12話:王城バルト
王城バルト。その中は、迷路のように複雑だ。西の大国へと平定される前、各国との戦争状態時、何度か王城バルトに侵入されたことがあった。だが、侵入者が王までたどり着けたことはただの一度もない。中の構造は、王族やその臣下でさえ全てを知らず、今現在で全てを知るのは、第32代国王:カルパス・バルト・ガルステン王だけである。
通路といくつもの部屋で構成された城内は、まるで、アリの巣のよう。各隊、通路を歩きながら進軍していると、第1部隊が開いた部屋へと辿り着いた。
「第1部隊。通路を抜け、開けた部屋に現着。周りを見る限り、実験棟の模様。様々な薬品や培養槽が置かれています。…各位、厳重警戒で進め」
アルートが状況報告をしながら、パルムが手振りで隊全体に指示を出す。アルートとパルム兄妹率いる第1部隊には、アセナ狼国の索敵部隊が多く所属しており、足元を消し、気配を殺すことに長けていた。
電気の消えた薄暗い部屋の中、至る所にある間接照明や培養槽だけが怪しげに光っている。
150人を超える隊の全員が余裕で入る大きさの部屋。警戒を怠ることなく、進んでいるが、全容がまるで見えない。先頭をアルートが歩き、その後ろをパルムがついていく。
足音一つなく進む部隊。先頭のアルートが培養槽の群れを抜け、視界が広くなった場所で、後続を待つ。警戒は怠らない。闇になれた視線で、辺りを見渡す。
ふと、アルートの視界に、何かが映った。暗くて何かは分からないが、そこに何かいる。アルートは声を出さず、手のサインだけで指示を出すと、腰に携えた短刀を抜き、ゆっくりと近付く。そして、見える範囲まで近付き、指パッチンの要領で指を鳴らす。音とともに離れた指先から微弱な電気が弾け、一瞬ではあるが、閃光弾のように辺りを照らした。
常人ではまず何があるのか識別すら出来ないだろうが、アセナの血が濃いアルートの動体視力にかかれば、その一瞬で十分だった。
そこにあったのは、死体だった。血の気の引いた蒼い肌に紫に変色した唇、そして何より、首元がパックリと割れ、そこから流れ出たであろう血がカピカピに乾いていた。だが、不思議と腐敗臭はしない。
「そやつは失敗作じゃよ」
突如響く老婆の声とともに、部屋の灯りが一斉に点く。暗い部屋が突如明るくなったことで、視界がホワイトアウト。薄暗いトンネルから出た時に、外が明るく、一瞬何も見えなくなるあの現象と同じことが起こった。
今攻撃されるとまずい!そう思ったアルートはすぐさま、後ろに飛び退き、パルムの近くに着地。視界が奪われた中、全員が聴覚や嗅覚を頼りに集まり、すぐさま陣形を整えていた。日頃の修練の高さが見て取れる。
「ほっほっほっ。そんなに警戒せんでもええのにな〜目が慣れるまで待ってるさかい」
なんか急におばあちゃん感出してきたな…と、アルートは思いながら、警戒を怠らず、視界が慣れるのに専念した。数秒でホワイトアウトは解消する。
「もう慣れたかの?」
「…貴様は誰だ?」
「ほっほっ。こっちの質問は無視かい。まあいいさ、最近の若いものはなーに考えてるかよー分からんでな。はぁ〜」
老婆はため息をつきながら、答える。
「わしの名前は、ラーサ・ボトム。ついこないだ93歳になったばかりの老婆じゃよ。して、お前らは、東の大国の生き残りじゃな?」
ラーサ・ボトム。王都ガルステンに仕える宮廷魔導士であり、勇者パーティの一員であるマホ・ツガミの祖母。勇者たちに次の試練の場所を教える役割をこなしていたあの老婆である。
壇上の上から、身体の正面に置いた杖に両手を乗せ、シワで垂れた瞼の隙間から見える目で、アルートを見つめる。
「答える義理はない」
アルートは冷静に、切り捨てるように答える。
「はぁ…最近の若いものは冷たいのぉ〜お婆ちゃん、悲しくなっちゃう」
やれやれと言いたげな表情で、首を横に振る。首元にぶら下がっている丸いネックレスがそれに合わせて揺れる。
アルートはラーサに見えないよう、後ろにいるパルムに指で指示を出していた。指示の内容は至ってシンプル。〝隠れて殺せ〟ただそれだけ。
パルムが代表を務める索敵部隊御用達の魔法〝光の隠れんぼ(プララム・ハイド)〟を使い、部下3名を送り込む。ラーサが自己紹介を始めた時すでに、部屋の配管やラックの上から、ラーサを狙っていた。
そして、今、首を振ったその瞬間、3人同時に飛びかかる。短刀を両手で持ち、刃先は下に。振り上げた腕をターゲットの位置に合わせて、振り下ろす。3人とも、光の隠れんぼ(プララム・ハイド)は解除していない。そして、ラーサはまるで気付いていない。
そう、ラーサは本当に気付いていなかったーーだが、部下3人の刃がラーサに届くことはなかった。届くその前に、3人の短刀は、突如現れた三つ子に受け止められていた。
