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京葉文化大学美術サークル及び株式会社スラストーン美術課活動報告書  作者: 荒間文寧


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プロローグ

 株式会社スラストーンは墨田区錦糸町にオフィスを構えるIT企業である。従業員数は四十二名とさほど多くはないが、社長である巡宗佑がスタートアップから二十年育て上げた優良企業であり、売り上げも純利益も多く株価も安定、おまけに福利厚生や労働環境もよく、四方八方に大変評判のよい会社、らしい。

 五智は二年前からそこに勤めている。週に五日、月曜から金曜まできっちりとそのオフィスに通っている。にもかかわらず五智はこの会社のことをなにも知らなかった。

 五智のデスクは一番隅にある。その机に置かれているPCは電源が入っていない。最後に入れたのはいつだったか、五智にも分からない。

 天井は高く、外に面しているガラス窓は開放感を重視して大きく作られていた。白を基調とした壁と床に、所々置かれた観葉植物の緑がよく映えている。

 小綺麗なオフィスでそれに似つかわしい所作を展開している従業員たちを尻目に、五智は床に、自分のデスク前に大きく広げて敷いたブルーシートの上にあぐらをかいて座っていた。

 百九十センチ近い背を丸く、小さく丸めている。左手に握られている木材は、元はただの角材であった。大まかに角を落とし既に丸みを帯びているそれに、右手の彫刻刀で少しずつ、しかし躊躇いなく削っていく。そのたびに鳴る音は周囲のタイピング音よりも小さく、微かに立つ木の匂いは五智にしか届かない。

 小綺麗な格好でPCにかじりつく人や、スマホの向こうへ丁寧な口調でしゃべる人の傍らで五智は毎日のように木を削っていた。一人木くずにまみれていた。

 明らかに異質なそれを気にする従業員はいない。話しかけてくることめったにない。

 たまに休憩がてら誰かが寄ってくる。紙コップ片手に、おそらくコーヒーが入ったそれを口に運びながら五智の手元をのんびりと眺め、デスクや背後の棚に並んだ完成品をしげしげと観察している。五智は特に反応することなく手元に集中していた。

 五智にとっては『そういうもの』であり、やはりほかの従業員にとっても五智は『そういうもの』であった。明らかに異質なのに、皆がその状況を受け入れ、気づけば誰も疑問に思っていない。

 五智に話しかけてくるのは精々社長の巡宗佑くらいのものである。彼をここに誘致した張本人だ。オフィスにいない日も多い。


 今日は珍しくオフィス全体が緊迫していた。どうにも落ち着きなく忙しない。始業時間の五分前にもかかわらず既に半分以上の従業員がそろってバタバタと働いている。

 五智は気にせず、相変わらず不釣り合いなジーンズ姿のまま出勤早々ブルーシートの上に座った。スウェットの袖をまくり、床に置いたままの木材と彫刻刀を手に取る。仮に仕事が火急だったとしても、五智にできることはなにもない。電話すら取ったことがないのだ。ビジネスメールの一通も送ったことがないし、社内で使っているチャットツールはアカウントすら存在しない。

 一刀目を入れようとしたところで名を呼ばれた。頭上から降ってきた声は間違いなく社長の、巡宗佑のものであった。

 顔を上げると見慣れた男の隣にもう一人、緊張した面持ちの女が立っている。真っ黒なスーツに飾り気のないシャツとパンプス。就活用に買ったスーツをそのまま着てきました、と言わんばかりの見た目である。こいつはやっかいだな、と五智は反射的に眉をひそめた。

「今日ね、うちの会社めちゃくちゃ忙しいんですよ」

「なんも手伝えねえぞ」

「分かってますよ。ちょっと一日、新人の面倒を見てほしいんです。相手できる人が一人もいないんですよ。入社早々丸一日放置じゃ可哀想でしょう?」

 巡は人当たりのいい笑みを浮かべているつもりらしい。五智の眉間のしわはさらに深くなる。思惑も魂胆も丸見えであり、なおかつ巡はそれを隠そうとしない。他人を慮る感情が欠落しているのだ。巡のそういった部分が、五智は嫌いであった。

「デッサンでも彫刻でもなんでもいいです。とりあえず適当になんかさせといてください」

 じゃ、頼みましたよ、と女性をおいて去って行く。納得がいかずその背をにらみ続けている五智へ、立ったままの女が辿々しくも挨拶をした。

「あの、今日から入社した永旗です。よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる様子を尻目に五智は立ち上がった。同時に「五智だ」と改めて名乗る。彼女が頭を上げると同時に五智は小さいな、と思った。永旗が履いているパンプスのヒールを加味しても、五智より三十センチ以上は小さい。

 五智はデスクの前からキャスター椅子を引いて「座れ」と差し出した。永旗は丁寧に「失礼します」などとつぶやいている。デスクの下の引き出しからクロッキー帳と鉛筆数本を取り出してそれも渡した。

「なんか適当に描いとけ」

「は、はい」

 永旗はうなずいてこそいるが戸惑っているらしく、キョロキョロと周囲を眺めてから、おずおずとクロッキー帳を開いた。五智は改めて床に座り直し、木片を手に取る。同時に巡への怒りがまた湧き出してくる。あいつが何をさせたいのかは分かっている。それにしても、事前に一言くれてもよかったのではないか。彫刻刀を右手に持ったまま五智はじっとしていた。今の心境で刃を入れたくなかった。

「あの、これは……。五智さんがしているのは、どういう仕事なんですか」

 一通り周囲の観察が終わったらしい。新人の質問に五智は「仕事じゃねえ」と呟いた。

「形式上は社員だが、別にこの会社の仕事をするために雇われてるわけじゃねえよ。いわばあいつは、巡はパトロンだ」

「なるほど」

 一応納得はしたらしい。永旗は一度うなずいて、手元のクロッキー帳をパラパラとめくっている。五智の使いかけだが、何を描いたかはあまり覚えていない。

「私、芸術はさっぱりなんです。五智さんはやっぱり子供のころからやってるんですか?」

「いや、大学からだ。美術サークルに入ったつもりだった」

「つもり?」

「なかったんだよ美術サークルなんか」

 結局しゃべるしかないのだろう。それが社長のお望みだ。五智の背後を、誰かが駆けて出て行く。五智は改めて彫刻刀を握りなおした。一刀目を入れながら、淡々と昔話を語ることにした。

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