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海をめざして

作者: 若葉 美咲

 初めて男の子の手を借りずに外に出た。

 自分たちの力だけで飛び出した世界は新しくて楽しくて。

 見るものすべてが輝いていて素晴らしいものに見えた。

 世界がこれ以上ないほどきらめいているように思えた。

 初めて見る景色に少し誇らしい気持ちになった。

 それなのに、何でだろう。

 さびしく思えるのは。

 上を吹き抜けていく風がなんだかひんやりと感じられた。


 少し前まで、ボクらは男の子に連れられて色んな所へ行っていた。

 大きな桜の木の下。

 上のほうがかすんで桃色のきのように見えたを今でもはっきり覚えている。

 大きな川。

 雑草のジャングルを超えた先に期間限定で出来る川で遊んだ。

 男の子がボクの為に作ってくれる川で楽しかった。

 星を眺めに夜中に連れ出されたことだってある。

 そんな風に、男の子とボクと外国生まれのブロック兵士の三人でアチラコチラを探検したのだ。

 ボクはその度に目を輝かせて大はしゃぎした。

 ブロック兵士はそんなボクをいつも温かい目で見てくれている親友だ。

 それなのに。

 ボクら二人は最近窓辺に飾られたままだった。

 ブロックで出来た街並みに溶け込んだままボクらは放置され続けていたのだ。

 何度ボクが呼びかけても、男の子は机に向かったままボクの方を見向きもしなかった。

 なぜだか男の子はボクらと遊ばなくなってしまったし、何処にも連れ出してはくれなかった。

 きっとあの男の子は僕のことを忘れてしまったに違いない。

 そう思う度に胸の奥が詰まったような気がして、悲しくて辛くて苦しかった。

 姿を見るたびに今日こそは遊んでくれるかな、と期待して夜中には絶望して力なく座り込むばかりだった。

 ボクを忘れないで、と叫んでも、ボクの声は届かない。

 ボクは居るかどうかも分からない神様に祈ることしかできなかった。

 男の子がボクを忘れませんように、と。

 どれだけ祈っても男の子はボクを見てくれなかった。

 今日もずっと男の子は机に向かっていた。

 ちらりともボクの方を見てくれなかった。

 理由は分からないけど悲しかった。

 どうやったらまた振り向いてもらえるのだろうか。

 ボクは考える。

 色んなことを必死に考えてみたけど結局どれもうまく行かなかった。

 実現できない夢物語だったり、失敗したり。

 ボクはだんだん自信を失っていった。

 遊んでもらえないおもちゃに価値なんてあるのだろうか。

 いや、無い。

 つまりボクは役立たずで存在価値なんて無いのだ。

 そう思うと胸が詰まった。

 息苦しくてどうしようもない。

 日に日にボクは元気を失くしていった。

 気のせいか少し色あせた気もする。

 そんなボクを気にしてくれたのが外国生まれのブロック兵士だった。

 ボクのブロック仲間の中では相棒と呼べるのは彼だけだった。