「ん!?ど、どうしたんじゃ?!」
驚いた様子のラーサ。飛び出してきた三つ子に問いかける。三つ子全員がラーサの耳元に集まり、何か囁く。その間に、透明化していた部下3人は物音を立てず、部隊に戻る。
「な、なにぃー!?今まさに、わしは殺されそうじゃったのか!?心臓飛び出るかと思ったわ…よしよし、流石は我が孫たち。本当に良い子じゃな〜」
表情豊かな老婆だ。驚いたかと思えば、笑顔で三つ子の頭を撫でる。そして、
「お前らにプライドちゅーもんはないんか!!おぉ!?まだ話してる途中やろがぃ!!もういい!ほんっともういい!!対話は終わりじゃ!!皆、出てこい!!」
ぷんぷんと怒りながらそう答えると、ラーサがいる壇上の背後にあるカーテンがおもむろに上がる。そこには、三つ子と同じ顔の子どもたちが…ざっと、100人ほど立っていた。
「ふん…ちと足りんか。まあしょうがないのぉ、生産が間に合っとらんからのぉ」
ぶつぶつと独り言を呟くラーサ。今部屋の中には、第1部隊150人と子どもたち100人、総勢250近い人が集まっていた。
子どもたちは、寸分の違いなく同じ顔で身長も体重も全く同じ。前髪から襟首まで、段差なく、短く切りそろえた白髪が、部屋の明かりに照らされ、キラキラと光り輝いている。いやこの人数だ。キラキラと可愛い表現ではなく、ギラギラと輝いている。
「まあ良い、概ね順調じゃ。よしよし…して、さっきお前らが灯りに慣れるのを待ったのは何を隠そう、この量産型マホシリーズを試すためでのぉ。万全の状態でいてくれんと駄目だったんじゃ。よし!死ぬ気で戦ってくれや、若者ども。貴重なデータを取らせておくれ」
ラーサは、垂れた皺をものともせず、不敵に口角を上げた。
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一方、第2部隊。第1部隊がラーサと出会う少し前。
ようやく名前が出たバネルパーク皇国騎士団の団長。名を、ゴードン・フレッド!!性格は…熱血である!!
訓練であれ、私生活であれ、とにかく熱血で情熱的な性格であり、皇女が嫌う理由の一つでもある。あと、とにかく声がでかい。皇女は嫌いだが、騎士団員たちからは随分慕われており、部下の世話を面倒がらない昔カタギの漢くさい男である。
ただ、今回に限っては現場の異様な雰囲気に押され、無意識に声を抑えていた。長い通路を慎重に進み、第2部隊も開けた場所に辿り着いた。部屋のものらしき大きな扉は、すでに開かれている。まるで、誰かを待っているかのように。
「各員、抜刀!」
ゴードンの掛け声とともに、全員が鞘から剣を抜き、戦闘態勢へと移行。警戒しながら、開かれた扉をくぐる。
「第2部隊、こちらも第1部隊と同じく開けた部屋に着いた…が、何もない所だ。唯一あるのは、部屋を支える大きな支柱のみ。それが等間隔に置かれている」
150人を超える全員が余裕で入る大きさの部屋。警戒を怠ることなく、進んでいるが、全容はまるで分からない。先頭を歩くゴードンとその後ろを歩くマルネ。
マルネは嬉しかった。また団長の後ろを歩く、そんな日が来るなんて思ってもみなかった。マルネは、その嬉しさを噛み締めていた。
麗しの団長。180近い身長と広い肩幅。赤をベースにした燃え盛る炎のような色合いの鎧に身を包み、左手には盾、右手には剣を構え、警戒しながら歩く姿。それがただ愛おしかった。
マルネが、ゴードンに見惚れていると、ゴードンが剣を持つ右手を挙げ、部隊の進行を止める。その背中に当たることなく、マルネも止まる。
「待て。前に誰かいるぞ」
第1部隊の部屋とは違い、照明が爛々と輝く部屋の中。ゴードンは目が良かった。視力は3.0。視界の先に、入ってきた扉と同じ扉がある。だが、こちらは閉じられており、その前に何人かの人が立っているのが見てとれた。
マルネにはまだ見えないが、団長の言うことに間違いはない。心からそう信じている。
「各員、扇陣形準備ーー始め!」
マルネのよく通る声が最も後ろにいる兵士まで届く。元バネルパーク皇国騎士団に所属していた面々が多い第2部隊。すぐさま、扇形へと形を変える。
攻撃陣形の一つである〝扇〟。
扇で例えると、手で持つ中骨の辺りに魔法兵、その前に弓兵、更にその前方、扇面の辺りに、剣と盾を持った一般兵が並ぶ。そして、アネモネと守護大使カミーユが一番前である前線に並んでいる。
本来であれば、隊を率いる長は一般兵と弓兵の間で指揮を取る。だが、アネモネは戦闘狂であり、いつも最前線で戦っている。そして、騎士団総督決定戦以来、仲良くなったカミーユもアネモネに手を引かれ、一番前に来ていた。
「アネモネさん、僕たちここでいいの?」
