第2話 大切な話
ミランダ様の屋敷に帰る道のりで、メモした魔法使い達を調べていく。知ってる魔法使いも改めて調べてみて、知ってるイベントや知ってる事件があればそれを頭の中に記憶しておく。あたしは忘れんぼうだからいつまでも覚えていられないけど、一つパワーワードを入れておくだけでも、この人はこれをした人だ! というのがなんとなく思い出せる気がする。ミランダ様の場合、『最年少で戦争』とか。
(魔法調査隊。検索……うわ、めっちゃ出てきた。とりあえず嘘前提のウェキペーディアを見よう)
――魔法調査隊。
魔法省から派遣された秘密捜査組織のこと。選抜試験はかなりの難解かつ高度な魔法が求められるため、入れるのは魔法使いの中でも一握り。魔法調査隊専門学校もあるが、かなりの狭き門であることは間違いない。
(そりゃそうだよね。魔法使いになるだけでも一苦労なのに、さらに政府がやってる秘密組織に入ろうなんて頭がおかしい)
現在、第一調査団を率いる隊員リーダー。闇魔法使いのジュリア・ディクステラは今まで現れたことがないと言われるほどのIQを持ち、数々の事件の捜査を行い解決に導いている。過去、光魔法使いのミランダ・ドロレスもジュリアと同じ教室にいたという話もある。
(……ん?)
あたしの足が、思わず止まった。
(ミランダ様も、同じ教室……?)
第13ヤミー魔術学校出身ってこと?
(ジュリアがヤミー学校にいた……? そんな話……いや、聞いたこと無い……。……別の場所での話かな?)
ジュリア・ディクステラ。有名も有名。超有名な誰でも知ってる魔法使いだ。なぜなら彼女の闇は人を恐怖に陥れる。彼女が関わった事件の犯人は、みんなジュリアの魔法で気が触れているのだ。ある人は悪夢から冷めず、ある人は永遠に苦しみ、ある人は恐怖のあまり自殺する。しかし、それが罪人達がしてきた罪の償いであるのだ。ジュリアは犯罪者に容赦しない。どんな事情があるにせよ、犯罪者を野放しにはしない。それがジュリア・ディクステラ……という話は聞いたことがある。
(この人、いつもテレビで仮面被って声変えてるから、町中で会ったとしても絶対気付けないよな。まあ、秘密組織のリーダーだし。当然か)
そのリーダーとミランダ様が同じ教室で勉強した仲。
(まあ、ミランダ様だもんな。もっと有名な人とも仕事したことあるんだろうな)
スマートフォンを見ながら歩いているあたしの側に、一本足のランタンがジャンプしてきた。あたしはその明かりを見つつ、スマートフォンの画面から目を離さない。
「ただいまー」
ランタンがあたしの足元を照らし、しばらくしてまたぴょんと飛んだ。ミランダ様の屋敷の屋根に引っかかり、落ち着いた。あたしは鍵穴に杖を向ける。
「オープン・ザ・ドア」
鍵が解除される音が聞こえて、あたしはポケットにスマートフォンをしまい、ようやく顔を上げてドアを開けた。リビングに行くとソファーで黒猫のセーレムが寛いでいた。ゆっくり伸びをして、欠伸をし、あたしを見上げ、また欠伸をし、野太い男の声で喋りだした。
「お帰り。ルーチェ」
ただいま。セーレム。
独特な匂いの煙がここまで漂ってきた。あたしは窓を開けて換気してからミランダ様の仕事部屋に顔を見せた。思った通り、ミランダ様は難しそうな本を読みながら煙管をふかしていた。
ミランダ様、ただいま帰りました。
「ああ。お帰り」
部屋が煙だらけだ。換気くらいしたらいいのに。げほげほっ。
ミランダ様、安いシュークリーム買ってきたんですけど食べますか?
