23:システムの解析
ヴァンルート邸の隠された地下室は、ユウマ・カサギとクラリス・ヴァンルートにとって、希望と戦いの始まりの場所となった。信用スコア不正操作装置。その存在は、彼らが信じてきた「信用査定社会」の根幹を揺るがすものだった。ユウマは、クラリスの父が遺した手帳を手に、その複雑なシステムを解析し始めた。
「この機械の起動には、特定のパスワードと、認証コードが必要です」
ユウマは、機械の前面にある、複数のダイヤルと入力パネルを指差した。彼の瞳は、既にその構造を完全に理解しているかのように、鋭く輝いていた。
クラリスは、ユウマのそばに寄り添い、その機械を見つめた。
「父は、これの起動方法については何も教えてくれませんでした。ただ、『リズの未来を守るために、いつか必ずこれを使え』とだけ……」
彼女の声は、父への思いと、この装置の持つ重みで震えていた。
ユウマは、手帳のページをめくった。「リズのために」と書かれた手帳の中には、一見すると無意味な数字の羅列や、図形が描かれていた。しかし、彼の頭脳は、それらの情報を「暗号」として捉え、解析を開始した。
「この数列は、銀行の認証システムで使われる、古い暗号化方式のパターンに酷似している。そして、この図形は……リズ様の視力を表す、点字の組み合わせではないか?」
ユウマは、そう言って、クラリスの顔を見上げた。彼の仮説に、クラリスはハッと息を呑んだ。
「リズの……点字?」
クラリスは、自分の妹が使っていた点字の絵本を思い出した。父は、リズの目の不自由さを嘆きながらも、決して希望を捨てなかった。そして、その希望を、この装置のパスワードに込めていたのだとしたら?
ユウマは、慎重にダイヤルを回し、入力パネルに手を置いた。彼の指先が、流れるように数字と記号を打ち込んでいく。クラリスは、固唾を飲んでその様子を見守った。
カチッ、という軽い音と共に、機械の奥から、微かな電子音が響いた。そして、機械の前面に、淡い光が灯り始めた。
「起動した……!」
クラリスは、思わず声を上げた。彼女の瞳には、驚きと、そして希望の光が宿っていた。
ユウマは、機械の操作パネルに表示された情報を読み解いた。そこには、過去の金融取引記録を検索するための、複雑なインターフェースが表示されていた。
「このシステムは、特定の期間における、全ての金融取引を検索し、その中に隠された『不正な操作』を特定することができる。そして、その操作を行った人物、または組織を割り出すことも可能だ」
ユウマは、興奮を抑えきれないかのように、早口で説明した。彼の目は、まるで宝の地図を発見した探検家のように輝いていた。
「まずは、金融大崩壊が起こったとされる時期のデータを入力します。そして、カイから得た情報、つまりマリナ・フロセミドと投資ファンドの関連性を裏付ける、特定の取引記録を探します」
ユウマは、そう言って、機械のキーボードを打ち始めた。彼の指先が、高速で情報を入力していく。クラリスは、ユウマの横に立ち、その作業をじっと見守っていた。彼女の父が、命をかけて遺したこの装置が、今、動き出したのだ。
数分後、機械のディスプレイに、膨大なデータが表示された。それは、金融大崩壊時に行われた、数々の取引記録の羅列だった。その中から、不正な操作の痕跡を探すのは、途方もない作業に思われた。
「こんな膨大なデータの中から、どうやって見つけ出すの?」クラリスは、不安げに尋ねた。
ユウマは、クラリスの父が遺した手帳を再び開いた。手帳の奥には、一見すると意味不明な、複雑な図形と、それに付随する短い文章が書き込まれていた。
「ここに、そのヒントがある。クラリス・ヴァンルートの父は、特定の『操作パターン』を残していた。おそらく、不正な取引が行われた際に、この装置が記録する『痕跡』の特徴を表している」
ユウマは、手帳の図形と、ディスプレイに表示されたデータパターンを照合した。彼の脳内で、複雑な計算が高速で行われていく。
「見つけた……!」
ユウマの声に、クラリスはハッと顔を上げた。ディスプレイに表示された膨大なデータの中から、一つの取引記録が、赤い光を放って点滅していた。
その記録は、金融大崩壊の直前に行われた、巨額の資金移動を示すものだった。取引の主体は、「匿名投資ファンド」。そして、その資金の受け取り先は、複数のダミー会社を経由しており、最終的には、帝都第一中央銀行の特定の部署へと流れていた。
「匿名投資ファンド……そして、帝都第一中央銀行の特定の部署……カイの情報と一致する」
ユウマは、そう言って、ディスプレイに表示された情報を指差した。彼の瞳には、確かな確信が宿っていた。
「そして、この不正な操作を行った者を示す『認証コード』。これは……マリナ・フロセミドの、指紋認証と声紋認証のデータに酷似している」
ユウマの言葉に、クラリスは息を呑んだ。彼女の身体が、微かに震える。父の死、ヴァンルート家の没落。その全てが、マリナ・フロセミドという一人の女性によって引き起こされたのだとしたら。
「これが……父が命をかけて暴こうとした、金融大崩壊の真実……」
クラリスの声は、怒りと、そして深い悲しみに満ちていた。彼女は、長年背負ってきた「悪女」という仮面の裏に隠された、真の敵の姿を、今、目の当たりにしていた。
ユウマは、クラリスの肩にそっと手を置いた。彼の掌から伝わる温かさが、彼女の心を落ち着かせる。
「この不正操作は、特定の企業を意図的に破産させ、その資産を吸い上げるためのものだ。そして、その犠牲となった企業の一つが……ロズウェル貿易」
ユウマの言葉に、クラリスはハッとした。ロズウェル貿易。かつて彼女が「破滅させた」と噂された企業の一つだ。しかし、真実は、彼女が彼らを破滅させたのではなく、マリナ・フロセミドが仕組んだ不正によって、彼らが犠牲になったのだ。
「そして、エベール子爵家のアルノー。彼にかけられた巨額の債務も、この投資ファンドが仕組んだ罠だった可能性が高い。クラリス・ヴァンルート。貴女の『悪女』としての悪評は、全て、彼らが真実を隠蔽するための『煙幕』だったのだ」
ユウマは、クラリスの瞳をまっすぐに見つめた。彼の言葉は、彼女が長年背負ってきた重荷を、ようやく解放するかのようだった。
クラリスの瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。それは、悲しみでも、絶望でもない、深い怒りと、そしてユウマへの感謝が混じり合った涙だった。彼女は、自分の潔白が、ついに証明されるかもしれないという希望を、今、強く感じていた。
「このデータが、全てを証明してくれる。貴女の潔白と、マリナ・フロセミドの真の姿を」
ユウマは、そう言って、機械のディスプレイに表示されたデータを、慎重に記録媒体へと転送し始めた。彼の指先は、確かな使命感に満ちていた。
地下室の暗闇の中、淡い機械の光が、二人の顔を照らす。彼らの前には、この査定社会の深い闇が広がっていたが、彼らは今、その闇を切り裂くための、強力な「武器」を手に入れた。そして、その武器は、彼らの「感情担保融資」によって、駆動されていた。