 彼はボクを元気つけるために不思議な話を次々と語ってくれた。

 その中でボクの興味を一番引いたのは海の話だった。

 川や湖なんてものとはまるで違うらしい。

 それよりもっと多くの水が集まっている場所。

 ずっと先まで続く水を見つめていると空と一つになるらしい。

 そして何処までも続く青くすんだ水と白波。

 サラサラの砂浜。

 眩しいぐらいに高く澄んだ空。

 見たこともない生き物の話。

 小さな貝殻が落ちていてきれいなことなども教えてくれた。

 ボクは話を聞きながら思った。

 ボクが居なくなっても男の子は気が付かないだろう。

 こんなに放置しているんだ。

 どうせわかりやしない。

 ならば、ボクは海へ行こう。

 そしてきっと素敵なお土産を拾ってこよう。

 男の子の疲れが癒えるように。

 そしたらきっと男の子はまたボクと遊んでくれるかもしれない。

 ボクは決めた。


 今決めた。

 ボクは海に行くのだ。

 ボク一人で。


 自分の力だけで海を目指そう。

 海の話はそのくらいボクを奮い立たせてくれるものだった。

 今度こそきっと上手くいく。何故かそう思えた。

 すくり、と立ち上がる。

「待て! 行ってはいけない。君が居なくなったらこの世界は崩壊する!!」

 穏やかに話していたはずの外国生まれのブロック兵士が叫んだ。

 いきなり何を言っているのやら。

 ボクが居なくなっても関係ないじゃないか。

 ボク一人が居なくてもこの世界は変わらずにあり続ける。

 だって、男の子はボクの方をちっとも見ないじゃないか。

 それに男の子はきっと気がつかない。

 だから世界は終わらない。

 大丈夫なのだ。

 ブロック兵士に背を向ける。

 必死になって彼は叫んだ。

「お前も! お前も捨てられるぞ!!」

 その言葉は鈍く心に刺さった。

 何を今更。

 だって、とっくにボクは捨てられている。

 こんなに放って置かれているんだもの。

 だったら何をしてもいいじゃないか。

 泣きたいのに表情一つ変えることすら出来ない。

 こんなボクでは捨てられて当然というものではないだろうか。

 人間のようであってまるで違う。

 それが僕達である。

 自分は何のために意識を持ったのか。

 もし、それが人間に、男の子を喜ばすためだったのなら────。

 そのままボクは歩き出した。

 ブロック兵士はもう、何も言わなかった。

 ボクも何も言わなかった。

 言うことがなかった。

 ブロックで出来た街の端を目指して行く。

「ねえ、止めときなさいよ」

「何処へ行くんだい? ここを出たら危ないよ」

 途中、ブロックで出来た花やブロック塀が話しかけてくる。

 ボクに行くなって引き留めようと。

 でも、ボクの目にはちっとも魅力的な話に見えなかった。

 ボクは海に行くのだ。

 この決意は誰にも変えられないボクだけの思いであり、願いだ。

 ボクのためにも男の子の為にも変えてはいけない。

 だから海を自分の力で見に行くんだ。

 