「ああ。ありがとう。甘いものが欲しかったんだ」
用意しますね。ちょっと待っててください。
「ルーチェ、またふわふわしたおやつ買ってきたの? 俺も食べたい」
セーレムは駄目。お腹壊すから。
「なんだよ。またのけものにするの? そうやって猫に冷たく当たってたら後悔するぞ。緑の猫が現れて、星の杖で魔法かけられるんだからな! ……あれ、それ違う作品?」
セーレムにはこれ用意してるからちょっと待ってて。
「あ! ルーチューじゃん! やった! 流石ルーチェ! 俺ルーチュー大好き!」
セーレムがあたしの足を追いかけてすりすりしてくるので、あたしはそれを避けながらティーセットを取り出した。飲み物は多分いつもの紅茶でいいはず。あたしは杖を構えた。
「水とやかんが恋してサンバ。情熱恋愛経験者、お湯となって現れる」
情熱的な炎がやかんを包み、水があっという間にお湯に代わった。紅茶の葉を網に入れてお湯を注げば、美味しそうな紅茶の匂いが鼻の中に入っていく。これで三分。タイマーは忘れない内にかけておく。
(よし、で、この間に)
棚から皿を取り出して85ワドルで買ったシュークリームの袋を開け、皿に乗せる。あのミランダ・ドロレスが85ワドルのシュークリームを食べてるなんてちょっと笑える。先輩に言ったら写真撮ってきてって言われそう。引き出しからフォークを出し、テーブルの上に置いておく。タイマーが鳴った。あたしは網を出し、葉を湿らせたお湯をポットに注いだ。ああ、良い香り。気がつくとミランダ様が持って帰ってくるこの紅茶。この匂い、鈍感なあたしでもわかるほどすごくいい匂い。嗅いでるだけで疲れた体が癒されていく。
(はあ。癒やされる……)
ティーセットとシュークリームをテーブルに置き、ポットからティーカップに紅茶を注いでから、セーレムがいつもご飯を食べてる場所まで歩いていく。セーレムがあたしの足元でそわそわする。
「ねえ、ルーチェ、早く。早くぅ! ねえ、ルーチェ! 早くぅ!」
「お手」
「にゃー!」
「おかわり」
「にゃん!」
「よしよし。良い子。はい、どうぞ」
「おほ! いただきます! おほっ! おほぉ!!」
ルーチューの中身を下から押し出すように指を動かすと、セーレムの舌が止まらなくなる。ああ、セーレムは今日も可愛いな。癒やされるな。……げっ、レジ変われって言ってきた客のことを鮮明に思い出してきた。うわ、最悪。癒やされると思ったらどうしてむかつくことを思い出しちゃうんだろう。これはADHD関係なく、皆そうなのかな?
後ろからスリッパの音が聞こえて振り向くと、ミランダ様がちょうど椅子を引いて座るタイミングだった。一人用のティーカップを見て、ミランダ様があたしを呼んだ。
「ルーチェ」
「あ、はい?」
「お前はいらないのかい?」
「ああ、……セーレムにおやつあげてるので」
「終わったらおいで」
(……え、なんだろう……)
呼び出しされた。
(え、なんかやらかした……?)
