自身の新たな価値観を求めて
働くという事に関して、私は少し違う見方をしていたかも知れない。
そもそも、働く事で存在意義を覚える事自体が現代のニーズにあってないのかも知れない。
自分や家族のためなどに働く事は手段であり、仕事のない時は仕事から離れ、趣味などの自由な時間を満喫する。
現代の社会で自己犠牲精神は不要なのかも知れない。
ましてや、私は頑張りすぎて精神的に一度壊れた身である。
社会に貢献する事よりも自身の価値観をいま一度、改める必要があると思う。
しかし、そうなると仕事以外の私の取り柄とはなんだろうかとなる。
ゲームに熱中出来る程の熱量はない現状では仕事が全てであり、仕事で生にしがみついている状態である。
仕事がなくなったら私に出来る事と言ったらなんであろうか?
このように文にして読み返す事であろうか?
趣味に関して視野が狭くなったのかも知れない。
寧ろ、仕事を言い訳に他人と距離を取りすぎたのが問題なのかも知れない。
まだまだ、自分に改善点があり、向上出来るところがあるのはいいが、仕事以外で私がのめり込めるものとはなんであろうか?
二次創作も強く求めていた事はやってしまった。
あとは気分でしかない。
何か新しい活力になる事を見出だせれば、それに熱中したく思う。
それをするにしても、これからの仕事の在り方と精神状態のケア、今後の自分のイメージなどが必要となるだろう。
いままでの価値観や在り方を変えるのは極めて困難な道のりである。
特に私はある程度の精神的達観がある故に自分が定めた限界を超える必要がある。
そう考えると今後の課題はまだまだ、あるだろう。
現在の目標はいまの仕事を定着させつつ、ゆるゆると無理せず、加えて自身の趣味となる事に対して充実させ、仕事でのメンタルを回復させる方法を探る事である。
こう書くとまだ堅いところがある気がして来るが、いまの自分に必要な事であり、今後の自分を見直し、より良い充実した日々を送る為に必要となる事である。
仕事にやりがいを見出だし、仕事の為に身を削り、仕事に死ぬ覚悟をしていたあの頃とは違う。
これからの人生は自分の為に使い、仕事を優先第一位から外す事をしていきたい。
職場に大義を求める生き方は改めるようにしたい。
もしも、私に自分の生き方を変える機会があるとするのならば、いまが恐らく、その時なのだろう。
私は改めて、満足のいく人生を歩む為に死活を見出だすのではなく、いまに生を見出ださんが為に私を変えていく。
そういう訳なので、これからも陰猫(改)という人間はこれからも生きていこうと思う。
大した話ではないが、いままであった忠義の為に社畜になっていた自分に決別する為にこれを記しておく。
改めて、今後も陰猫(改)という作家を宜しくお願い致します。
2021年9月29日 陰猫(改)