 見に行って、それで……。


 ボクは固い決意を胸に歩き出した。

 ただひたすら、海を目指して。

 街の端までやって来てボクは立ち止まった。

 一人で行かなければならない。

 その事実に少しだけ怖さを感じた。

 此処から先、誰も居ないのだ。

 何かあっても助けてくれる人は居ない。

 興味と不安。

 期待と怖さ。

 夢と現実。

 全てが混ざり、足が震えた。

 それでもボクは海へ行く。

 そしてきっと男の子に幸せを届けるのだ。拳を握りしめる。

「待てよ」

 突然肩を叩かれた。

 心臓が止まるほど驚いた。

 後ろを振り向けばそこにはあの外国生まれのブロック兵士がいた。

「な、何?」

 驚きつつも声を絞り出せば、ブロック兵士はにやりと笑った。

「俺も行く。お前ひとりじゃ不安だからな」

 それは頼もしい言葉で。

 さっきボクを引き留めてきたことなどどうでもよくなる。

 一人になって冷え切っていた心が少しだけ温まるのを感じた。

「ありがとう」

 そうしてボクらはブロックの街を抜け出した。

 満月の覗く夜だった。


 差し込む月光を頼りに机の端まで歩いて行く。

 そっと下を覗けば、かなりの高さだ。

 思わず足がすくむ。

 下に落ちたら傷がついてしまう。

 下手すると砕け散ってぼろぼろになってしまうかもしれない。

「ここから降りることは出来ないな」

 ブロック兵士がつぶやいた言葉に賛同するようにボクは頷いた。

「でもどうやって降りるの?」

 不安になって尋ねればブロック兵士はちょっとだけ苦笑いをこぼした。

「それは今から考える。使えそうなものがあったら言ってくれ」

 ブロック兵士はさっとあたりを見始めた。

 ボクもこうしてはいられない。

 使えそうなものなんだったら何でもいい。

 下に降りれなければ始まらない。

 ボクは懸命に探し始めた。

 定規も消しゴムも鉛筆も机の高さには敵わない。

 どうしたらいいのか、先が詰まりかけた時だった。

 それが目に入ったのは。

「ねえ、君。あれなんてどうかな?」

 ボクの声に反応してブロック兵士に声をかける。

 ブロック兵士は振り向いてボクが指さしているものをみて微笑んだ。

「いいもん見つけたな。カーテンとは中々いいじゃねえか」

 ブロック兵士と共に机の脇にあるカーテンまで近づいていく。

 白いカーテンはボクらを誘うように揺れていた。

 ふわふわと夜風に揺れるカーテンは長く、床まで続いているように見えた。

「ここからなら降りれるな」

 ブロック兵士が確認して頷いてくれる。

 やっと下に降りれる手段を見つけることが出来て嬉しかった。

 が、すぐに現実に引き戻される。

 この高さから自力で降りなければならないのだ。

 めまいがするほどの高さだ。足が震えた。

 そうこうしている間にブロック兵士が先に進んでいた。

 ボクが言い出したことだから付き合ってくれてるのに、ボクがおびえて先に進めないなんて話にならない。

 ボクは覚悟を決めるとカーテンに手を伸ばした。

「下を見るなよ、目がくらむ」

 ブロック兵士が緊張した声で声をかけてくる。

 返事をする余裕もないのでひたすら言われたことにだけ注意して降りていく。

 白い網目のカーテンはザラザラしていて足がかりがある。

 滑り落ちることはないはずだ。

 慎重に下りていけば大丈夫だろう。

 必死に自分に言い聞かせる。

 早くなる呼吸を落ち着かせるために深呼吸をする。

 揺れるカーテンにしがみつき、丁寧に降りていく。

 予想以上に揺れる。

 風が吹く度にボクは必死の思いでカーテンにしがみついた。

 怖さで足がすくみかけた。

 おまけに微妙にほつれているので手が引っかかった。

 その度に嫌な汗が背中を伝っていいるような気がした。

 ブロックのような凸凹がないため足場も殆どなかった。

 思った以上に困難を極めた。

「大丈夫か?」

 ブロック兵士が声をかけてくれる。

 少し慣れてきた油断もあった。

 頷く。

 風のせいでカーテンが揺れる。