「ん?いいよいいよ〜♪ここが一番楽しいからね!楽しいのは共有した方がいいんじゃん?ね、カミゆん♪」
「うん、そだね。ありがと、アネモネさん」
アネモネはニコニコしながら、カミーユの問いに答える。カミーユは後悔することになる。アネモネの楽しいは、熾烈な戦いに身を投じることであり、カミーユの思う楽しいこととはかけ離れていることに。
ゴードンとマルネは、一般兵と弓兵の間に入る。陣形が完成したことを確認し、「前進」と指示を出す。
一糸乱れぬ動きで、前へと進む。前線にいる兵士たちにも、ゴードンが見た人影が見え始める。
「全軍、止まれぃ!」
ゴードンの声とともに、ピタッと隊が止まる。こちらもあちらも、視認できる距離まで近付いていた。
「我が名はゴードン・フレッド!!今は亡き、バネルパーク皇国の騎士団長である!!其方らは何者だ!?」
確実に敵であることは分かっているが、ゴードンは礼節を重んじる男である。一際大きな声で、自己紹介とともに、訊ねる。
その様子に、西の大国側も負けじと、
「我が名はアーノルド・ヴァン・シュタインである!!!ウェルムボストン王国騎士団を率いる団長であり、王を守る剣である!!!」
ゴードンよりも大きな声で、返す。
「貴様らは、東の大国の者か!?何用でここに来た!!?」
もう少し近づいて話せば良いものの、一度、この距離で話し出してしまっては、もう誰にも止められない。
「そうだ!!!!我らが生きていることはつい先刻知ったはず!!!!其方らに命を摘み取られる前に、決着をつけに来た!!!!」
ゴードンは、さらに大きな声で返答する。
「そうか!!!!!ならば言葉はもういらないな!!!!!かかってこい!!!!!」
「そうさせていただく!!!!!!」
近くにいる弓兵と一般兵が耳を塞ぐほどの声量。アーノルドの側にいる何人かの女性も耳を塞いでいる。
「うるっさいわ!!!!!!!あほんだらぁ!!!!!!!」
白熱する二人の団長。それを止めたのは、団長の後ろにいた女性だった。白髪の混じった黒の長髪を後ろでまとめ、ボディラインのわかるぴっちりとした灰色の戦闘服を着た女性は、まだ兜をつけていない団長の頭を殴りつける。
「いたっ!!!」
「うるっさいわ!!もっと近づいて話せんのけ!ぼけ!」
その言葉に、はっとアーノルドが気付く。周りを見て、ようやく、自分たちがうるさかったことに。
「…申し訳ない」
シュンとした顔で素直に謝る。アーノルドを殴ったのは、その妻である。そして、アーノルドの後ろにいる13人の女性。全員が、妻である。
ウェルムボストン王国は一夫多妻制を導入しており、その最たる例が、騎士団長アーノルドであった。最も、アーノルドが若い頃から妻が13人もいたわけではない。
アーノルドが騎士団入団後、ぐんぐんと頭角を表し、25歳という若さで騎士団長に就任。その後、王様に呼び出され、一人の女性を妻として娶るように王命を受けた。
それが先ほど、アーノルドをぶん殴った女性である。王の考えは至ってシンプル。王国最強の兵士であるアーノルドの優秀な血筋を、他の優秀な血筋と組み合わせることで、より才能を持った子どもを産ませ、国力を発展させる。
王命は絶対。背けば、騎士団長であれど罰せられる。この時、アーノルドはまだ、童貞であった。色恋沙汰にうつつを抜かす暇を全て訓練に費やしてきたため、25歳になるまで彼女が出来たことすらなかった。
そんなアーノルドが、突如、好きになって告白し交際や同棲を経て結婚する、という過程を全てぶっ飛ばし、飛び級で結婚するのだ。感情が追いつかなかった。その後、あれよあれよと話は進み、王命のあったその日に婚姻が成立、一つ屋根の下での生活が始まった。
アーノルドの最初の妻は、当時、連合国家から統一国家へなった際、属国となった一つの国の姫であった。
統一国家になる前、王都ガルステンを首都としたウェルムボストン連合国は、王都ガルステンの他に13の小さな国があった。
ガルステンに住む者なら誰もが知っていることだが、現国王であるカルパス王が、13国を無理やり統一。様々な政策、武力行使を実施したわけだが、その中でも、属国となった13国に最も効いたのは、自国の姫を騎士団長アーノルドに嫁がせることだった。要は、人質である。
日本の戦国時代でも、自身や配下の子を、同盟を交わした相手と送り合う習慣があった。それは、親交を深める意味もあるが、裏切り防止の要素が強い。
だが、まだそれであれば妾の子や末席の子を渡せば良い、そう思う国もいた。だから、カルパス王は更に条件を追加した。
〝王と正妻の実子であり、第1または第2王女であること〟
