第1話:パーティー会場にて
「……」
若い女性が秋田県秋田市の繫華街のはずれにある小さな居酒屋に入る。二十人も客が入れば一杯になるような規模の店だ。
「いらっしゃい……カウンター席にどうぞ」
愛想があまり良いとは言えない、細身で長身の中年男性――この店の店主、いわゆるおやじらしい――がややぶっきらぼうな物言いで、女性をカウンターに促す。
「………」
女性は横並びで盛り上がっている――近所の常連客であろうか――三人の老年と中年の男女、さらに座敷で馬鹿笑いをしている四人組の若い男から距離を取るように座る。
「……何にしましょう」
「……とりあえず生、中ジョッキで。後は……焼き鳥お任せで」
若い女性がメニューを眺めながら生ビールと焼き鳥セットを注文する。
「はいよ」
店主が手際よく作業に移る。女性はそれをただぼんやりと眺める。
「…………」
「……生一丁」
店主がジョッキを女性の前にドンと置く。女性は頷く。
「はい……」
「……はい、焼き鳥セットね」
やや間を置いて、店主が種類の異なる焼き鳥を五本並べた横に長い皿を女性の前に置く。
「……どうも」
女性が小さい声を出して会釈する。
「ごゆっくり……」
女性は中ジョッキになみなみと注がれたビールを半分ほど飲み、焼き鳥を食べる。
「……すみまぜん」
店を訪れてからしばらくして、女性は店主に声をかける。
「はいよ……」
店主は女性の前に立つ。女性は意を決した表情で声を潜めながら話す。
「……裏メニューをお願いしたいんですけど……」
「……」
店主が無言でその先を促してくるようだったので、女性は品目を告げる。
「『きりたんぽ的なミネストローネ』を……」
女性はどこか恥ずかしげに告げる。それも無理もない。いくら裏メニューと言っても、珍妙過ぎる品だ。すっかり酔いがまわっている周りの客に聞かれでもしたら、良い笑いの種を提供してしまうことになる。
「………」
店主は無言で女性の前から離れる。
「あ、あの……あっ……えっ⁉」
怒らせてしまったか、店主に謝罪しようと思った女性のスマホが鳴る。女性はスマホを確認して驚く。そこにはショートメッセージでこう入っていたからだ。
(用件を聞きましょう)
「……⁉」
女性は店の中をキョロキョロとする。離れたカウンターに常連客、座敷に若い男性グループしかいないはずだ。そこに再びショートメッセージが入る。
(キョロキョロしないで。スマホだけを見て。従えないなら、残念ながらこの話はナシです)
「……!」
メッセージを見た女性は固まって、前を向き、スマホに視線を落とす。メッセージは続く。
(結構です)
女性はメッセージに返信する。
(どうやってこの番号を?)
(質問するのはこちら。あなたはただ訊かれたことに正直に答えれば良い)
「……‼」
女性が一段と緊張した表情になる。
(ここに来たということは……そういうことと受け取ってよろしいのですね?)
(はい)
(ではいくつか質問をさせていただきます……よろしいですか?)
(はい)
(あなたの氏名は佐藤涼子さん。住所は東京都〇〇区△△△△△……電話番号は〇〇〇―△△△△―□□□□……職種は会社の受付、趣味はおしゃれなカフェめぐり、家族構成は猫ちゃんを二匹飼っていますね?)
(はい)
女性は震える指をなんとか操って返信する。どうやってここまで調べ上げたのだろうか。
(標的は? 合わせて動機もお願いします)
「………‼」
女性はさらに震える指を抑えながら時間をかけて返信する。しばらくして返事がくる。
(100万円、即金でお支払い出来ますか?)
