2.
主人公はこの世界を抜け出した——しかし、何も起こらなかった。
「なぜ……どうして……」
予想していたこととはいえ、いざ直面すると衝撃が押し寄せてきた。だが、それは単なる驚きではなかった。
その裏には、もっと複雑で重い感情が渦巻いていた。
帰れないかもしれないという絶望。
もう二度と元の世界に戻れないかもしれないと思うと、胸がざわめいた。
だが、それだけの問題ではなかった。
俺は死んだ。
確かに死んだはずなのに、それでもなお、この世界に存在し続けている。
「一体どうして死んだんだ……なぜ、そんな決断をしたんだ……?」
後悔が押し寄せる。
俺が選んだ死の理由、そして、それによって滅茶苦茶になった今の状況。
だが、それ以上に胸が締め付けられるのは——
もう二度と、両親に会えないという事実だった。
俺は死んだ。
だから、両親はもう俺に会うことができない。
そして俺も、両親に会うことができない。
「……きっと、俺を探しているんだろうな……」
そう思うと、胸が張り裂けそうになった。
両親は俺がなぜ消えたのかすら知らないはずだ。
それでも、俺のために何でもするだろう。
だが——俺は、帰れない。
もし俺が無機物、ただの予言書のような存在でなければ、きっと涙が止まらなかっただろう。
けれど、今の俺の身体には、涙を流すことすらできなかった。
動くこともできず、感情はただ深い奥底に閉じ込められたままだった。
「……これが、自殺の報いってやつか……」
思わずため息が漏れた。
外はまだ夜明け前、深い夜の時間。
誰かは夢の中をさまよい、誰かは俺のように目覚めて感傷に浸っているかもしれない。
俺は、後者だった。
『……帰ることは、できるのか……?』
頭の中をよぎる疑問。
そうだ、まだ一度試しただけだ。
俺は焦りすぎているのかもしれない。
だが——
小説やアニメを見る限り、異世界に飛ばされた主人公が元の世界に戻れないことの方が多い。
きっと、俺もそうなのだろう。
異世界での生活?
食べて、飲んで、楽しく暮らす?
できるかもしれない。
だが、今の俺の身体は、一歩踏み出すどころか、指一本すら動かせない。
この状態でどうやって生きていけというんだ?
死んだはずなのに、死ぬことすらできない身体になってしまった今——
これ以上の絶望があるだろうか?
今の俺に残されたのは、ただ予言をすることだけだった。
朝が来た。
カーテンの隙間から柔らかい朝日が差し込んできた。
どこかで鳥の鳴き声が聞こえた。
いや、鶏かどうかはわからない。
ただ、そう思うことにした。
大して重要ではないから。
「コケコッコー……って鳴くんだっけ?まあ、そんな感じだよな。」
現実を受け入れようとしながら、俺はできる限り前向きに考えようとした。
その時——
上の階から、優しい声が聞こえてきた。
「あなた、よく眠れた?」
エルフの女性だった。
この家の主のようだ。
「ん……まあな。そろそろ仕事に行くか。」
低くて落ち着いた声の返事。
おそらく彼女の夫だろう。
彼は素早く着替えを済ませた。
ほんの数分で出勤準備完了。
まるで寝坊した会社員の朝みたいだった。
「……異世界でもこういうのは変わらないんだな。」
どうやら、この世界は俺が知っている世界とは違う。
時間の概念も違うかもしれないし、人々の生活様式も違うだろう。
だから、少しくらい違和感があっても気にしないことにした。
外ではすでに人々が動き始めていた。
扉が開き、誰かが中に入ってきた。
そして——
目の前に現れたのは、文字通り「美形の男」だった。
丸い耳、高身長。
通った鼻筋に、エメラルド色の瞳。
そして、貴族風の洗練された衣装。
「……なんだよ、テレビでしか見ない王子様キャラか?」
だが、感心する暇もなく、彼はそのまま扉を閉め、去っていった。
「……ん?なんだったんだ?」
一瞬考えたが、たぶん家を間違えただけだろうと結論付けた。
ここが新米冒険者の泊まる村なら、あんな貴族っぽい男は確かに場違いだ。
時間が過ぎ、エルフの夫は仕事に向かった。
異世界に来てから、ほとんど寝ていなかったせいか——
俺も、いつの間にか眠りに落ちていた。
—
—夢の中で、またあの美形の男の声が聞こえた。
『起きろ。俺を見ろ。俺を——見ろ。』
「……ん?」
目を開けた。
だが、そこに彼はいなかった。
ただの夢だった。
……なのに、なぜだろう。
彼の顔が、なぜか頭から離れなかった。
『—あのイケメンがここに入ってきたのは一体?』
そして、しばらくして彼が再び現れた。
しかし、雰囲気は先程と全く違った。
彼の表情は冷たく、何か良くないことが起こりそうな不穏な空気が漂っていた。
彼が口を開いた。
「ねえ、あんたの金なし旦那なんかじゃなくて、俺と一緒に暮らさない?」
……え?