ミランダ様が指をぱっちんと鳴らすと、もう一つのティーカップが棚から泳ぐようにテーブルの上にやってきた。セーレムが最後の最後まで舌をぺろぺろ動かし――ルーチューを舐め終える。
「ああ、幸せなひと時だったぜ。ルーチェ、おかわりくれてもいいぞ。俺、まだいける気がする」
「セーレム、ルーチューは一ヶ月に一本だって言ってるだろう」
「なんだよ。ケチー。だからミランダはモテないんだよ。未だに恋人出来ないんだよ」
「ふん。自分よりも弱くて情けない男の胸に眠るくらいなら、ルーチェの尻を枕にしてた方がよっぽどマシさ」
(そうか……。あたし、とうとう枕になるんだ……)
「いいから座りな。ルーチェ」
「はい」
あたしはミランダ様の正面の席に座り、ミランダ様の二杯目に入れておいた紅茶を注いでもらう。
ありがとうございます。いただきます。
あたしはゆっくりと温かい紅茶を飲んだ。ふう。今日も一日頑張った。ミランダ様も紅茶を飲み、ふう、と息を吐いた。
「今日も一日お疲れ様だね。ルーチェ」
はい。ミランダ様も。
「明日は一日休みだったね」
はい。学校からもらってる課題をやるつもりです。
「うん。よろしい。それはいいんだけどね。ルーチェ」
はい。
「お前がここに来てから一ヶ月以上が経ち、お前は私の弟子としてここにいる」
はい。有り難いことに残させてもらってます。
「うん。そこまでは良い。……で、最近ちょっと気になることがあってだな」
なんでしょう。
「ルーチェ」
ミランダ様が訊いた。
「お前、なんで家の電話が鳴ったら出ないんだい?」
――その瞬間、あたしの頭に雷が轟いた気がした。
「今までであれば、お前はただの居候だったから電話に出るなと言ってたけどね、この間電話が鳴って、両手が塞がってたから出ておくれと言ったら、お前何したか覚えてるかい?」
……立って……ました……。
「そう。電話機をじっと見つめて何もせず立っていたね」
……。……。……。
「私の弟子になったのであれば、電話番くらいしてくれないと困るよ。大体は仕事の電話なんだから、要件だけ聞いてミランダが折り返すと伝えてくれたらそれでいいから」
……ミランダ様……、あの、
「なんだい」
あたし……電話が……怖くて……。
「は?」
怒鳴られるんじゃないかと……思って……。
「急に怒鳴る相手がどこにいるのさ」
その……コールセンターで働いてたことがあるんですけど……、ビジネス用語使うし……敬語綺麗になるし……滑舌良くなるし……マニュアル読めば良いって聞いて……実際働いてみたら……怒号は飛び交うわ、規約は見てないわ、サービスをよくわかってない客からクレームの電話が毎日何件も何件も鳴り響いて、声だけしか聞いてないくせに人間否定された時にはもう死にたくなるくらい精神が病んで……半年で辞めました……。
「図太いね。半年は続けたのかい」
続けたら慣れるだろうと思って働き続けたら、慣れるどころか電話に出るのが怖くなっていって、電話に出る相手全部あたしに怒鳴ってくる人間だという錯覚に陥って、手が震えて汗が止まらず、もうとにかく受話器から出てくる電波音のような声が怖いんです。ヒステリックな女の声はパニックになって、男の怒鳴り声を聞いた時には震えが止まりません。あの時期、どれだけ『コールセンター 働く 対応策』でググって個人ブログを読んできたことか。
「お前ね、魔法使いになるんだろ? 魔法使いは営業だよ。どうするんだい。せっかく客から電話が来たのにありもしない妄想に囚われて仕事を受けられなかったら」
わかってます……。電話に出なきゃいけないことはわかってるんです……。でも怖いんです……。
「今のバイト先で電話が鳴ったらどうするんだい」
気前の良い先輩が電話を受けてくれてます……。
「……まあ……飲みなさい」
はい……。
ミランダ様とあたしが紅茶を飲んで、一息ついた。
「トラウマだろうがなんだろうが、私が留守の時は出てくれないかい? 要件を聞いてくれるだけでいいから」
……なんて言ったらいいですか……?
「はあー……」
……すみません……。マニュアルがないと……本当にわからないんです……。言葉が出てこなくて、あの、本当に、なんていうか、電話の時に限って、こう、喉に蓋がされたみたいに……声が出なくなるんです……。ごめんなさい……。電話には出ます……。でも……台本を……頂けませんか……?
ミランダ様がテーブルを思い切り叩いた。
「電話番なんて幼稚園児でも出来るんだよ!」
申し訳ないです……申し訳ないです……! でも言葉がわからないんです……!
「もう、本っ当に出来が悪いね! お前は! この役立たず!」
ひい! ごめんなさいっ! ひぐっ! うぐっ! ずびびっ!
あたしがめそめそ泣き出すと、ミランダ様が両手を二回叩いた。一瞬ふわりと風が吹いて、ミランダ様に腕を叩かれる。
「ほら、あそこ」
はい……?