 ボクは必死になってカーテンへしがみついた。

 風が通り過ぎて揺れも収まった。

 ほっと息をついて肩から力を抜いた。

 その時だった。

 足が滑った。

 落ちる──悲鳴すら出ない。

 軽い浮遊感を感じて足が宙を蹴った。

 何かを思うことすら出来ない。

 すごい勢いで床が近づいてくるのが見えた。

 それなのに全ての光景がゆっくりな気がした。

 床の模様がやけに鮮明に見えた。

 ブロック兵士がボクに向かって叫んでいたのがどこか遠くで聞こえた。

 ボクはカッコ悪くも気を失った。


「おい、おいっ! しっかりしろっ!!」

 ブロック兵士がボクを一生けんめいに呼んでいてくれる声で目が覚めた。

 ボクはどうなったのだろうか。

 砕け散ってしまったのだろうか。

 ぼんやりした頭で今の状態を確認する。

 ボクはカーテンの下の方に引っかかっていた。

 風で揺れるーカーテンに合わせて体が不安定に揺れる。

 ぼんやりした頭で何が起きたのかを考える。

 少しずつ思い出してきた。

 そして自分が足を滑らせたのだということをはっきり思い出して意識が覚醒した。

 どうしてまだ生きているのかと改めて自分が置かれている状況を確認し始めた。

 解れた糸が手に絡まっていたのだ。

 お陰でボクは床に叩きつけられることはなく、命拾いしたのだ。

「大丈夫か、顔色が良くないぞ?」

 ブロック兵士が顔を近づけてきた。

 ボクは何度もうなずいた。

 生きているのだ。安心した。

「さあ、床までもう少しだ。来れるな?」

 ブロック兵士に促されて床を見れば床はだいぶ近くに見えた。

 解れた糸を慎重に解いて、床に飛び降りた。

 机で見たときより床が近く見えたので衝動的に取った行動だった。

 カーテンから早く離れたいという気持ちもあった。

 しかし、考えていたよりも高さがあったらしい。

 足がかかとの方からジーンと痺れた。

 思わず呻いてしばらくつるつるした床の上でひざを抱えて転がりまわった。

 流石にかっこ悪くて泣くに泣けない。

「おいおい、大丈夫か、お前?」

 慌てて感じでブロック兵士がボクの傍に駆け寄ってくる。

 とても答えられる感じではないので、涙目になりながらもコクコクと頷いておいておいた。

「全くハラハラさせやがって」

 ブロック兵士がため息を吐き出した。

 言い訳できるものではないので受け取っておく。

 申し訳なさしか案じられない。

 やがてボクは立ち上がった。

 何か大きな影が月明りを遮ったからである。

 一瞬だけ男の子の顔が脳裏を過ぎった。

 振り向いて、ボクは言葉を失った。

 闇夜に光る鋭い金色の瞳。

 山のような巨体。

 月光にきらめく毛並み。

 どっしりとした四肢には鋭い爪が見えている。

 大蛇のような尻尾が揺れる。

 そして低い声でニャアと鳴いている。

 全身が泡立った。

 男の子の飼っている猫だ。

 悪戯っ子で夜中のほうが元気な猫。

 ボクはこいつが苦手だった。

 いや、今もボクはこいつが嫌いだ。

 しかも、ただ嫌いなわけではない。

 『大』が付くほど嫌いなやつなのだ。

「こ、こいつは……」

 ブロック兵士が言葉を詰まらせた。

「猫だよ。こいつはボクらを食べようとするんだよ」

 震える声でボクが教える。

 そう、こいつはボクを食べようと襲い掛かってくるのだ。

 何故なのかは分からない。

 だけどきっと食べ物かなにかと勘違いしているのだろう。

 ボクを見つける度に襲い掛かってくる。


 まだ、男の子が遊んでいてくれた頃、ボクはこの猫の口の中に入れられたことがある。

 臭い闇と体にまとわりつくようなドロドロのよだれ。

 気持ち悪さと真っ暗な怖さにボクは死を覚悟した。

 ここで終わるのだと。

 男の子ともっと遊びたかった、と。

 だけど終わらなかった。

 男の子がボクを助けに来てくれたのだ。

 この猫の口を両手でこじ開けてくれたのだ。

 右手を猫の口に突っ込んで丁寧にボクをとりだしてくれた。