当時、王という存在は、複数の妻がおり、自らの血脈を残し、国を存続させる方針が主流だった。そのため、13の国全てに少なからず、第3王子または第3王女まで在籍していた。
連合国家から統一国家へと変わったことで、カルパス王の命令は絶対となり、全ての国が姫を差し出す他なかった。
その後、アーノルドに次々と妻が増え、26歳になる頃には13人の妻を娶ることになった。そして、全員との間に、一人ずつ子を授かった。
今、アーノルドの後ろにいる13人の女性。そして、更にその後ろに控えるのは、その子どもたち13人。アーノルドを含め、計27人が一堂に介していた。
「こちら第2部隊。ゴードンに変わり、マルネが報告いたします。現在、敵国の騎士団長と思しき者と接触。配下26人を携え、門を守護している模様。まもなく、戦闘を開始します」
ゴードンが相手へと睨みを効かせる中、その背後で、マルネが報告を済ませる。数の有利は、圧倒的にこちら側だ。150人対27人。相手は、一人当たりざっと6人を相手取ることになる。
「各員、シックスマンで対応する。戦闘準備」
マルネが指示を飛ばすと、すぐさま、6人1組のチームが出来上がる。前衛3、中堅2、後衛1で出来上がったチームが、等間隔に並ぶ。
「団長、こちらは準備万端です」
「ああ、ありがとう!マルネ!」
「…いえ。副団長として当然であります」
内心、飛び上がるほど嬉しい。だが、その気持ちをぐっと抑え、表情に出さないように、表情筋をフル稼働。
アーノルドが妻と話している間に、全てが整った第2部隊。皇女が指揮していた場合、すぐさま、攻撃を開始していただろうが、ゴードンはしない。なぜなら、ゴードンは熱い〝漢〟だからだ。
相手が準備をしていないのに、攻撃はしない。相手とこちら、双方が万全の準備を済ました上で、全力の戦いをすることに意味がある。それが、ゴードンの考え方だ。だからこそ、正反対の皇女と反りが合わないのである。
「話してる最中で申し訳ないが!こちらは準備が整った!そちらはどうだ!?」
「ん?あ、ああ!ちょっと待ってくれ!アリエス、怒るのはそれぐらいにして今は目の前の戦いに集中しよう。いいかい?」
「…分かった。やけど、後でお説教ね♡」
「う、うん…よーし!!こちらも準備できたぞ!!待ってもらってかたじけない!!」
「よし!!では存分に戦おう!!行くぞ!!!」
「来い!!!」
「全軍!出撃ぃ!!!」
ゴードンの掛け声とともに、兵士たちの怒号が響く。150人もの人が一気に動けば、地震かと思うほどの地響きが轟く。
活気盛んに、最前列の一つのチームが飛び出る。アネモネとカミーユがいる6人チームだ。勿論、二人とも前衛に加わっている。
「先手必勝!風刃・十連♪」
アネモネの前方に不可視の風の刃ができ、勢いよく、前へと吹き飛ぶ。風を切りながら、先頭にいるアーノルドを狙う。
だが、風が当たる前に、アーノルドの前に飛び込んだ者がいた。
其奴は、男装の麗人。
荒く、ただ短く切られただけの黒髪が、ボーイッシュな印象を強くする。相手の中でもっとも重装備であり、背中に装着されている大楯が印象的だ。
身丈ほどの大きな盾を背中から取り出し、前へと構える。
アネモネはニヤリと笑う。カミーユとの戦いで、同じように盾で防ごうとしたが、縦横無尽に動く風の前では、防ぎきれなかった。
アネモネが放った風の刃が、大楯とぶつかる。激しい金属音とともに、10の刃が連続して当たる。総督戦との違いは、外ではなく室内のため、土煙が上がらないところだ。
アネモネにとって、重装備の相手は格好の獲物。戦争であれ、訓練であれ、まず重装備の相手を狙う。どれだけ着込もうが、鎧には必ず継ぎ目があり、継ぎ目があるということは隙間がある。そこを風で狙い撃てば、一方的な虐殺の始まりだ。相手が気付いた時には、自らの足元に血溜まりが出来ている。
だが、今回の相手はそうはならなかった。血溜まりどころか、かすり傷ひとつも負っていない。
「…は?なんで?」
笑顔を引き攣りながら、アネモネの頭上に?マークが浮かぶ。今、アネモネの凶刃を防いだ大楯の持ち主、それは…何を隠そう、勇者のパーティの一員である〝マコト〟だった。
そして、マコトが手に持つそれは、神の鍛冶屋の女主人によって作られた新しい大楯である。漆黒に赤のラインが入ったどこか禍々しさを感じるデザインのそれには、前方からの攻撃を完全に防ぐ機能が付与されていた。
更にマコトの背後から風を纏った矢が3本同時に、アネモネへと襲いかかる。まだ混乱中のアネモネ、迫り来る矢への反応が遅れる。だが、こちらも忘れてもらっては困る。アセナ狼国守護大使カミーユがいることに。
すぐさまアネモネの前に割って入り、盾を構え、矢からアネモネを守ってみせた。
「どうしたの!?アネモネさん!?ぼーっとして!!」