鼻をすすりながら振り返ると、壁に台本が貼られていた。
(*'ω'*)電話が来たら(*'ω'*)
「お電話ありがとうございます。ミランダ・ドロレスの屋敷です。ご要件はなんでしょう?」
要件:
(*'ω'*)要件を聞いたら(*'ω'*)
「ただいまミランダが外に出ておりますので、戻り次第折り返しご連絡させていただきます。折返し先のお電話番号と、お客様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
折返し先:
依頼人の名前:
折り返し希望日時があれば:
「かしこまりました。では改めてミランダからご連絡致しますので、よろしくお願い致します。失礼致します」
(*'ω'*)ミランダに要件をチャットする(*'ω'*)
(……わあ……!)
あたしは両手を胸の前で握りしめ、瞳をきらきらさせながら可愛くデザインされた台本を見つめた。
可愛いー!
「これならいいかい?」
これなら、あの、なんとか、慣れたら、なんとかなるかと……!
「要件はチャットで知らせておくれ」
わかりました!
「それと、そこに書き込んでもチャットで要件を私に送ったら消える魔法をかけてるから、いくらでも書き込みなさい」
え、すごい! わかりました!
「はあ……。手が掛かるね。全く……」
ミランダ様がため息を吐きながら頭を抱えた。
「明日午前中に仕事があるから、その間頼むよ」
その、一応、コールセンターはやっていたので、一次窓口なら、なんとか、なるかと……!
「してもらなきゃ困るよ。難しい要件だったとしても、ミランダが居ないから確認できないで押し切っていいからね。折返し先だけ聞いておくれ」
わかりました。やってみま……。
――突然、電話が鳴った。
「……」
あたしは固まった。
「……」
電話が鳴り続ける。
「……」
あたしは電話機をじっと見つめた。
「……」
おかしいな。電話が鳴り止まない。
「……」
留守番電話サービスに繋がらない。
「……」
あたしは仕方なく――恐る恐る――受話器を取った。
「あの。もし、もし、えっと、あの……」
「『電話が鳴ったら三コール以内に出なさい』」
はっとして振り返ると、ミランダ様が自分のスマートフォンから電話していた。呆れた目であたしを見ている。
「『いいかい。ここにはお前しか居ないんだよ。セーレムが受話器を取れるかい?』」
……いいえ。
「『せっかく台本を用意してやったんだから見なさい』」
あ、はい。
「『もう一回いくよ』」
電話が切れた。あたしも受話器を置いた。ちらっとミランダ様を見ようとすると、電話が鳴り響き、さっきよりも早く受話器を掴めた。大丈夫。相手はミランダ様だ。何も怖くない! あたしは台本を見ながら口を動かした。
「はい! お、お、お電話わわわ、あーがとうございます……! ミランダ・ドルルルぉレスのお、お、おや、屋敷です。ごごごご、ご要件はなんでしょう!」
「『何言ってるかわからないし、滑舌が悪いし、お前本当に発声練習してるんだろうね?』」
「すみませんんん……!」
「『魔法使いになりたいならこんなところで足踏みしてるんじゃないよ』」
「申し訳ございませんんん……!」
「『情けない声出すんじゃないよ。全く。戻っておいで』」
「はいぃい……!」
テーブルに戻ってきたあたしは再びめそめそと泣き出し、ミランダ様が紅茶のおかわりをお互いのカップに注いだ。そんなあたし達を見て、セーレムが言った。
「あーあ、ミランダがまたルーチェを虐めた。あーあ。俺見ちゃったからな。そういうのなんて言うか知ってる? DVって言うんだよ」
「セーレム、ルーチューはしばらくお預けだからね」
「なんでそういうこと言うわけ!? 俺、何も悪いことしてないのに! 酷いよ! そういうの、なんていうか知ってる!?」
「「動物虐待って言うんだよ」」
「うるさいね。お前はいつもいつも」
「猫をもっと大切にして! 愛に飢えさせないで! 優しい手で俺のお腹なでなでしてよ!」
「はいはい」
(もうやだ。消えて失くなりたい。電話嫌い……)
セーレムはお腹を撫でられ喘ぎ声を出し、あたしはめそめそ泣き続け……ミランダ様はとんでもなく深いため息を吐いた。