「嫌です。」
女性はきっぱりと断った。
だが、男は全く引き下がる気配を見せなかった。
「なんで?俺、いい男だぜ。本当にいい男だってば!」
ついに男は怒り始めた。
「……どうしよう……?」
俺はその光景を見守りながら、もどかしい気持ちを抱えていた。
何とかしなくちゃ。
そして——ふと思いついた。
彼は、エルフの旦那が帰ってきた時にすぐに立ち去った。
これを利用できるかもしれない。
『—エルフの旦那が帰ってきたら、どうなるか分かるよね?』
俺は心の中で願いを込めた。
「だから、ダメだってば!」
「俺が悪いわけじゃない!」
声が次第に大きくなり、ついにはドアがバン!と開いた。
エルフの旦那が帰ってきた。
そして——
「……このクソ野郎。」
言葉が終わる間もなく、彼の拳が男の顔に向かって飛んでいった。
「わ……」
鈍い衝撃音と、何かが壊れる音が響いた。
男はそのまま倒れ込み、顔を抱えながら、足元をつかみながらふらつき、最終的にドアの外に逃げ出した。
ドアがバンと閉まると、その存在は消えた。
——だが、家の中に残された緊張感はなかなか収まらなかった。
エルフの旦那は硬い顔で立っていた。
荒い息を吐きながら、まだ拳を解こうとせずにいた。
彼はゆっくりと妻の元へと近づいていった。
「……大丈夫か?」
彼女は小さくうなずいた。
「うん……」
だが、彼女の笑顔はまだ不安と緊張で歪んでいた。
エルフの旦那はしばらく無言で彼女を抱きしめていた。
俺はその光景を見守りながら、複雑な感情がこみ上げてきた。
俺は無力な存在だった。
異世界に落ちてから、俺は何の影響も与えられない、ただの予言書に過ぎなかった。
——だが、さっきの出来事で、俺の一つの願いが状況を変えた。
「まさか……俺、異世界でも無力な存在じゃなかったのか……?」
だが、もし俺がここに来なければ?
あの人たちはこんな危険にさらされることはなかったはずだ。
俺が存在することで、彼らの平穏な生活に不必要な危機が訪れた。
『……それでも、これで良いのか?』
その時、エルフの旦那が低く、しっかりとした声で言った。
「もうあんな奴が来ないようにする。俺が守るから。」
彼の眼差しは揺るぎないものだった。
その瞬間、俺は不快な気持ちがこみ上げてきた。
暴力で何でも解決するのが正しいことなのだろうか?
異世界だって、人間世界と変わりはないのではないか?
果たして、俺の選択は正しかったのだろうか?
時間が流れ、家の中の緊張も少しずつ解けていった。
外では村の人々が一日の仕事を始める音が聞こえてきた。
朝日が依然として温かく広がっており、昨日の混乱した夜がまるで無かったかのように、穏やかな朝が訪れていた。
だが、俺の中の混乱は、全く収まっていなかった。
『この世界で、俺にできることは何だろう?』
俺は、今や予言書としてこの世界に残ることになった。
果たして、俺は単に未来を予言する役割だけを果たすことになるのだろうか?
それとも、俺にも他の選択肢が存在するのだろうか?
もし、俺がただの無生物に過ぎないのなら——
選択肢など無いのかもしれないが——
『……本当に、そうなのだろうか?』