35:査定不能令嬢の暴走
ユウマ・カサギが内部調査局に連行されてから、クラリス・ヴァンルートは、針の筵に座っているような日々を過ごしていた。ヴァンルート邸は依然として警備当局の監視下に置かれ、彼女自身も外出を厳しく制限されていた。何よりも、ユウマとの連絡が一切遮断されていることが、彼女の心を締め付けていた。面会を求めても、冷徹な返答が返ってくるばかりだ。「ユウマ・カサギ査定官は、現在、内部調査中です。面会は一切許可されません」。
その言葉を聞くたびに、クラリスの胸には、ユウマへの深い不安と、自分への不甲斐なさが募る。彼は、自分を救うために全てを賭けてくれた。なのに、今、窮地に陥っている彼を、自分はただ見守ることしかできないのか?
クラリスの脳裏に、ユウマの言葉が蘇る。「クラリス・ヴァンルート。貴女の『感情』が、この社会の『信用』を揺るがす」。そして、彼女自身が言った言葉も。「貴女が言う『信用』は、ただの数字に過ぎない! 人間の真の『信用』は、感情の中にこそある!」。
(私は、ただ待っているだけではいけない。彼が私に託してくれた『信用』を、私が活かさなくてどうする?)
クラリスの心の中で、何かが弾けた。彼女は、長年「悪女」を演じてきた中で培った、大胆不敵さと、この社会の裏を知る知識を、今こそ使うべきだと直感した。彼女は、もはや「査定される」側ではない。自らが「査定不能」であるがゆえに、既存の基準を揺さぶることができるのだ。
「セバスチャン! 外出の準備をしてください!」
クラリスは、書斎にこもりきりだった自分を奮い立たせるように、大声で執事を呼んだ。
セバスチャンは、驚いた顔でクラリスを見た。
「お嬢様? どちらへ?」
「帝都第一中央銀行よ」
クラリスの瞳は、強い光を宿していた。その光は、かつての「悪女」としての冷酷さとは異なり、真実を求める、揺るぎない決意に満ちていた。
セバスチャンは、一瞬ためらったが、クラリスのその目に宿る「覚悟」を読み取り、静かに頷いた。
帝都第一中央銀行の本部は、マリナ・フロセミドの逮捕と、信用スコアシステムの混乱で、依然として騒然としていた。警備は厳重になり、内部調査局の人間が、慌ただしく行き交っている。そんな中、クラリス・ヴァンルートは、ヴァンルート家の古い馬車に乗り、堂々と銀行本部の正面玄関に乗りつけた。
警備員たちが、クラリスの姿を認めると、一斉に警戒態勢に入った。
「クラリス・ヴァンルート氏! ここへは、いかなる用件でも立ち入りを禁止されています!」
警備責任者が、強張った顔でクラリスの行く手を阻んだ。彼は、クラリスが「悪女」として帝都中に知れ渡っていること、そして、今回の騒動の「共犯者」として疑われていることを知っていた。
クラリスは、警備責任者を冷たく見据えた。
「私には、ここへ立ち入る権利があるわ。私は、ヴァンルート家の当主として、貴方たちの銀行によって破綻させられた被害者よ。そして、私の弁護士が、銀行の幹部会議への参加を要求しているわ」
クラリスの声は、静かだったが、その中に込められた威圧感は、警備員たちを圧倒した。彼女は、既に「悪女」としての仮面を捨てていたが、その中に秘められたカリスマ性は、健在だった。
警備責任者は、困惑したように上司に連絡を取った。しばらくすると、帝都第一中央銀行の幹部の一人が、慌てた様子で現れた。彼は、この状況を早く収拾したいと考えていた。
「クラリス・ヴァンルート氏。これは一体、どういうおつもりですか?」
幹部は、不機嫌そうな声で尋ねた。
クラリスは、臆することなく、幹部の顔を見据えた。
「ユウマ・カサギ査定官の拘束の理由を明確にしなさい。そして、私との面会を許可しなさい。さもなくば、私はここから一歩も動かないわ」
クラリスの言葉に、幹部は顔をしかめた。彼は、この「悪女」が、これほどまでに大胆な行動に出るとは予想していなかったのだ。
「貴方は、現在、内部調査の対象者です。面会など、許可できるはずがない!」
幹部は、声を荒げた。
クラリスは、ふっと冷笑を浮かべた。
「そう。私が『査定不能』な存在だから、面会も許されない。私の存在が、貴方たちの『信用』を揺るがすから、排除しようとしているのね」
彼女は、そう言って、警備員たちの間を縫うようにして、銀行のロビーへと足を踏み入れた。警備員たちは、彼女の気迫に押され、思わず道を空けてしまった。
幹部は、慌ててクラリスの後を追った。
「待ちなさい! クラリス・ヴァンルート氏!」
クラリスは、幹部の言葉を無視し、そのままエレベーターへと向かった。彼女は、この銀行の構造を熟知していた。マリナ・フロセミドが逮捕された今、銀行の幹部会議は、おそらく最上階の特別会議室で行われているはずだ。
最上階のエレベーターの扉が開くと、そこには、まさに緊急の幹部会議が開催されている、緊迫した会議室が広がっていた。帝都第一中央銀行の重役たちが、蒼白な顔でテーブルを囲んでいる。彼らは、マリナの逮捕と、帝都の混乱によって、どうすることもできない状況に陥っていた。
クラリスは、その会議室へと、堂々と足を踏み入れた。彼女の姿を認めた重役たちは、一斉に息を呑んだ。彼らにとって、クラリスは「悪女」であり、そして、銀行の破綻の原因を作った「危険人物」だった。
「ごきげんよう、皆様。お邪魔しましたかしら?」
クラリスは、冷笑を浮かべながら、会議室の中央へと進んだ。彼女のプラチナブロンドの髪が、部屋の光を反射して輝いている。
「クラリス・ヴァンルート氏! ここは貴方が来る場所ではない!」
銀行総裁が、怒鳴るように言った。彼の顔は、怒りと焦りで歪んでいる。
クラリスは、総裁の言葉に怯むことなく、会議室のテーブルを指差した。
「私が査定される資格がないと? ならば、私が査定基準を壊しましょう」
クラリスの声は、静かだったが、その中に込められた意味は、会議室の空気を震わせるかのようだった。彼女は、そう言って、テーブルの上にあった分厚い会議資料を、一瞬にして床に叩き落とした。
ガシャーン!という大きな音と共に、資料が床に散乱する。重役たちは、その光景に呆然とした。
「貴方たちの『信用』は、もう既に壊れているのよ。貴方たちが信じてきた数字だけの『信用』は、マリナ・フロセミドによって汚され、私によって暴かれた」
クラリスは、そう言って、空いた椅子に堂々と座った。彼女の瞳は、会議室の重役たち一人一人を、冷徹に見据えている。
「私に査定される資格がないのなら、私を排除することはできないわ。なぜなら、私は貴方たちの『信用』の外側にいる存在だから」
クラリスの言葉は、帝都第一中央銀行の重役たちの心を深く突き刺した。彼女は、自らの「査定不能」という状況を逆手に取り、彼らが最も恐れる「不確定要素」として、彼らの秩序を揺さぶっていたのだ。
会議室は、静寂に包まれた。重役たちは、クラリスのその圧倒的な存在感に、言葉を失っていた。彼らは、この「査定不能令嬢」が、彼らが築き上げてきた全てを、根底から破壊しようとしていることを理解した。
クラリスの「暴走」は、帝都第一中央銀行に、新たな混乱の波を呼び起こした。それは、ユウマの拘束に対する、彼女自身の「感情」による、最大級の反撃だった。