「ご、ごめんごめん。ありがとね、カミゆん」
「もぉーしっかりしてよ」
「ちょっと驚いちゃってね。うん…でももう大丈夫だにょろん♪」
両者、出会いの攻防を済ませ、各チームが接触。6対1という圧倒的な状況であっても気を抜かない。ライオンは獲物が子うさぎであろうと容赦しないように。
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第1、第2部隊の戦闘が始まり、その報告を受ける皇女。第3部隊は、未だ通路を進んでいた。変わったことといえば、質素な石畳の通路から、豪勢な通路に変わったことぐらいだ。レッドカーペットが敷かれ、左右の壁には等間隔に様々な絵が飾られ、その間に彫刻品や壺が置かれている。明らかに、正解っぽいルートだ。
「なぁ、マクルス」
「ん?なんだい?」
「私たち、正解ルートに来たんじゃないか?」
皇女は辺りを見回しながら、問いかける。
「うん、僕もそう思ってた。さっきまでの通路と違い、明らかに豪華だ」
第3部隊にいるほぼ全員が同じことを思っていた。
このまま、王のところまで行けるのではないだろうか、と内心思っていた。
「旦那様もそう思うよね。はぁー久しぶりの戦い、ちょっと楽しみにしてたのにな」
「そんな残念がらなくても大丈夫だよ。ここの王はきっと強いから。ファンが本気を出しても勝てないかもしれないよ?」
「おぉ…そんな相手じゃったら最高だな!」
「ふふ、本当に戦闘狂だね。あ、ちょっと待って。扉が見えてきた。どうやら、僕たちにも」
「敵が来たかの!?」
通路の先に、真紅の大きな扉が見えてきた。皇女のテンションが明らかに上がる。近付くと、その大きさには、目を見張るものがあった。
「でかい扉じゃの〜!中に怪物でも入れとるのか?」
「確かに大きいね。でも、本当にいたらどうする?」
「うーん、そうじゃなー。とりあえず、思いっきり殴ってみるかな」
「ファンの本気のパンチか…想像するだけでちょっと怖い」
「怖いって酷くない?か弱い乙女のパンチじゃぞ?」
「清廉潔白の乙女だもんね?」
「そうそう。よく分かっとるじゃないか!って、そんなことはどうでもいいんじゃ!はよ入るぞ!」
「はいはい、分かったよ。みんな、頼む」
マクルスにお願いされ、前列の何人かが真紅の扉の前へ。金色に彩られた縁やドアノブ。そのドアノブを一人が回し、他何人かで扉を押す。
ゴッ…ゴゴゴ…。重い地響きを立てながら、扉を開く。見えてきた部屋の中は、まさに豪華絢爛。はるか高くまである天井から、それは見事なシャンデリアが何十個とぶら下がり、床に敷かれた美しい柄の絨毯が部屋に彩りを与える。この部屋で社交会やパーティが行われていても、なんら不思議ではない。
兵士たちから、おぉ…凄い、と言った声が漏れ聞こえてくる。皇女もそれに惹かれるのかと思いきや、
「全く無駄じゃな、理解できん」
ボソリと誰にも聞こえないように呟いていた。
皇女は、性欲と戦闘欲以外の欲をほとんど持ち合わせていない。バネルパーク皇国がその例である。今はなき、バネルパーク皇国は、一つの街しかなかった。城とその城下に広がる街、ただそれだけだった。皇女的には、城すらも不要なのだが、祖母の代に作られたため、それを壊すのも勿体無いという理由で、渋々使っていたに過ぎない。
バネルパーク皇国が無くなり、離れ小島に街を作りはしたが、城を作る気はなかった。マクルスもそれには同意していたが、配下や住民たちから、絶対作るべき!と強く懇願され、あれやこれやと勝手に城が作られたのである。作られた物を無駄には出来ない。仕方なく、皇女とマクルスは、作られた城に住み始めた。
だから、今目の前に見えるこの部屋が、何のためにあるのか?その理由は分かっているが、その必要性がないと思っている。社交会やパーティは、他国の重鎮たちを招いたり、自国の派閥間の繋がりを円滑にする潤滑剤である。だが、圧倒的武力を持つ皇女にとって、他国は羽虫同様であり、仲良くする意味がない。もし攻め込まれても、絶対に勝つ自信がある。だからこそ、理解できなかった。
皇女たち第3部隊の大半が、まだ扉の外側にいた。扉を開けた何人かが、部屋の中央を不思議そうに首を傾げて見ている。
「どうした?何かあるのか?」
疑問に思った皇女が声をかける。
「何か、部屋の真ん中に繭のようなものがありまして」
「ん?どれじゃ?こっちからじゃと何も見えんぞ」
「本当ですか?一度、こちらに来て、確認していただいてもよろしいでしょうか?」
「ふむ、構わんよ。全軍、前進」
皇女の掛け声とともに、第3部隊全員が扉の中に入る。
「本当じゃな…なんじゃあれ?」