 ボクが飲み込まれてないと分かった時の男の子の顔はそれはそれは嬉しそうで。

 宝物を見つけた時のように輝いていた。

 ボクはそれが嬉しかった。

 男の子が見捨てずにボクを助けに来てくれたことも、嬉しそうにしてくれたことも。

 ボクを助け出した後、男の子はボクを泡で丁寧に洗ってくれた。

 猫の匂いがしなくなるまで何度も丁寧に洗い流してくれた。

 心配してくれた。

 傷がついてないこと確認すると何度もボクに笑いかけてきてくれたのだ。

 そのことが懐かしい。

 でも、そんな思い出がるからと言って猫を好きになれるわけがない。

 こいつは隙きがあればボクを食べようとしてくるのだ。


 ボクが思い出に浸っているといきなりブロック兵士に蹴飛ばされた。

 床に転がった。

「いきなり何するんだよ?」

 思わずどなる。

「言ってる場合か!? 逃げるぞ!!」

 痛むこしをさすりながら言えばブロック兵士はめずらしく声を荒げた。

 言っている意味がよく分からずボクはブロック兵士が見ている方向に目を向けてしまった。

 そして見なければ良かったとすぐに後悔した。

 猫の大口が目の前に迫っていた。

 猫の喉奥まで見えてゾッとした。

 さらにその奥には果てのない暗闇が覗く。

 ぎりぎりのところで転がって避けようとした。

 咄嗟に身を横に投げる。

 口に入るのは回避したものの、猫の後ろ足がボクの体を中に蹴り上げた。

 しまったと思ったときにはもう遅い。

 すごい速さで宙に浮かぶ。

 ほうぶつせんを描き、落ちてゆく。

 だめだと思ったしゅんかん、床に叩きつけられる。

 足のパーツと胴体のパーツが分かれてしまった。

 猫が戻ってくる前に戻さなければならない。

 間に合わなければ死んでしまう。

 焦りだけが体の中をこがしていく。

 これは不味い。

「急げ!!」

 ブロック兵士が近づいてきて手助けしてくれる。

 だけど、どうしても上手くはまらない。

 焦った手ではどうしてもうまくはまらないのだ。

 猫がどんどん近づいてくる。

 早くしないと早くしないと早くしないと早くしないと……喰われてしまう。

 恐怖が体を縛る。

 それでも助けに来てくれる人など居ない。

 男の子の顔が浮かんでは消えて、消えては浮かんできた。

 こんな時に何を思い出しているんだ、と自分に対して怒りを覚える。

 このままはまらなければブロック兵士まで巻き込むことになるのだ。

 ボクは必死になって体を付け直し走り出した。

 ブロック兵士も走りだす。

 ところが。

 ボクは気が付けば後ろに走っていた。

 前に進んでいるつもりなのに。

 ちょっとパニックになりかける。

 どうやら慌てすぎて足のパーツを前後逆につけてしまったらしい。

 思いっきり蛇行して走ってしまう。

 進みたい方向に進めない。

 ボクは当然のように驚いた。

 驚いたが、面食らったのはボクだけだはなかった。

 猫も驚いたように飛び跳ねた。

 猫はそのまま、その場から走り去っていく。

「お前、本当に今のは傑作だぞ」

 笑いを堪えながらロック兵士が近づいてくる。

 ボクはそれどころではない。

「猫が戻ってくる前になんとかしないと」

 言いながら体に手を伸ばす。

 気が付いたブロック兵士が近くに寄ってきてくれた。

「そうだったな。よし、任せろ」

 二人の力を合わせてボクの胴体と足を切り離す。

 そして正しい向きにして体を装着させなおした。

 少し落ち着てきたのか流れるように作業が進んだ。

 ちゃんと動くかを確認する。

 猫が諦めてくれることを願う。

 しかし、現実は甘くない。

 何かの物音に振り向けば猫はまだボクを見つめていた。

 夜の暗さの中で光る金色の瞳は不気味だった。

 くぐもった悲鳴が自分の耳に届く。

 情けないことこの上ない。

「しっかりしろ」

 ブロック兵士が声をかけてくれる。

 励ましてくれる。

 それなのにボクの脳裏は嫌な考えばかりが増えていく。

 明るさも何もない。

