた表情をしている。人がせっかく褒めてるのに、と五智は居心地が悪い。

「なんだよ」

「ああうん、そうだね」

 瀬良はなにか言いよどんでいた。自身の絵と窓の外を交互にふらふらと指で示している。

「私には同じに見えるんだよ」

「同じ?」

「ここから見える景色をそのまま描いた。だから、私にはこれも窓の外も同じ」

 つまり瀬良には世界がこう見えている、ということである。羨ましい。その単語が五智の脳裏を過ったが、それを口に出さずに留める程度の気遣いは持ち合わせていた。

「絵というのはどう頑張っても主観が入り込む。でもそれは決して悪いことばかりではないよ。例えば――」

 瀬良はろくに指導をしてくれないが、蘊蓄はよく語る。

 また始まったな、とそれを聞き流しながら五智はひたすら目の前の絵を眺めていた。

 発想、知識、そして技術。瀬良が一枚の絵に落とし込んだもののうち、たった一つすら五智は持ち合わせていない。それを身につけるには莫大な時間と努力が必要なことも無意識に察していた。だからせめて、それ以外は知りたいと思った。

「なあ」と五智は話しかける。瀬良はお得意の蘊蓄を止めた。

「なんでこの絵を描こうと思ったんだ?」

 瀬良は答えない。指揮者のように優雅に振りまわしていた指は、いつの間にか腕ごとだらりと垂れていた。

「なんでここからの景色なんだ? 朝でも夕暮れでもなくて昼下がりなのは」

 なんでだ、と聞くより先に五智は名を呼ばれる。五智はぱっと言葉を止めた。瀬良の声色に、まるで五智をとがめるかのようなニュアンスを感じ取ったからだ。

「作品について本人にあれこれ聞くのは感心しないね」

「だめなのか」

「見て分かるものを作らなくてはいけない。解説する余地があるならそれを作品に組み込まなきゃいけない」

 誰かの言葉を引用しているかのように、瀬良は淡々と言った。そういうもんか、と五智は呟いた。独学で彫り始めて数ヶ月の素人である。芸術家としての心構えなど五智が知るよしもない。

「巡のやつがよ。ちゃんと習わないか、って言うんだ」

「ほう。あの基地外、ついに私のこと諦めたのかね」

 別にそういうわけではないらしいがな、と五智は否定する。実際微塵も諦めていない。

「そう。でも学ぶのはいいことだよ。あいつのことだし、金は出してくれるんだろう? どうせならやってみたらいいよ。君が作るものも少しは人型に近づくだろうね」

「そうか」と五智は呟いた。呟いてもう一度、視線を瀬良の絵へと戻した。

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