中に入った途端、それは現れた。シャンデリアの光を燦々と反射する真っ白なそれは、まさに繭そのものだった。それが何か気になった皇女は、部隊中央から先頭へと移動する。少し近くで見ると、繭の表面は、鳥の羽のように羽毛が生えていることに気付く。どこかで見たような既視感に襲われたその直後ーーー
「あれはっ…!!?やばいぜ!!嬢ちゃん!!!全員!頭を下げろ!!!」
突然、ヴァールが声を荒げた。突然の出来事に、部隊の半数、いや、8割近くが立ちすくむ。ヴァールは、すぐさま身体を広げ、皇女の近くにいた数名を包み込む。マクルスやリュース国団長アルバなど、戦闘経験の多い者や修羅場を潜ったことのある者は、すぐさま反応し、しゃがみ込む。
繭だと思っていたそれは、生物の翼だ。大きな翼で身体を包み込み、繭に偽装していた。そして、扉の外からは見えないように魔法をかけ、中に入ってきた者を対象にした初見殺しの攻撃が発動する。
身体を包み込み、限界近くまで圧縮した翼を勢いよく、広げる。とてつもなく大きな両翼から発生する風が、高水圧カッターのように鋭く、早い鎌鼬となって、吹き荒ぶる。
繭は部屋の中央。皇女たちは扉の前にいる。少し距離がある。だが、翼が広がった0.5秒後には、風が到着していた。それほどまでに早い。そして、立ちすくんでいた8割近くの兵士の胴体が真っ二つに切れ、血飛沫が風に乗って、踊る。
「なんじゃこれは!?」
「今のは、風切り。この世界で使えるやつは、アイダ・ウェド。ただ1柱のみ」
「…ははっ!まさか〝古の三柱〟が相手とは…心躍るのぉ!!」
「本心で言ってる辺り…全く恐ろしい嬢ちゃんだぜ」
古の三柱ーーーそれは、神より生まれ出でた獣。皇女の陰に潜むヴァール。マクルスの祖先であるアセナ。そして、アイダ・ウェド。今目の前で翼を広げ、その御尊顔を人々に見せつける。
「各員!戦闘準備!!」
皇女の興奮状態をいち早く捉えたマクルスは、隊に指示を飛ばす。
「旦那様、隊は任せる!!」
「うん!任せて!!存分に暴れてきて!!」
目を合わせ、両者共に親指を立て、グッとサインを送り合う。皇女は、アイダ・ウェド目掛けて、踏み込む。マクルスは、すぐさま、周知を見渡し、被害状況を把握。
「リストバンドの起動は…よし。正常だ」
皇女が隊員全員に持たせたリストバンド。それは、緊急時用の避難グッズだ。リストバンド装着者が、瀕死の状態に陥った際、起動する。
それは、小さく分割されたヴァールの一部。装着者一人分を喰らう。アイダ・ウェドの攻撃により、上半身と下半身が離れ離れになった者も、小さなヴァールが双方ともに呑み込み、その体内で治療する。一瞬で完治、とは言わないが、死にはしない。ヴァール内にある島に建設された病院に転送され、ベットの上で治療を受ける。
病院は全隊員が転送されても大丈夫な数のベットを用意しており、傷病者が溢れる心配はない。そして常駐する看護師もいる。
「あれま!?こんなにいっぱい…いよいよ戦争が始まったのね」
「師長!リストバンドの色から、第3部隊の隊員たちです!」
「第3部隊って言ったら、皇女様のいるところじゃない!?大丈夫かしら…心配だわ」
看護師をまとめる看護師長は、バネルパーク皇国でも看護師長を行っていた大ベテランである。いつもは旦那の愚痴ばかり話している奥さまだが、その手腕は素晴らしい。
死に直結する部分は、ヴァールが覆い被さることで治療するが、残りの部分は看護師が担当する。各々が使える属性の治癒魔法で治しているのだが、看護師長の光治癒魔法は、その圧倒的早さが強みであった。
そんな看護師長がいるからこそ、今現地で戦っている兵士たちは安心して戦いに挑むことができる。得体の知れないヴァールよりも、見知った看護師長という存在は大きい。
マクルスがリストバンドの起動を確認していると、〝それ〟は音もなく、現れた。ごく自然に、始めからそこにいたかと錯覚させるほど。
最初に〝それ〟に気付いたのは、最前線にいるリュース国団長のアルバ・バイロンだった。アネモネ同様に、志願して最前線にいた変わり者である。
「ん…?だ、誰だ!?貴様!?」
アルバの一際大きな声に、周囲にいた誰もがはっと気付く。
〝それ〟は、座っていた。犬がお座りするように、座っていた。だが、奇妙なのは、目の前にいるのが、犬ではなく、人だというところだ。だが、人というには、あまりに毛深い。
背中から曇天の空を思わせる紺色、腹からは雲が霞む春の空のような薄く淡い青緑色の毛が生え、身体の真ん中付近で混ざり合っている。とても綺麗で、幻想的な毛色。
190を優に超える身長と無骨な筋肉を持つアルバと、犬座りしている〝それ〟。周囲が驚いたのは、アルバの身長と同じ大きさというところだ。座ってこれなら、立った時にどれほど大きいのか?