 もし、あの大口に噛まれたら一溜まりもないだろう。

 あの大きな力強い足で蹴飛ばされたら次はないかもしれない。

 助けを願っても誰も来てくれない。

 嗚呼、ならボクが戦うしか無いんだ。

 ボクは猫と対峙した。

 舌なめずりしながら猫がやってくる。

 怖いなんて生易しいものではない。

 絶対な恐怖。

「自信を持て!! お前はすごい奴なんだから」

 ブロック兵士がボクの肩を揺らす。

 強い力で必死に揺らす。

「お前は海に行くんだろう!?」

 そう言われた瞬間。

 その一瞬だけは猫も恐怖もすべて消え失せた。

 そうだ。

 ボクは海へ行くのだ。

 それでボクは男の子にお土産を持ってくるんだ。

 また遊んでくれるように。

 だから、こんなところで終わるわけにはいかないんだ。

 ボクはブロック兵士の顔を見て頷いた。

 駆けだす。

 猫も追いかけてくる。

 ぎりぎりの攻防が続いた。

 何度も蹴飛ばされたし、転びもした。

 それでも何とか猫の手をすり抜け、ブロック兵士と共にティッシュボックスの影に身をかくすことが出来た。

 息が苦しい。

 冷や汗が止まらない。

 必死になって息を整える。

「いいか、このままここに居ても猫に見つかる」

 ブロック兵士が息を切らしながらボクに告げる。

 同意見なので首を縦に振る。

 あの猫は不思議なくらい勘がいい。

 匂いや音に敏感なだけかもしれないが。

「そこで、だ」

 ブロック兵士が指をさす。

 その先には男の子の服がぐしゃぐしゃと散らばっていてた。

 相変わらず片付けが苦手のようだ。

 思わず笑みがこぼれた。

 でもあれが何の意味を成すのか分からず首をかしげる。

 ボクがブロック兵士を見上げるとロボット兵士は笑った。

「あれに隠れろ。俺が猫を何とかする」

 言われたことに頭が追い付かなかった。

 少しずつ意味を理解してくる。

 ブロック兵士が今から何をしようとしているのか、どんな覚悟を決めてしまったのか理解した。

 ブロック兵士が危ない目に合うのは嫌だった。

「そんなの嫌だよ。ボクら二人でいれば何とかできるよ、君が囮にならなくたっていいじゃないか」

 ボクはブロック兵士に縋りついた。

 今にも泣きそうな気持だった。

 心がじくじくと痛む。

 ボクが海に行くなんて勝手な行動して。

 ブロック兵士を危険に巻き込んで。

 ボクのせいだ。

 ボクはどうしたらいいのか、分からない。

 そしたら、温かなブロック兵士の手がボクの頭を撫でた。

「それでも海に行くんだろ? いや、お前は海に行くべきだ」

 ブロック兵士が言う。

 穏やかな口調で。

 ボクはただ目を瞬かせることしかできなかった。

「海ってのは凄い。いろんな悩みを吹き飛ばすぐらい大きいし広い。きっと感動するはずだ」

 ブロック兵士が目を細める。

「でも、僕一人じゃ無理だよ……」

 ボクが弱音を吐くとそれを叱るように拳が振り下ろされた。

 殴られた部分が痛かった。

 それと同じ、いやそれ以上に心が痛かった。

「出かけるときの意気込みはどうした? いいか、お前なら出来る。お前はすごい奴だ。お前には人の心を動かす力がある」

 そう言ってブロック兵士がボクの背中を押した。


 優しく。

 でも力強く。


 ハッとした瞬間には猫の強烈な前足が襲ってきた。

「走れ!!」

 厳しい声に弾かれるようにしてボクは走り出した。

 後ろを振り返ることもできなかった。

 ボクは床に脱ぎ散らかされた男の子の服に飛び込んだ。

 周りの風景など何も見えなかった。

 猫の姿もブロック兵士の姿も。

 途端に不安がボクを襲う。

 ブロック兵士は無事だろうか。

 いや、無事でいてもらわなければ困る。

 ちゃんと海を見に行ったあとにはごめんね、とありがとうを伝えなければならないのだから。

 浮かび上がってくる恐ろしい未来の予想を打ち消して何度も大丈夫を唱える。

 突如、浮遊感がボクを襲った。

 今までの中で一番強い衝撃だった。

 何が起きたのか。