(はい)
(ご依頼、引き受けましょう。余計なことは詮索せず、会計を済ませてお帰りください)
女性は店を出る。その翌日……。
「こまち〇号、まもなく出発いたします……」
秋田駅のホームから東京行きの新幹線に颯爽と乗り込む、黒髪美人の姿があった。
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「まもなく、終点、東京です……お降りの際は足元にご注意ください……」
アナウンスが流れ、黒髪美人が東京駅のホームに降り立つ。
「……」
その美貌に、抜群のスタイル、さらに真っ赤なドレス姿は、混雑を極める東京駅のホームでも、衆目を大いに集めたが、その美人は重そうな黒いケースを担ぎ、ハイヒールをカツカツと鳴らしながら、ホームを足早に抜ける。
「………」
美人は東京駅を出ると、丸の内に林立するビル街へと向かう。東京は既にすっかり暗くなっていたが、迷うことなく美人はあるビルに入る。エレベーターに乗った美人は十階で降りる。そして、ホテルマンたちが立っている場所に向かう。
「あ!」
ホテルマンの一人が美人を見つける。
「…………」
美人は軽く会釈をする。
「代理の方ですね?」
「……」
美人は首を縦に振る。
「間に合って良かった! 控室はこちらです」
ホテルマンが美人を案内する。
「………」
美人はホテルマンの案内で控室に入る。控室にはタキシード姿の男性二人と、ドレス姿の女性が一人いた。
「おっ、君が代理の方かい?」
「……」
二人いる男性のやや年配の方が、美人に問いかけ、美人は頷く。
「よく間に合ったものだ……」
「斎藤さんが急遽来られないって聞いたときはどうなることかと思ったんですが……」
男性の若い方がほっとした様子で胸を撫で下ろす。
「しかし、よく手配出来たな」
「本当ですね」
「それにしても……君は見ない顔だな。都内近郊で活動しているヴァイオリニストなら大体知っている顔なんだが……」
「……」
「地方から来たのか?」
「………」
「黙っていちゃ分からんだろう」
「…………」
美人は胸元を抑える。
「急いできて下さったのよ。ドレスで走ってきたのでしょう。息切れしちゃったんじゃない? さあさあ、水でも飲んで」
穏やかな雰囲気の女性が助け舟を出す。
「……」
美人は軽く頭を下げる。それからやや間を置いて……。
「失礼します……そろそろスタンバイをお願いします」
ホテルマンが控室に入ってきて声をかける。 年配の男性が後頭部をポリポリと掻く。
「……一度くらい合わせる時間が欲しかったが……」
「パーティー開始を僕らの都合で遅らせるわけにはいかないでしょう」
「それもそうだな……君、曲目は聴いているか?」
「……」
美人は頷き、持っていた黒いケースからヴァイオリンを取り出して、チューニングを確認する。手慣れた手つきである。
「ふむ……」
「まあ、間違いないでしょう」
「期待して大丈夫だと思うわ」
男性二人と女性は美人の様子を見て、頷き合う。
「失礼します……それでは、お願いします」
ホテルマンが再度控室に入ってきて、男性らを促す。
「よし、行くか」
「………」
男性たちがステージに向かう。美人もヴァイオリンを持って、それに続く。
「さて……」
それぞれの位置につき、年配の男性が目配せをする。若い男性と女性が頷く。
「……」
女性もヴァイオリンを構え、目で合図する。
「……~~♪」
男性たちが演奏を始める。ステージの前ではスーツやドレス姿の男女が立食パーティーを楽しんでいる。男性たちはこのパーティーを盛り上げる演奏隊だ。
「……」
美人も素晴らしい演奏を見せる。年配の男性が目を丸くする。
「~~♪ ……」
演奏を小休止し、男性たちが控室に戻る。
「君、素晴らしいじゃないか!」
年配の男性が美人に興奮気味に話しかける。
「………」
美人が恭しく頭を下げる。
「小休止を挟んで、また我々の出番だ、その調子で頼むよ」
「……」
美人は頷くと、ヴァイオリンをケースに戻し、ケースを持って一旦控室から出ようとする。
「どこに行くんだ?」
「野暮なことを聞かないの」
「あ、ああ、失礼……」
女性にたしなめられ、年配の男性は申し訳なさそうにする。美人は足早に近くのトイレに向かい、個室に入る。
「………」
個室の上にある取り外し出来る屋根を外し、その中にするっと入る。わずか数分で、美人はビルの屋上までにたどり着く。
「……」
女性は双眼鏡を取り出し、ビルの屋上から数ブロック離れた高級ホテルの窓を見る。そこには女性と行為に及んでいる中年男性の姿があった。
「………」
美人はケースを置いて開く。ヴァイオリンを枠ごと持ち上げる。その下には、ライフル銃が入っていた。女性はライフル銃を取り出し、ホテルに向けて構える。
「!」
美人は躊躇なくライフルを発砲する。放たれた弾丸は中年男性の眉間を鋭く射抜いた。それを確認した美人は居酒屋での女性とのメッセージのやり取りを思い出す。
(あの男、奥さんと別れると嘘をついて、私が妊娠して、生むというと、暴漢を雇って私を襲わせて……生まれてくるはずだった子供の無念を晴らして欲しい……!)
美人は電話をかける。居酒屋の店主が出る。
「もう済んだか、さすがに速いな……」
「……」
「どうした?」
「東京ってところはしったげたげビルばっかで高所恐怖症気味のわだすには厳しぇ、やっぱし今回ぎりにするべ……」
「そういうな、お前の噂はもう日本全国に広まっている。都会の依頼の方が、金払いが断然良い。今後もよろしく頼むぞ、コードネーム『イェーガー』……」
「そう言われでもな……」
イェーガーと呼ばれた美人は電話を切り、パーティー会場に何食わぬ顔で戻る。
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