アルバは両手で持つ斧と槍が組み合わさった斧槍を頭上に構え、活気盛んに、振り下ろした。
アセナ狼国の属国であるリュース国。属国の中で最も西にあり、リュース国より西側に属国はいない。いるのは、中立国または西の大国に組みする国たちのみ。
そのため、東の大国としての防衛戦としての役割を担っていた。特別強い者がいたわけではないが、騎士団全体の練度は高かった。その中で騎士団長を長年務めてきたアルバは、危機感知能力に優れていた。
今、アルバの本能が全力で訴えている。
〝目の前にいるこいつをすぐに殺せ〟と。指揮系統者のマクルスを指示を待っていては遅い。アルバはそう感じ、すぐさま、攻撃を開始していた。
アルバの本能は正しかった。だが、斧槍が届くより早く、相手の長い腕が、自分の鳩尾辺りに強く当たった。斧槍より長く、人間のそれとは全く違う筋肉のつき方をした腕が。
自分の筋肉には自信があった。誰にも負けないとそう思っていた。だが、現代におけるボディビルダーでさえ、トラと綱引きをすれば、手も足もでず、惨敗する。今アルバは、獣と対峙した時と同じ感覚に囚われていた。
強く打ち付けられた鳩尾の衝撃で、身体が浮こうとする。足先に力を入れ、耐えようとするが、踏ん張りが効かない。
「(ああ、そうか。そりゃあ、踏ん張れないわけだ…)」
アルバの身体は、鳩尾を中心に爆ぜたように、二つに分かれていた。そのまま、上半身は後方へと吹き飛び、下半身も後ずさるように、その場に倒れ込んだ。
一瞬の出来事だった。その場にいた兵士たちは何が起こったかすら分からず、マクルスだけがそれを目で捉えていた。
「(恐ろしく早い…僕じゃなければ見逃していた…!今の兵士の練度じゃ、無様に殺されるだけだ…!)っ…仕方ないか。部分獣化」
マクルスは皇女以外、誰にも見せてこなかった獣化の使用をすぐさま決める。それほどまでに、事態は急を要していた。
足だけを狼のそれに獣化させ、人とは違う強靭なばねを瞬時に縮め、伸ばすと同時に地を蹴る。吹き飛んでいくアルバの身体を受け止め、下半身の元へと届ける。アルバのつけていたリストバンドが発動し、アルバの両半身を包み込んだ。
「各員!リストバンドを直ちに発動!戦線から離脱しろ!!」
呆気にとられていた兵士たちは、マクルスの指示とともに正気を取り戻し、全員がリストバンドを発動。小さなヴァールたちが、それぞれを喰らう。
その場に残ったマクルスと、犬座りする人らしき何か。視線が合うと、その何かは狂気的な目でニヤリと笑う。
ゾッ…と背筋に寒気が走る。自分の判断は正しかったのだと理解する。魔法のない世界では、1対多数は圧倒的に有利だ。絶対的な数の差があるため、世界的に有名なボクサーや格闘家でも勝つことは難しいだろう。だが、今、この世界には魔法があり、1人で大勢を相手取るのは、至極当たり前のこと。その最たる例が、皇女である。
マクルスは部分獣化のまま、相手の出方を待った。その一方、皇女は、古の三柱であるアイダ・ウェドと、心底楽しそうに肉弾戦を始めていた。
マクルスたちから離れるように、最初の一撃で、アイダ・ウェドを部屋の隅まで追いやった皇女は、そのまま、肉弾戦を開始。荒れ狂うアイダ・ウェド相手に、風切りを避けては殴り、翼での羽ばたきや噛みつきを避けては殴りを繰り返す。
風切りは、初見殺しの必殺技。一度見れば、大抵の実力者であれば回避すること自体は可能。しかし、遠くに離れていれば、の話である。風切りを放つ際、翼の近くに行けば行くほど、その風量は増していく。今、肉弾戦をするほどに近寄っている皇女をよく見ると、身体中、至る所に切り傷が刻まれている。
アイダ・ウェドの周りは、風切りを使うたび、暴風を超えた鎌鼬が無制限で発生している。その風は縦横無尽に暴れており、それを制御し、放つことで遠距離の相手に、絶対な威力を発揮する。逆を言えば、制御しなければ、あの威力は発揮できないわけだが、それでも、近くにいれば無制御の鎌鼬による無差別の攻撃を受ける。アイダ・ウェドは、自前の羽毛でそれを防いでいるため、風で傷を負うことはない。
殴るたび、避けるたび、はたまたそこにいるだけで傷が増えていく皇女。そこだけを見れば、アイダ・ウェドの方が有利に見えるが、実際は全くの逆である。追い込んでいるのは、皇女の方だ。
痛みを全く気にせず、不適に笑いながら、殴り続ける皇女。皇女にとって、アイダ・ウェドとの戦いは久しぶりの強者との戦いだった。