 それが分かるまえに本能で思う。

 あ、ここで終わりかもしれない。

 ボクはここで本当に死ぬ。

 これで終わるのだ。

 何というあっけなさだろう。

 まだ海も見なれていないのに。

 まだ見たことのない海の想像と男の子の笑顔が交互に浮かんでは消えた。

 本当に死を覚悟した。

 しかし。

 ドサッと音がしてすべり台のようにボク体がずり落ち始める。

 ボクはいそいでに男の子の服にしがみついた。

 腕の力が無くなる前に登りきらないと落ちてしまう。

 落ちたら死んでしまう。

 運が良くて壊れなかったとしても猫に喰われるだけ。

 いくら悪運が強かったと言え、次はないだろう。

 ボクは必死に布を登り始めた。

 力尽きる前に何が何でも登りきらねばならないという使命感だけがあった。

 自分自身の為にも。

 体を張ってくれたブロック兵士の為にも。

 僅かな凸凹に手をかける。

 手を足を無心になって動かした。

 ただひたすら生きたかった。

 皺が深くなっているところで一息をつく。

 何処まで上に登るのだろうか。

 分からない。

 でも登りきるしか他に道はない。

 行かなければならないのだ。

 上へ上へと登っていく。

 途中、手のパーツが壊れかけそうになった。

 足が疲労のせいで上手く動かなくなってきた。

 腕も震え、とても自分の力だけでは登りきれそうにない気がした。

 嫌な想像が何度も頭の中を駆け巡った。

 それでも必死になって登りきった。

 首を振って余計なことは考えないようにする。

 半分以上が気力だけだった気がする。

 体は感じたことのない程の疲労感に襲われていた。

 もう、これ以上、一歩も進める気がしない。

 体を引きずるようにして、服のトンネルを抜けたら窓から朝日が指していた。

 ボクは見たこともない白い床に足をおいた。

 その途端、ボクの足元にあった服が音を立てて下へと落ちて行った。

 それを見る限り、白い床には机のように高いところにあるらしい。

 恐る恐る縁へ行って下を覗いた。

 その途端、目眩がした。

 机より高い位置にある。

 床までの距離が遠い。

 落ちて行った男の子の服に猫が噛み付いている。

 ここから落ちたら死んでしまうし、服に牙を立てている猫も怖い。

 それでもボクは必死にブロック兵士の姿を探した。

 ブロック兵士は体と足が離れ離れになった状態で床に倒れていた。

 胸がギシリと締め付けられた。

 痛い。

 ここからでは傷は見えない。

 ブロック兵士が無事であることをひたすら祈った。

「君っ……」

 思わず言葉が詰まる。

 言葉が出てこない。

 その時だった。

 ブロック兵士の腕がかすかに動いたのが見えた。

 親指を立てている。

 その途端ボクの目がしらは熱くなった。

 良かった。

 心の底から安心した。


 風がボクの上を吹き抜けていく。

 初めて見る景色は驚くほど綺麗に見えた。

 少し誇らしい気持ちもある。

 それなのになぜだろう。

 胸にぽっかりと穴が開いているような気がしてならない。

 遠くにボクとブロック兵士がいた街が見える。

 明るい気持ちもあるのに、それより早い速さで暗い気持ちが広がっていく。

 そんな気持ちを振り払いたくて頭を左右に振った。

 そんな暗い気持ちに囚われてはダメだ。

 海までもう少しだろうか。

 後どのくらい進めば海だろうか。

 しかし、だいぶ疲れてしまった。

 体のアチラコチラがズキズキと痛みを訴えていた。

 ボクはずるずるとその場に座り込む。

 安心したせいか、睡魔がボクを襲ってきた。

 初めてのことばかりで体はもう限界だった。

 休みたい。

 その白い床に横になると意識を手放した。


 ボクは大きな物音で目を覚ました。

 聞いたことが無いような音だ。

 何が起きたのだろう。

 慌てて身を持ち上げ、音のした方向を見た。

 音がしたのはボクの街の方向だと白い床の位置から街を見下そうとした。

 そして息を呑んだ。

 一瞬、意味がわからなかった。