幼少期に母から訓練を受け、唯一、自分より強かった母は、ヴァールの継承とともにいなくなった。その後、鍛錬を続けはするものの、それと言った強者に出会うことなく、今まで生きてきた。
だからこそ、嬉しかった。ようやく自分の本気を出して戦える相手が現れたことに。
「あっはは!!この感覚…最高っ!!相手の一撃をくらえば形勢逆転を許すギリッギリの戦い…これこそ、私が求めていた強者との生の削りあいだ!!!」
「だがよ、嬢ちゃん。不思議に思わねぇか?なんで、アイダ・ウェドが西の大国の味方をする?こいつは元来、特定の誰かの味方にはならず、のらりくらりと生きている竜だ」
「…ヴァール、今その質問する?私が楽しく戦ってる最中に?」
「ああ、もちろん。今だからこそ、だ。で、どう思うよ?嬢ちゃん」
「はぁー、本気でそう思ってるのが怖い…恐らくだけど、誰かに操られてるじゃない?この前会った時と比べて、明らかに様子がおかしいじゃろ」
「やっぱり、嬢ちゃんもそう思うか。明らかに目が血走ってて、真っ赤だしな」
前回、勇者たちがアセナ狼国へと渡る際に出てきたアイダ・ウェドの瞳は、快晴の青空を思わせる青色だった。それが今は、夕日を通り越し、血のような真っ赤な色へと変わっていた。
「そうそう。それに、口から涎がダラダラ出とるしの。うわ、服についた!最悪ぅ〜」
そして、ずっと開きっぱなしの口からは涎が絶え間なく、流れ落ちている。誰がどう見ても、おかしい。狂犬病の犬のようだ。
「で、どうする?ヴァール。もしかして、喰らえば治せる?」
「ああ、治せると思うぜ。だが、今のままじゃ無理だな。もっと弱らせてからじゃないと、抵抗されちまう」
「なるほど…じゃーこのまま戦って弱らせればいいんじゃな!?」
皇女は目をきらめかせながら、ヴァールに問う。某ゲームであるポケットの中のモンスターと同様に、HPを削ってからじゃないとボールで捕まえられないのと似ている。
「心底嬉しそうだな、嬢ちゃん」
「そりゃそうだ!!ヴァールがガブっと食って終わりとか味気なさすぎじゃろ!?」
「心の底からそう思ってるのが、ちょっと怖いな」
「可能ならヴァールとも戦ってみたいんじゃが、流石に無理だろ?それと、旦那様の祖先のアセナとも戦ってみたい。まあ生きとれば、の話じゃがな」
「…嬢ちゃん、血に飢えすぎじゃないか?」
「そうかの?」
「そうだよ。強い相手に、自分の何もかも全てを試してみたいって気持ちがびんびん伝わってくる」
「あっはは!ヴァールに隠し事はできんのぉ〜!」
「はぁ…まあ、好きなだけ暴れな。後処理とフォローは任せてな」
「流石はヴァールじゃ!分かっておるではないか!よぉーし、ここらでいっちょ派手にやったるかの!!」
ヴァールと話しながらも、皇女はアイダ・ウェドの攻撃を避けては殴り、避けては殴り、を繰り返していた。だが、それでは相手の羽毛が邪魔をして、ダメージが通らない。皇女は、次の手を打つ。
「右に、炎神の逆鱗。左に、雷帝の怒号」
人類が扱うことのない上位魔法を〝2つ〟同時に発動する。右腕に蒼炎、左腕に黒雷を纏う。炎は快晴の空のように蒼く、雷は月のない夜のように黒い。
アイダ・ウェドは、右手から発する熱を感じ、距離を取ろうと羽ばたく。刹那、黒い雷が、両翼を貫く。とてつもない痛みと激しい痺れが、襲う。羽を広げることさえできず、アイダ・ウェドは羽ばたくのを中止。少し浮いた身体を、着地せざるおえなかった。そして、その瞬間を狙われた。
痛みで判断機能が落ちたその一瞬、気付けば、相手の右拳が動き、胸元に直撃していた。油の上を火が走るように、羽毛へと炎が移る。羽毛間には、空気を通す層がある。炎は、その層にある酸素を食い進みながら、燃え広がっていく。
ガァぁぁー!!!!
アイダ・ウェドの断末魔が部屋中に児玉する。マクルスが、皇女の勝利を確信するほどに大きくーーーだが、
「…流石、ヴァールと同格。この程度で倒せるはずないよな〜!!」
心底嬉しそうに皇女がそう答えると、アイダ・ウェドが激しく回転。そして、フィギュアスケーターがポーズを決めるように回転を止め、大きく翼を広げる。古い羽の層が遠心力で吹き飛び、新しい羽が出てきた。アイダ・ウェドは、炎のついた羽の上層だけを力技で吹き飛ばした。
蒼炎と黒雷が、純白の羽と風ともに踊る。神話に出てくる景色のようなその戦いは、意外な結末で終わる。