 何が起きているのか理解しがたい光景が広がっていた。

 男の子がブロックの街を壊しておもちゃ箱の中に入れている。

 何で。

 どうして。

 理由がわからない。

 ボクの帰るところが。

 男の子との思い出の場所が。

 消えて。

 壊れていく。

 その様を眺めていることしか出来ないボクはなんて無力なのだろうか。

 止めてよって叫んでも男の子耳にはボクの言葉は届かない。

 これ程、言葉が通じないということえを悲しく思ったことはない。

 止めて。

 止めてと必死にお願いしても男の子は聞いてくれなかった。

 やっぱりボクは要らない子なのかもしれない。

 泣きそうになった。

 泣けないはずのボクの目の奥が熱い。

 ボクは凄い奴じゃないみたいだ。

 ごめん、皆。

 謝ってももう遅いことぐらい知っているのに。

「ごめんなさい」

 それだけを繰り返した。

 男の子が向きを変える。

 ボクに気が付いてくれたのだろうか。

 わずかな希望を持って顔を上げた。

 男の子はボクに気が付いてくれたわけではなかった。

 床に落ちているブロック兵士をむんず、と掴むとおもちゃ箱の中へと放り込んでいった。

「あっ……」

 もはや叫ぶことすらできなかった。

 現実を受け入れたくなくて。

 これは夢だと唱えてみても覚めることはなくて。

 握りしめた手のひらの痛さだけが現実なのだと告げてくる。

 男の子はずんずんこちらへやってくる。

 床に散らばっている服を拾い集めながら。

 ボクは何故か、男の子を知らない人のように感じた。

 顔を見ることすらできなかった。

「あ」

 男の子が声を上げた。

 そして、ボクの方に走り寄ってくる。

 大きな手に掴まれた。

 どうしてなのだろう。

 ボクはただ、海が見たかっただけなのに。

 また男の子遊びたかっただけなのに。

 貝殻を持っていれば喜んでもらえるかもしれないと思っただけなのに。

 お願いだよ、ボクを見限らないで。

 ボクは、ボクは……。

 君のことが好きなんだよ。

 男の子が見たことのない箱を開ける。

 嫌だよ、待って。

 ちゃんといい子に飾られているから、ボクを捨てないで。

 ずっとボクを忘れたままでも良い。

 ボクをこの部屋に、あの窓辺に返して。

 ボクの声は男の子には届かない。

 男の子はボクを箱の中へと入れてしまった。

 最後の光の一筋が消えた。


 数日後。

 ボクはブロックの町中に戻っていた。

 男の子が新しく作り変えてくれた町だった。

 海を表した青井ブロックが続く。

 ボクがそれを眺めている隣にはブロック兵士がいた。

「どうだったよ、本当の海は?」

 猫にかまれた痕が痛々しいが、本人は気にするなと言ってくれた。

 ボクは何回もありがとうを繰り返した。

 ブロック兵士は話をそらすようにボクに話題を振ってきてくれた。

 ボクは顔を輝かして手の中にある貝殻を見せた。

「君の言う通り凄かった。捨てられちゃうかもなんて悩みも全部消してくれたよ」

 そう、ボクは男の子に海に連れて行ってもらえたのだ。

 あの時の見たことのない箱はそのためだったらしい。

 男の子はボクに似合うぐらいの小さな貝殻をくれた。

 そのことをボクが嬉しそうに報告すればブロック兵士は優しくボクを撫でてくれた。

 ただいま。

 ボクは笑って皆にそう告げた。

 今度はボクが話そう。

 皆にあの素敵な海の話を。

 ボクの小さな大冒険の話を。


学生の頃のUSBから見つかった作品を残しておきたいので、こちらに投稿失礼いたします。

10万文字の作品を作ろう、という話になり、夏休みの課題で書いた2千文字のお話をここまで膨らませたのは凄かった、と今でも思います。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

他の作品も読んで行ってもらえれば嬉しいです。

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